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2025年9月6日土曜日

知ること

先月のスクーリングからだいぶ間があいてしまったけれど、テキスト勉強開始。

テキストの方もクリアしないと単位がもらえない。

読んでいて半分くらいは難しくて、ちゃんと理解できているか不安だけれど

残りの半分では「ああ、そういうことなんだ。そうなっているんだ」

と刑法の仕組みを知って発見があったり、納得したり。


そして自分はいかに狭い世間で生きてきたのか、と思う。

刑事司法にしても携わるいろんな仕事がある。

司法だけじゃなくて、心理や福祉、介護の分野でも人材が必要とされている。

それから様々な困難に立ち向かう人がいて、それを支える人がいて。


スクーリングを担当した先生が加害者側の支援をしているという話を聞いて

最初は驚いたけれど、どんどん知ることでなんとなく

どうして先生が加害者側の支援をするようになったのか、分かるような気がした。

2025年8月20日水曜日

心と心

桜の曲を聴いていたら、先日読んだ本の一番最後にあったエピソードを思い出しました。

著者が若かりし頃、知的障害のあるお子さんを預かる施設で働いていた時のこと。
何かとんでもない失敗をして落ち込んでいた著者が施設を退勤しようとしたとき
利用児が二人やってきて、著者のコートのボタンを一生懸命はめようとしたという話。

手先も器用でない彼女たちがまごまごしながらコートのボタンをはめようとしている。
自分でやった方が早いと思ったけれども、あえて彼女たちの気持ちを尊重してやってもらった。
さて帰ろう、と思って門のところまで行き、ふと彼女たちのことを見ると
二人は著者のことを心配そうな顔で見送っていた、という話。

その日、とてつもなく落ちこんでいた表情をしていた著者を見て
二人は「明日はもしかしたら先生は来ないんじゃないか」と不安になって
彼女たちなりに著者を励ましたくて「明日もまた来てください」という気持ちで
コートのボタンをはめてくれたのではないだろうか。
玄関まで一緒についてきて見送ってくれたのは
著者のことをとても心配していたからではなかろうか、というエピソードでした。

知的障害があっても心の部分ではちゃんと感じ取っているんだなぁ。
もしかしたら他の人よりも感覚が研ぎ澄まされていて
普通の人が沢山の情報がありすぎて見逃していることを敏感に感じ取っているのかもしれないなぁ
と思いました。

2025年8月15日金曜日

質問すればよかったな

夏のスクーリングは興味深い内容だった!

国試の過去問をしていると少年法の問題も出てきて

でもちょっと複雑だし覚えることが沢山あって「あー、苦手~」と思っていたけれど

簡単なシステムになっていないということはそれだけ丁寧な審理が行われるということだと知って

それは大事なことだし「そうなのか」と分かれば頑張って覚えることができる。


先生が福祉の勉強をすることになったいきさつやこれまでの仕事の話を聞きながら

現在は加害者支援の仕事もしていると聞いて

どうして被害者ではなくて加害者支援の仕事をしているのか、質問したらよかったなと思う。

加害者支援もなくてはならないことだと思う。

でも加害の内容や程度によってはきっと葛藤するだろうし

それでも続けているのにはどういう理由?モチベーションがあるんだろう……。

2025年8月12日火曜日

エンパワメント

先日のスクーリングの時の話で

「釣った魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」というのもエンパワメントになるんだよ。

次からは自分でできるようにする、ということだから。

という話があって「え、そんなこともエンパワメントになるの?」と思って驚いた。

なんかもっとちょっと難しい事だと思っていたから。


2025年8月10日日曜日

意外に面白い

夏のスクーリングはzoom受講。忙しいお盆休みだから助かった‼

真ん中ちゃんはまた私が泊まりに来るのだと思って

「お母さん来るのって来週だっけ?」とスクーリング受講中に連絡が来る。

zoomだから泊まらなくて大丈夫っていったと思ったけどな~。


「刑事司法と福祉」の授業。

なんだかタイトルだけ見ると、すごくかたい感じの、難しい話かなぁと思って緊張していたけれど

始まってみると全然思っていたのと違っていて「あ、興味あるかも」な内容でした。

でも国家試験になると覚えることが沢山で、結構大変な教科であるのは変わらないけれど。


2日間、ずっと講義聞くなんて絶対に眠くなる、と心配していたら

ブレイクアウトルームでグループごとに話し合うし

話を聴くだけじゃないのですごく助かりました。

自分の意見や価値観があっていい。

でもそれとは別に、ソーシャルワーカーとしてはどう考える?

はっきりと結論が出せない問題をグループで話し合いました。


今日は最後に簡単なレポート作成があって、それを仕上げて終了とのこと。

頑張るぞ。

2025年8月7日木曜日

本 福祉の現場で働くあなたに伝えたいこと

レポートを書くのに大学の図書館で借りてきた本。すごくよかった。

福祉の先輩からのアドバイスは共感することばかりで

それに人と関わる上でも大事なことが書いてあって。

いつも本は借りるばかりだけれどこの本は買おう!と思った。

でも調べてみたら「なんとか中古品だったら手に入るかも」という感じだった。(涙)

福祉の現場で働くあなたに伝えたいこと

2025年8月3日日曜日

受験申込み

昨日は国家試験の手引き(願書)が届きました。

大学卒業見込みと受験に必要な科目を履修していることの証明書が必要なので

大学から取り寄せないといけないのだけれど

調べてみて分かったのは、証明書っていつでも発行してもらえると思っていたら

この証明書については申請の期間が決まっていて、しかも発行にも条件がいくつかある!!

自分で条件をクリアしているか確認してから申請をすることになっていて

(ちゃんと必要な科目を履修していれば申請はできる)

え、そうなの?!と驚きました。


しかも国家試験の申込みが始まる前に証明書の申請期間が終わってしまう~。

(ちょうど証明書の発送が始まる頃に国家試験の申込みが始まるから

証明書が届いたらすぐに試験の申込みをするように設定されているんだと思う)

申請期間は1カ月あるのだけれど、うっかりすると忘れてしまいそう。

願書は用意できても証明書がないために受験申し込みができなくなる、ということもあるかも。


いろいろびっくりだなーと思った受験申込みの話でした。

2025年7月28日月曜日

伸び悩む

演習1のレポートが戻ってきた。単位認定試験を兼ねた最終レポート。

課題に「また倫理的ジレンマを感じたことがあれば、それも論じること」とあったけれど

なかったらいいのかなぁって思ってそれには触れないで提出したら、やっぱり点数が伸び悩んだ~。

「それも書いたらもっとよかったねー」というコメントが添えられていました。

うーん、めちゃめちゃ倫理的ジレンマを感じることは今の仕事ではあんまりなくて

全くないわけではないけれどレポートに書けるほどではなかったから入れなかったんだけど

やっぱり入れた方がよかったかなぁ、と今頃後悔する。

でもなんとか1回でクリアできたし、合格できたからいいかなぁ。


演習2のレポートは添削中。返却までにはまだまだ時間がかかりそう。こっちも心配だなぁ。

2025年7月27日日曜日

映画 帆花

津久井山ゆり園の事件の日にあわせて2日間のみ一般公開された映画 帆花を観ました。

去年も事件の日にあわせて2日間公開されたみたい。


脳死状態で生まれた帆花ちゃんとご両親の生活を追ったドキュメンタリー映画。

子どもの人権や「生きる」ことについて考えたり、意思表示のことを思ったり、後見人のことや

この映画を観た後だったら先日提出したレポートは内容がもうちょっと違っていただろうか

お父さんやお母さんにとってのソーシャルって何だろう、「生活」において大事なものはなんだろう

とレポートの課題を思い出したり。

社会福祉士はこういった人たちとともに歩んでいく、そういう仕事なんだよなぁと思ったり。


脳死状態で生まれて、当初は脳波さえないだろうといわれていたけれど

お父さんやお母さんが日々話しかけ、愛情たっぷりに接することで

声が出るようになったり、問いかけに声で反応したり、人ってホントにすごいなぁって。

試しに脳波に反応して動く猫耳のおもちゃをつけてみたら、動く動く猫耳。

脳波がちゃんと出ている。愛情が人を成長させたんだなぁって。

どんどん成長していく帆花ちゃん、髪も伸びてかわいらしい女の子になりました。


そして、脳死ってどうなんだろう?と思いました。

帆花ちゃんはほぼ脳死状態で生まれた(出産のときにへその緒が切れて酸欠になった)けれど

意思表示ができるようにまでなったのだから。

脳死は人の死なのだろうか?(臓器提供のこともあるけれど)

帆花ちゃんを見ていたら、そう思えないと思いました。


そういえば以前、帆花ちゃんと同じようなお子さんの話を読んだことがありました。

だいぶ昔のことで、県内にある病院の院内学校に赴任してきたある男の先生と男の子の話。

男の子は重度の障害を持っていていつもほとんど眠っていて、寝たきりで

発語もほとんどないので意思疎通もできない。

彼はずっとあのままだろう、と今までの先生たちは思って接していた。

ある男の先生が赴任してきて、その先生は男の子の病室に毎日通っては話しかける。

他の子に話しかけるのと同じように「○○くん、先生だよ」と言って。

時間はかかったけれど、やがて先生の言葉に反応するようになって

最終的にはずっと寝たきりだった男の子は

病院の中庭にあったブランコに乗れるほどにまで回復したような

確かそんな話だったんじゃないかな。

今までの先生はみんな「どうせダメだよ」とずっと諦めていたけれど

その先生だけは諦めずに根気よく、他の子どもに接するように同じように話しかけ

愛情をかけて接した、その思いが彼の成長を促した、そんな実話だったと思います。


映画の中でもお母さんが話していた、帆花ちゃんはホントは思っていることはあるけれど

それをアウトプットすることができないだけなんじゃないか

もしそうだったらどんなにつらいだろうか、と話していて

私も映画を観ながら私もちょうど同じことを思ってせつなくなっていて

もしかしたら彼女は表現できないだけで意思や感情は内側に溢れているんじゃないか

それが伝えられないだけなんじゃないかって。

もしそうならそれがどんなにつらいだろうか、と涙がこみ上げてきそうになっていたけれど

それは本人だけじゃなくお父さんやお母さんにとってもホントにつらいこと……。

そしてそれはこの前読んだ、意思決定支援の話にもつながるかな。

「この人はどうせ自分で決められないのだから」と思って接するのと

「どうかこの人の意思決定のお手伝いができるように」と思って接するのでは全然違いますよ

という話。


自分と帆花と二人だけの世界にいるような感覚に襲われる、とお母さんが映画の中で話していて

それは子育て中のママがよく感じる孤独感だと思っていたけれど

映画を観た後、ネットで検索して見つけた記事を読んで

それは帆花ちゃんの病気のことを知っても

多くの人は自分とは違う世界の話だと線を引かれてしまう

(相手はいろいろ遠慮したり気をつかっての反応なのはわかるけれど)それがつらいのだと。

私が想像していた、子どもと二人ぼっちはちょっと意味の違うものでした。

社会福祉士だったら

どんな思いでお母さんや帆花ちゃんと接するのがいいのかな、そんなことも考えました。


映画を観ながら、いつも関わっている子たちの姿が目に浮かんで

みんないろいろあるけれど、でも毎日関わっていくうちにそれぞれのいいところが分かって

みんな味があってすごくいいなぁって思う。

帆花ちゃんとも過ごす時間が増えたら、きっともっといろいろいいところが見えてくるんだろうなぁ

なんて思いました。


福祉の勉強をしている今、この映画を観ることができてよかった。

2025年5月10日土曜日

想像よりも体験

明日は映画「型破りな教室」の上映会+感想会。楽しみ~。

「型破りな教室」も夢みる小学校にでてくる「きのくに子どもの村学園」

ダイアローグインザダークもどうして私は好きなんだろう?と思って

「どれも実際に体験する」ということが共通している!と思った。


本当は想像することでそれをちゃんと自分の中に落とし込めたらいいのだけれど

紙の上だけの説明で理解する、とか、ここにないものを想像してみる、ことだけでは

私は本当の意味で理解することができなくて。

実際に体験すると一瞬で理解できるし納得するから

だから私は好きなんだなぁ、いいなぁと思うんだろうなぁと思った。

2025年5月8日木曜日

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク

念願叶って行ってきました。


場所はアトレ竹芝。浜松町駅から歩いてすぐでした。劇団四季の劇場も入っていました。


何でダイアローグ・イン・ザ・ダークを知ったのか覚えていないけれど
多分、ネットで知ったのかな?もう何年も前から行きたいと思っていました。


ダイアローグ・イン・ザ・ダークとは
視覚障がい者のアテンドで暗闇を体験するエンターテインメントです。


壁には今まで参加された方の写真かな?木の形になって貼り付けてありました。


すごくワクワクする‼


今回は「暗闇の中の列車に乗って出かけよう。さぁ、能登へ!キハ40に乗って春の旅
という内容のイベントでした。
能登に関するいろんな資料が壁に展示されていました。


開始時刻になり、入り口に集合しました。
アテンドしてくれるのは視覚障がい者のあっけちゃん。
「能登に行ったことある人、いる?」と聞かれて手を挙げる私。
後ろにいたスタッフが「お一人、手を挙げていらっしゃいます」
いつもだったら手を挙げれば「あ、一人いるな」と質問した人は分かるので
私は何気なくそうしたのですが、あっけちゃんは視覚障がい者なので見えません。
「あ、しまった……」と思う私。


「ここにポスターが貼ってあるんですが、私には見えません。どんなポスターですか?」
と参加者に聞くあっけちゃん。
8名の参加者のうち3組はご夫婦もしくはカップルで、3組とその他に私ともう一人
そこで初めて会ったばかりだからちょっとみんなよそよそしくて
積極的に声はあがらなかったのだけれど、あっけちゃんがテンポよく質問してくれるので
海に面した棚田と海辺で鬼の面をつけた人たちが和太鼓をたたいているポスターである
とあっけちゃんに伝えることができました。
そして驚くことに「今日は暗闇の中でみなさんとこの風景を楽しみたいと思います」というのです。
暗闇で、どうやって?と私は思いました。
そして扉の入り口の前にある箱の中からそれぞれ白杖を一本ずつ手に取り
入り口の奥に入っていきました。


入り口に入ってだんだんと照明を落としていき、最後は真っ暗闇に。
純度100%の暗闇、と書いてあったけれど目を開けても目を閉じても変わらない
とにかく真っ暗闇。
暗闇の中ではお互いの声だけが頼りです。
あっけちゃんから「それぞれ、みんなから呼ばれたい名前を言ってください」と言われて
一人ずつニックネームをいってから旅が始まりました。

しかしあんなにずっと行きたいと思っていたのに開始1分で
「あ、来るとこ間違えた~。帰りたい~」と思いました。
人工的な暗闇、怖すぎでした。

8人の参加者が視覚障がい者であるアテンドさんの声と白杖を頼りに1時間半の旅です。
アテンドさんと参加者の声、音、白杖から伝わる感触、足元の感触と
白杖を持っていない手で周囲を触ったりして進んでいきます。

同じ部屋でも明るかったらきっと歩幅も大きく、なんの心配もなく歩けるのでしょうけれど
真っ暗闇なのでとにかくみんな周りを気にしながら、歩幅も小さく、白杖で周りを確認しながら
恐る恐る進みます。
とにかく見えないので他の参加者にぶつかったりしますが
明るかったらきっと「すみません」って小さく会釈するのでしょうけれど
ここでは声を出さないと相手には伝わりません。
だから積極的に声を出して「すみません」と言うのです。
そして誰が誰にぶつかったのかすらも分からない、そんな状況です。

最初は公園のような場所に行って、ブランコがあって
みんなでベンチに座っておしゃべり。
でも暗闇なのでどこにベンチがあるか分からないので
みんな周囲を触ってみて「あ、ここにある」とベンチに座ります。
「みんな、座れた?」「はーい」「○○、まだ座ってないです」「あ、ここ、私の右隣空いてますよ」
声を積極的に出して、お互いの名前を呼び合いながらコミュニケーションします。

それから暗闇の中でじゃんけん列車をしました。
隣の人に声をかけて「じゃんけんしよう」「最初はグー、じゃんけん!!」
そしてお互い手を出しながら「パー」とか「グー」といい
負けた人は勝った人の背中に手をやり、最後はみんな一列に。
暗闇の中でもじゃんけん列車ってできるんだ~。

そして「今度は実際に走っていた列車に乗るよ」とあっけちゃん。
手で周囲を触りながらみんなで列車に乗り込み、それぞれ座席に腰を下ろします。
背もたれとか、窓のかんじを手で触って感じます。
古いタイプの列車かな?というのが分かりました。
この列車は実際に運行していたそうで、キハ40というタイプの車両だそうです。
さぁ、列車に乗って能登に出発!!

能登に着くと竹の生垣がある道を通り、今度はさっきより低い位置にある椅子に座りました。
視覚が使えない分、全神経を集中させます。ここちよい風が吹いていて、波の音が聞こえます。
耳を澄ますと、入り口のところに貼られていたポスターにあった
和太鼓の力強い音が聴こえてきました。
あっけちゃんがこの御陣乗太鼓についての話をしてくれました。

次は広場に移動して円になって座ります。
暗闇であっても、お互いの声や気配でなんとなく円形になれるんですよね。
後ろにはちょっと小上がりになっていて、ちゃぶ台が置いてある畳敷きのスペースがあるそうな。
心地よい風を感じながら、入り口に貼ってあったポスターの棚田の風景を思い出し
あっけちゃんにそれがどんな風景だったのか、みんなで話します。
暗闇であっても、目が見えなくても、こうやって旅ができるんだなぁと思いました。

旅といえば美味しい食べ物があると嬉しいよね、ということで
能登での美味しいものをみんなで食べました。
のトニックといういちぢく味の炭酸飲料や能登のママがつくったドーナツ、ほうじ茶など
好きなものを選びました。
あらかじめ受付の時点で「小銭を持ってお出かけください」といわれていたので
私も両替してもらってポケットに小銭を入れておきました。
暗闇の中でもあっけちゃんが集金をして、自分が希望したものをいただきました。
このころになると私たちもだいぶ暗闇には慣れてきましたが
のトニックは瓶に入っていたものの
ほうじ茶はあっけちゃんが暗闇で紙コップに淹れて
その紙コップを暗闇で受け取って自分の口元に運ぶ、という
なかなか上級者のテクニックが必要なことでしたが
お一人それに挑戦した方がいて、無事に美味しくいただけたようです。
私はいちぢくサイダーとドーナツをいただきました。
暗闇でお茶会!!なんて初めて~。楽しかった。暗闇でいただいたお菓子は格別でした。

ダイアローグ・イン・ザ・ダークに申し込みをしたときに
能登への応援として「現金としてお小遣い(200円~1000円程度)をご用意ください
収益の一部を能登復興の支援金に使わせていただきます」という案内があって
どういう形でこのお小遣いを使うのかな?と思っていましたが
こういうスタイルだったとは!!なかなかスマートだなと思いました。

お茶会が終わるとほどなくして旅は終わりました。
他の参加者とは初対面だし、最初は怖くて仕方がなかったのですが
暗闇だと不思議にみんな優しくなれるというかへんなバリアがなくて
一気に心の距離が縮まって、それもまた不思議な体験でした。
みんながお互いを気遣って、その気遣いがあったかくて嬉しくて
暗闇の中でも十分に能登への旅行を楽しむことができました。

視覚障がいがあるってどんなだろう?
私のお気に入りの絵本に「どんなかんじかなぁ」があります。
想像するだけじゃなくて追体験することができるのなら、そう思って参加しました。
旅から帰ってきて、参加者があっけちゃんにした質問を聞いて
(どうして暗闇の中でお茶をこぼさずに淹れることができるのか、とか
今、スタートしてから何分くらい経っているのか、時間はどうやって把握しているのか、など)
自分の今体験してきたことを思い出しながら
視覚障がい者が日々、どう世界を感じて生活しているのか
ちょっとだけ体験することができました。

本当に不思議な不思議な感覚になれるので
暗闇のエンターテインメントとしても十分に楽しめるし
また行きたいし、いろんな人にあの不思議な体験をしてもらえたら、と思います。

期間限定で聴覚障害者と行くサイレンスや高齢者と行くタイムの回もあるので
それも行ってみたいと思います。


暗闇で飲んだのトニックがどんなものだったのか見てみたくて
他の方は会場で回収(ゴミ箱が隣の人から回ってきて自分もまた隣の人に渡していく)
してもらったのですが
私は持ち帰ってきました。


普段はめったに自分用のお土産を買わないのですが
今回は手ぬぐいがあったので参加した記念に買いました。
ちなみにお土産のコーナーでは素敵な会津漆器も取り扱っていてちょっと嬉しかった。

2025年3月18日火曜日

つぶやき

先日、映画「アディクトを待ちながら」を観たあとにつぶやいたら

InstagramとXと同じ内容だったけれど

Xはハッシュタグをつけたからかな、今までにないほどいいねとリツイートされて驚きました!

Xはブログのネタの備忘録として記録しているくらいだから

フォローもほとんどしてないし、フォロワーもいない状態なのに。

嬉しかったのは私の誕生日の日に主演俳優がリツイートしてくれたこと。

あー、私もミーハーだな(笑)

いいねとリツイートしてくれた方々は皆さん、当事者だったり家族だったり、で

日ごろの苦労やこの映画への思いが見えるようでした。

私も世間だったり社会をつくっているうちの一人。

この映画、観に行ってよかったな、と思ったのと

自分の中にしまっておくのもいいけれど

SNSでつぶやいてみるとまたいろんなものが見えるな、と思いました。

2025年3月8日土曜日

映画 「アディクトを待ちながら」

アディクトを待ちながら」という映画のタイトルを聴いても最初はピンと来なくて

アディクトとは依存症のこと、と分かって「あー、これは観よう」と。

依存症ってなんだか遠い、自分とは別世界の話だと思っていたのが

子どもの心の傷と依存症」の話を聴いてから依存症に対しての見方が変わったというか

ぐっと自分の近くに寄ってきた、というか、なんと言葉にしていいか分からないのだけれど。

映画を観ながら

誰だって心の弱い部分はあるし、誰がそうなったっておかしくない、自分だって……

そう思いました。

それから、この映画は世間の人たちに「依存症のことをちゃんと知ってもらいたい」という

依存症の人たちやその家族の思いや願いもあって

そして私も、その世間をつくっている一人なんだよなぁ……と思いながら観ていました。

社会福祉士の勉強を始めなかったら前述の依存症の話を聴こうと思わなかっただろうし

この映画も観ようと思わなかったと思います。

資格を取ることは目標ではあるけれど、それに付随していろんなこと

今まで知らなかったことを知ることができて

一つの資格に向き合うことですごく世界が広がって驚いています。

やっぱり社会福祉士はジェネラリストなんだなぁ。

その分、寄り道ばかりしているから勉強はなかなか進まないけれど……。

近所にミニシアターがある幸せ。

平日の夜に、仕事が終わって急いで買い物して帰ってご飯をつくって家族と食べて

それから「ちょっと映画観てくるね」と出かけることができる。

ふかふかソファーに大きな画面を独り占めして、プライベートシアター感満載。

ありがとうKuramoto


そしてこの話には後日談があります……。

2025年3月4日火曜日

医と地 vol.2

2回目の医と地に参加してきました。今回もアンケートに記入したことをこちらに残しておきます。

今回のゲストは医師として活動しながら
一般社団法人ケアと暮らしの編集社・代表理事を務める守本陽一先生。


これから人口減少でどんな分野でも人手不足になると思います。もちろん医療分野でも。けれど専門職でなくてできることがあるんだなと思いました。ゆるくつながることで地域を元気にしたり、病気になることを防げたり、少し病気になりかけたり病気だったりする人が人とつながることで元気になったり。そうやってみんなでできることをやっていくことで、どうにか人口減少の社会でもなんとか存続できるようにやっていけるのかな、と。


それからやっぱり結局は「人」なのかな、ということ。
どんなに新しくて立派な施設であっても、中にいる人の対応で人は来なくなるし、反対に古くて設備も整っていなくても、魅力的な人がいたら人は集まってくる、ということかな。


「伴走者」の話もとても共感できました。私自身、伴奏してくれる人がいたからやりたいことをやってこれたので、伴走者の必要性や重要性はすごくよく分かります。


いい話を聞くと「よそはいいなぁ」とうらやましくなります。でも考えてみたら市内にもいろんな楽しいことを考えている人や場所はあるなぁと思いました。知人が言っていた「みんなの活動の点となって面作りに協力したい!!」という言葉を思い出しました。私にも何かできることはあるだろうか……。


今、福祉の勉強をしていて、昨日の朝に読んだ 「熱心な無理解者」とリンクする内容もあり、人と関わること、ケアすること、大事だけれども「熱心な無理解者」にならないように、この言葉を心の隅に留めておこうと思いました。


1回目と2回目ととても興味深いお話を聞くことができました。ありがとうございました。

2025年3月3日月曜日

熱心な無理解者

りんごの木の園長先生とスクールカウンセラーの対談。

ともすると私も「自分に熱心、他人に無理解な支援者」になってしまうと思った。

それからここも大事だなと思ったところ。

「ちょっと足しになればいい」って言葉を心の支えにしているの。解決はしないけど、その揺らぎのプロセスに関わらせてもらう。それがちょっとでもその子にとっての足しになるといいなって。

2025年2月27日木曜日

映画「どうすればよかったか」

ここの映画館は久しぶり。前回は「」を観たな。

 「どうすればよかったか?」間違ってなかった、という父

でも息子は、もっといいやり方があったのではないか?と思うから

「どうすればよかったか」と聞いたのだと思う。

well-beingってなんなのだろう?誰からみたwell-being?娘よりも母に寄り添った?

娘自身はどうしたら幸せだったの?息子は?答えの出ないことを考える。


その後、録画してあったクローズアップ現代を見る。

カリスマ生のオープンチャットで話題に上った私宅監置の本のことを思い出す。

「知られたくない、秘密にしたい、恥である」という文化はずーっと続いているのだろうか。


監督へのインタビュー

2024年5月11日土曜日

「フジヤマコットントン」鑑賞&感想会

フジヤマコットントンという

富士山の見える山梨県甲府盆地の中心部にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」で

障害を持つ人たちが仕事に取り組む様子を撮ったドキュメンタリーを鑑賞し

参加者が感想を語り合う会に参加しました。


監督は、相模原障害者施設殺傷事件の「障害者は生きている価値がない」という言葉を受け

「人間の価値とは何か。なぜ事件は起きたのか」を考えながら挑み

人の価値を「ある/なし」の土俵に乗せず、目の前にいる人たちの魅力を

出演してくれた一人ひとりの日常の中にある「良い!」を見つめたのだとのこと。


コットンを栽培する人、紡いで糸にする人、染色する人、織り上げる人、布で作品をつくる人。

種をまき、花を咲かせ、丹念に花のお世話をする人。

と思えば緻密に丁寧な色を付けて絵を描く人がいたり、とそれぞれ作業に取り組む。

「家に帰りたくないんだ」という利用者さんには早く帰るように促すこともなく職員が見守る。

「施設に来るが大好きだ」という利用者さん。

こういう施設なら好きになるだろうなぁ、と観ている私も思いました。

それから利用者さんに芽生える恋バナも。

人間をまるごと、映し出していました。


相模原障害者施設殺傷事件を取り上げた映画には「月」もあって

どんな内容になるんだろうかと思っていましたが

同じ事件から影響されて生まれたものでも、表現が全く違っていて

それはそれで面白いなと思いました。


感想会にはコットンの栽培をしている方や福祉に関わる仕事をしている方

身近に障がいをもっている方がいるという方、いろんな方が参加されて

いろいろな角度から作品を味わった感想を聞くことができました。


私はというと、障害福祉サービス事業所が舞台なので

私が仕事で関わっている子の中には将来、こういったところで働く子もいるのかな

卒業してすでに通っている子もいるので、こういう感じでお仕事しているのかな

と思ったり。


また施設のスタッフと利用者さんの関係がすごくいい感じで

その他、利用者さん同士の関わりなども撮影されていて

全編を通してほのぼのとした雰囲気の、あったかい空気が伝わる作品でした。


時折、利用者さんのぼそっとつぶやかれる言葉が

またなんともまた哲学的というか、深いところを突いていて……

「仕事ってなんのためにするの?」と撮影者に質問を投げかけた後、ぼそっと

「仕事は他の人を幸せにするためにすること。自分は施設の人を幸せにするために仕事をする」

と自分で答えていました。

その言葉の余韻を十分に感じた後にエンドロールが流れてきました。



「生産性がないと生きる価値がない」と言い切る人がいる一方で

「仕事は他人を幸せにするためにするもの」とぼくとつと働く人がいて

そしてそれをあたたかく見守る人がいて。

いろんな人がいるなぁ。ホントにいろんな人がいるなぁ、そう思った夜でした。


相模原障害者施設殺傷事件をモデルにした映画「月」を観たときは

「人」の定義や「生きる意味」って何だろう?生産性がないと生きている価値がないのだろうか。

私は映画の中の“彼”が思っている正義を、ひっくり返せるような言葉が思いつかない……。

とやるせない気持ちになりましたが

障がいのある方に否定的な人ばかりではないし

利用者さんの、自分の与えられたことをただひたすら全うしている姿に

あの時に感じた猛烈なやるせなさが救われました。


Kuramotoではちょうど「はなのころ」(障がいを持っている方のアート作品)の

作品展示が行われていました。






2024年1月22日月曜日

映画「月」とヴィヴィアン佐藤さんのトークショー

先月、映画「月」の公開初日にあわせてヴィヴィアン佐藤さんのトークショーが行われました。

この映画、観てみたい気持ちと

でも観たら落ち込んでしまいそうでこわいなぁという思いがありましたが

ヴィヴィアン佐藤さんのトークショーもあるということだったので、都合をつけて行ってきました。

でも実際観てみて、そんなに思ったほど落ち込まなくてよかった、というのが正直なところ。


それから上映後のヴィヴィアン佐藤さんの解説が聞けたのがやっぱりよかった!!

ヴィヴィアン佐藤さんからは映画の見方を教えてもらった、という感じかな。

映像に映っていること、それだけが全てではない。それだけが真実ではない。

迫真の演技であればある程、真実味を帯びている。

映画に出てくる登場人物は映画を観ている人一人ひとり、誰にもなりえる、鏡像になっている。

どう自分の言葉で考えていけるか、(映画を)その材料にして欲しい。


上映時間の2時間半はあっというまでした。
映画を観ながら、いろんなことを思い出したり考えたり。

例えば『コスパ・タイパ』という言葉が思い浮かんで
やっぱり自分もそういうことついつい考えてしまうのだけれど
そういう社会的な風潮がモンスターを生み出してしまったのかな、とか。

それから『心はどこにある?』ということ。
人間の“心”ってどこにあるんだろう?胸?頭?脳みそ?
以前読んだ『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』を思い出して
博士が自分とそっくりのロボットをつくるのだけれど
みんなはそのロボットの方が博士よりも博士らしいっていう
その人らしさって一体なんなんだろう?
本人よりもロボットの方が本人らしいって本末転倒みたいな
(でもなんとなくその理由も分かるような気がしたり)そんなことを思い出したり。
たとえ話ができなくても心はちゃんと存在するし
心の中にあることを表現する、言語化するって実は高度なことなのかもしれないな、って思ったり。
言葉が出てこない子だっているし、言葉が出てこないから心がないわけではないのに、って。
「人」の定義や「生きる意味」って何だろう?
生産性がないと生きている価値がないのだろうか。
私は映画の中の“彼”が思っている正義を、ひっくり返せるような言葉が思いつかない……。

それからこういった施設では、本当にこんなこと(虐待)が行われているのだろうか
以前、八王子だったか、精神病棟のことが問題になったし
福祉の研修では、自分がストレスフリーでないと弱い人を虐待してしまうから
自分自身の心に余裕があることがとても大切だと教えられる……。

映画を観ている分には、スクリーンに映し出されているものは本物に似せたつくりものであり
例えば血だって本当の血ではなく“血のり”だと思うから
どこか安心してスクリーンを見られるのであって、あれが全て本物だったらとうてい直視できない。
(でも実際に起きたことを忠実に再現しているということなので
ラストシーンで事件につきあわされる羽目になったあの人は、あんな現場を見せられてしまったら
もう普通の意識を保つことはできなくなってしまうのではないだろうか、と思ったり)

映画の中ではいろんなテーマが混在していて
出生前診断をするかしないか、そんな内容にも触れられていて。
私は下の子ちゃんがお腹にいたとき
上の子ちゃんと真ん中ちゃんが水ぼうそうになったことを思い出しました。
私も水ぼうそうにはかかったことはなくて
子どもたちが小児科の先生に診てもらった時にそのことを話したら
「かかりつけの(産科の)先生に相談してください」と緊迫した面持ちで言われて。
で、そのあとちょうど診察があったので産科の先生に相談したら
「もしお母さんも水ぼうそうになってしまったら、お腹の赤ちゃんおろしますか?」と聞くので
「産みます」と即答したら
「じゃあ、心配しなくたっていいじゃない」と先生は笑って、あー、この先生、好きだなぁって。
真ん中ちゃんが逆子になってなかなか元の位置の戻らなかったときも
「江戸時代だって逆子はいたんだよ。でもみんなちゃんと自然分娩で産んでたんだから大丈夫」
って。
(でもそのあと、ぎりぎりのタイミングで元に戻ってくれたけど)

上映終了後のヴィヴィアン佐藤さんのトークと、一緒に上映を観た方が感想を発表していて
あくまでも物語であって、それが全てではない、というヴィヴィアン佐藤さんの言葉から
考える事自体、めんどくさい。考えることを他人にゆだねてしまっている。
社会全体がそんな流れになってしまっているけれど
この映画は物語であって、それがすべてではない。そこから考えることが大事。
という言葉が心に残りました。
確かに、私も考えることがめんどくさいと思って他人に考えをゆだねているかも。
安野光雅さんの「考えを誰かに託してしまっている」話を思い出しました。

そしてある施設の管理者。
映画に出てくる“彼”は境界知能(簡単にいえばグレーゾーンといえばいいのかな)だった。
今、自分がお預かりしている子の中にも
将来、彼のようになってしまうかもしれない子が出るかもしれない
そう思って言葉を震わせていたその姿もまた、印象に残りました。

誰の心の中にもある、差別という気持ちだったり、正義だったり
映画のなかに出てきたきいちゃんを思ったり、主人公が自問自答するシーンだったり
会場で一緒に映画を観た人たちがそれぞれに、静かに心の中で
いろんな考え、思いを反芻していました。
こうやって映画を観た後に解説を聞いたり、感想を共有することで
映画が自分の心の上を素通りすることなく、心の中にとどまる。
沢山の小石が心の中に放り込まれて、さまざまな波紋が生まれるように
心の中の川に大きな杭が打ちこまれて、そこにまたいろんなものがひっかかるように。

2023年8月6日日曜日

はなのころ

あそび工房の日、お昼ご飯を食べようと立ち寄ったピッケニッケ


ピクニックセットのレンタルサービスが始まったみたい。それもいいねぇ。


いつも店内には生花が飾られていて、素敵だなぁって思う。


前回はプレオープンだったのでハーフサイズだったサンドイッチがフルサイズに。


私はハーブが香るバインミー。(豚肉の香草焼きです)


ローストビーフも美味しそう。


でね、店内にステキなアート作品があったので「ん?これは?」と思ったら
はなのころのみなさんの作品でした。


お店の入り口にも。


棚の中にも。


絵画は壁に。


あ、お店の入り口にちゃんと紹介されてましたね……。
こちらの展示は8/6まででいったん終了したそうですが
8/18より新たな企画をスタート予定だそうです。


米粉のワッフルやトライフルも気になっているので、次回はぜひデザートに挑戦したい♪



2023年6月4日日曜日

「チョコレートな人々」の鑑賞感想会

感想会つきの回は他の方の感想を聴くことができて、自分以外の見方を知ることができるから
作品がおもしろそうだなぁと思った時は参加するようにしています。
それからKuramotoスタッフの思いに触れたことも大きいかな。


Kuramotoのカウンターで珍しいジュースやビール?なのかな、も販売していました。


私はクラフトコーラが気になる……。次回、挑戦してみよう。


映画が終わってから、コーヒーとチョコレートが出てきました。


映画にでてきた久遠のチョコレート。


私が手に取ったのはゆず味。珍しいなぁ。


分厚くカットされているので、すごく食べ応えあって美味しかった♪


チョコレートのお菓子作りは私の中では、手の温度が高いから作っている間にすぐに溶けてしまって
チョコレートのお菓子つくるのは苦手だなぁという思いがあったのだけれど
(同じ理由で型抜きクッキーも苦手)
でも逆転の発想でいけば
「チョコレートは失敗しても温めれば何度でもやり直しができる」ということでもあって。

タイトルの「チョコレートな人々」もそこからきているんだろうね。
失敗したって、何度だってやり直せるんだよ。人も、チョコレートも、ということかな。
なんだかあったかい。

手作り作家のまなふくさんも言ってたな。
どうして毛糸の作品が好きなのか。失敗してもほどいて編み直せばいい。
革とかレジンだと失敗するとゴミが沢山出るけれど、毛糸だとゴミが出ない。
だから毛糸が好きなのって。

映画を観て思うこと、考えることは沢山ありました。
その中でも一番に思うのは、社長のあり方かなぁ。「こんな人がいるんだあ」って。

福祉畑とは全然違う仕事から転職。
多くの借金を抱えながらも自分の理想を実現するために奔走する……。
障がい者に寄り添いながら仕事をするって聞こえはいいけれど、決して簡単ではありません。
それを商売として成り立たせて、利益が出るようにしているのだから。
しかもそれを福祉畑出身ではない人がするって本当にすごいことだと思います。
今、私は縁あって福祉のお仕事をさせていただいているから実感を持って言えます。

映画ではさらっとしか出てこなかったから
私は「あなたをそこまで駆り立てた熱源はなんですか?」と聞いてみたい。
理想はあっても、やっぱり自分の生活があるし、私はなかなかそこまで踏み切れない。
すべてを投げ打って、自分の理想を現実にするなんて……。
社長の熱意に動かされて、社長の仕事の手伝おうと転職した人もいるほど。
社長を突き動かした、そして周りの人まで変えてしまうほどの熱源を私は知りたい。


memo 
感想会で参加者の話を聞いて思い出した施設のこととヘラルボニーのこと
いわきでも障がいのある方の作品を展示したり、応援したりしている団体があること





障がい者の夢の花を咲かせる「はなのころ」 古滝屋6階にて絵を展示しているとのこと


1人で作品を鑑賞するのもいいけれど、他の人の感想を聴いたりすることで
自分の感想が深まったり、こんな風に思い出したり、人と繋がったりするのが楽しいんだと思う。