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2026年7月13日月曜日

探求心を持つこと

先月参加したtoirarcの特別企画での話。

「探求心を持つ」ということはソーシャルワーカーだけでなく

他の職種についても言えることだなぁとこの前の潮風マルシェで思いました。

(個別相談に対応できるように私なりの準備をしました。

起業アテンダントも大きなくくりでいえば対人支援になるからつながっているのかな)


それまでは実際に当事者の方に質問されたり、お願いされたりしなければ

自分で「それってなんだったけ?」と思っても

それは「仕事にならない=お金にならない」から別にそのままでいいや、と

分からないこと、記憶にあるけど思い出せないことをそのままにしていました。


でもあの企画に参加してベテランソーシャルワーカーさんの「探求心を持つ」という話を

実際の体験談を交えながら聴いたことで

それが「実際に仕事の場で必要になるか」「お金になるかならないか」ということでははないんだな

自分の引き出しを増やすことが大事なんだな、と思いました。

探求心を持って自分の引き出しを沢山作っておけば

いつか誰かの役に立つし、何よりそれがやがて自分を助けてくれるなぁと。


私が大学生の時に父に言われた「富士山の裾野は広いんだよ」ということを思い出しました。

専門的なことだけ積み上げたら高いビルみたいになるけれど

富士山がどのビルよりもはるかに高いのは裾野が広いから。

専門以外のこと、いろんなことの上に積みあがっているからだよ。

だから無駄なことなんて何もないんだよ、と。


あの企画に参加してすごくよかったとしみじみ思います。

2026年7月12日日曜日

たくあん

最近、漬物が美味しいと思うようになりました。

私が結婚したばかりの頃(その頃は主人の実家の近くに住んでいて)

母方の祖父母が漬けたたくあんをお土産に持って帰ると

義父と義母は岡山の田舎を思い出す、ととても喜んでくれました。

義母が友人たちにたくあんをお裾分けすると義父が

「自分たちの食べる分がなくなるからやめて~」と言っていたほどでした。

見た目も地味だし、ただのたくあんなのに、と思っていましたが

あの頃の義父と義母の年齢に近づいてきてやっとその美味しさに気づきました。

2026年7月4日土曜日

父とはんこ屋さん

昨日、出来上がったはんこを実家に持って行って両親に見せた。
その昔、実家のすぐそばにはんこ屋さんのお店があった。
はんこ屋さんのオーナーと父はとてもなかよしで
時間があると父は「はんこ屋さんに行ってくる」と言って
何をそんなに話すことがあるのだろうか、よくおしゃべりに行っていた。

子ども達のはんこもつくってもらえて私は嬉しかったし
もう引退していてもおかしくない年齢なのにまだまだ仕事をしていることが分かった時も
「ああ、よかった!!お願いできる」と思った。

はんこを箱から出して見せた。
オリジナルのフォントも螺鈿細工が施されたふくろうのデザインも
「素敵だねぇ、いいねぇ」と言い
母は私たち子ども達ひとり一人にはんこをつくったことを感慨深げに思い出していた。
父は印影をじーっとみながら「はんこ屋さん、腕を上げたなぁ」とつぶやいていた。

何度も何度も印影をじっくりと見ては「いいなぁ」という父。
友人が知らない間に腕を上げたことが嬉しかったのか
娘が長年の友人から大事な買い物をしたのか嬉しかったのか
はんこという、普段使わないものだし
コスパを考えたらそんなに高価なものでなくてもいいのかもしれないけれど
人生の節目に寄り添うものを大事にしたいという価値観が一致していたことが嬉しかったのか
何に嬉しくて満足そうにしていたのかは分からないけれど
父の、嬉しそうにしみじみと「いいなぁ」という顔を見て胸がいっぱいになった。
はんこ屋さんにお願いしてよかったなと思った。

2026年5月20日水曜日

父から聞いたおじいちゃんの話

時空散走リサーチで父方の祖父の話を少しずつ父から聞いている。
祖父は父が中学生の頃に亡くなったので母も私たち兄妹も祖父のことはよく知らない。
私も話を聞いても忘れてしまうだろうから、おじいちゃんのことをここに残しておこうと思う。

おじいちゃんは最初は炭鉱で石炭を掘っていた。
行方知れずだったが感電したことで電報が山形の実家に届き、居場所が分かった。
(落盤ではなく感電だった)

きっちゃん(おじいちゃんの父親違いの弟)の話。
おじいちゃんは会うたびにいつも違う格好をしていたそうだ。
ボロを着ていたり、かと思えばきちんとした身なりをしていたり。
何をしていたのか、父もよくは分からないけれど樺太まで行ったことがあるらしく
多分、日本全国いろんなところに行っていたのではないか、という話だった。
出雲大社にも行ったことがあったみたいだったし。

おじいちゃんの話をしていて父が思い出したのは
東京に仕入れや商談に行った帰りにアルコールを沢山仕入れて帰ってきた話。
途中、いくつか検問があったらしいがそこでお酒を飲ませて見逃してもらっていたらしい。
おじいちゃんは酒飲みだったのか聞いたところ、おじいちゃんは酒は飲まなかった。
(甘いものは大好きだったみたいだけれど)
炭鉱の人はみんなお酒が好きだったので、炭鉱で働く人のために仕入れてきたらしい。

戦争は行かなかったのか聞いてみた。
母方の祖父は衛生兵だった。
小学校の頃、社会の宿題で「戦争のことをお家の人に聞く」というのがあって
隣町に住む母方の祖父に何度か聞いてみたことはあるけれど話してくれることはなかった。
きっと大変な経験で思い出したり、口にするのもはばかられることだったのだろうと思う。
主人の父方の祖父も樺太に拘留されたりして大変だったと聞いた。

だから父方の祖父はどうだったのか聞いてみた。
赤紙は家の届いたらしいのだが、その頃は石炭の会社の経営に携わっており
祖父がいなくなってしまっては会社のことを分かる人がいなくなってしまう
軍需産業にも石炭を下ろしていたので、いないと困るということで延期になったようだ。

父方の祖父のお墓があるのは三宝寺
もともとは織田家の家紋と同じものだったけれど、おじいちゃんが庵木瓜に変えてしまったらしい。
鶴岡の善宝寺にもゆかりがあるらしい。香炉を奉納したお寺かな?

お寺には格があった」という話を思い出して
ということはおじいちゃんの実家は武家だったのかも?と思ったり。
主人の母方の祖父母の菩提寺にも行ったことがある。原爆ドームの近くだった。
お寺の名前を控えておけばよかったな。でも立派な人が眠るお寺だったのは覚えている。
主人の母方の実家は昔さむらいで、苗字はお殿様からいただいたのだと聞いた。
確かに義母の旧姓はとってもかっこよかった。

2026年5月18日月曜日

いわき時空散走2026春ツアー ~水と温泉をめぐる歴史をたどる~ ツアーレポート

お湯の街湯本でお湯と水をめぐる歴史をたどる~温泉神社から傾城の浄水場、子種神社へ~

湯本はその昔、至るところでお湯が自噴していました。しかしその一方で飲料水の確保には大変苦労していました。石炭を掘れば掘るほど地下水が枯渇していったからです。当時は隣町から湯本町に水を売りに来る人がいたほど。そして私の父が幼かった頃は、近所にある共同水道まで行って水をくむところから一日が始まる、そんな生活だったと聞いて驚きました。今は各家庭に水道があり、栓をひねったりレバーを上げ下げすれば水が出ます。それが当たり前の時代に生まれた私にとって家に水道がないということ自体、なかなか想像できませんでした。ということで今回のツアーではお湯の街湯本の、お湯と水をめぐる歴史をたどりたいと思います。みんなで当時の湯本の人たちの生活に思いを馳せてみませんか。


ということで、今回はA家食堂にてスタッフランチをするところからスタートしました。

A家食堂の建物が現存する炭鉱住宅長屋だと知ってから、また行きたいとずっと思っていました。


昼食後、いよいよツアーが始まります。
時空散走の常磐ツアーは毎回、湯本駅前集合だったのですが
今回は常磐支所をスタート地点にしました。
まず最初は自己紹介から。お隣の茨城県から「炭鉱」つながりで参加してくださった方も。
常磐炭鉱は高萩の方までありましたからね。


温泉神社に移動しおじいちゃんが奉納した石碑の前で
おじいちゃんの話をするところから時空散走 常磐ツアーが始まりました。


私が常磐地区担当のサポーターですが、私とこの土地のつながりや
古い地図を見ながらおじいちゃんは湯本でどんなことをしていたのか
それから最近おじいちゃんのことで発見した話をみなさんに聞いていただきました。

いわき湯本温泉旅館協同組合より温泉の湧出地区平面

それから今日の本題である「水と温泉をめぐる歴史」について
温泉神社の階段の上から湯本の町を見下ろして
温泉がでていた地域はここで、井戸があった場所はこのあたりだよ、という話を
いわき湯本温泉旅館協同組合のウェブサイトの画像を見ながら説明しました。

湯本は温泉は出るのに水は出ない土地でした。住民は飲料水の確保にどれだけ苦労したことか。
また明治時代には入山炭鉱の影響で温泉と水が出なくなってしまったため
水道を敷くことと温泉を復活させる申し入れを入山炭鉱に申し入れしたことや
それが原因で村長は辞職勧告決議をされたこともあったとか。
備中屋斎菊オーナーのおじいさんが書いた日記風の記録に書き残されていました。
ひと通り説明が終わったところで自転車旅が始まります。


今でも残る湯壺跡。なんだか来るたびにきれいに整備されていっている気がする……。
ここはかつて温泉が自噴していた場所で、この辺りにはこういった場所が沢山あったそうです。
FAROのオーナー北林さん時空散走の平地区サポーター)のおじいちゃんの手記を紹介。
なんと北林さんのおじいちゃんはその昔、幼少の頃湯本に住んでいたことがあり
それも私の実家のすぐ近所という、なんとも不思議なご縁があります。

北林さんのおじいちゃんの手記からは、温泉が豊富で近所に銭湯が沢山あってしかも安かったので
友だちとよくお風呂に入りに行っていたこと。
半面、水には苦労して早朝から井戸まで水を汲みに行っていたこと。
手桶に入れた水は重く、井戸から家まで水を持ち帰るのが大変な重労働で
水汲みができないと一人前の女性とは言えなかったことなど
当時の生活の様子が詳しく書かれていました。

湯壺跡からすぐ近くに移動し、父の話から昔、銭湯と共同水道があった場所へ移動。
私が生まれる少し前の時代は家に「水道」がなかった。
そんな時代を経て今があるんだと実感した場所で、父の話をしてから次なるポイントへ。


今度は傾城地区へ。
橋のたもとをにはレンガが積まれていてなにやらちょっとカッコイイ造りになっています。
ここは常磐炭鉱の最後の線路跡だったそうです。
東京あたりからもこの橋を見るために訪れる人が今でもいるそうで
自転車を停めて橋の下をみんなでのぞいていたら
橋のたもとにある理容店のおじいちゃんが出てきて説明してくれました。

実は「理容店のおじいちゃんがこの辺りの昔のことに詳しいんだよ」と聞いていて
話を聴きたくて何度かリサーチに訪れてはお店の周りをうろうろしたのですが
なかなかおじいちゃんに会えなくて、まさかツアー本番でお話を聴けるとは!!
 

橋から見える、川をまたぐ銀色のパイプ。
ずっとこの道を通る度に目にしてはいたものの、あまり気にも留めていませんでした。
今回のツアーでいろいろ調べていたところ
このパイプは水管橋という名前だと知ることができました。


理容店のおじいちゃんはこの水管橋やその向こうにある温泉ポンプ場のこと
台山にある温泉揚湯場からくみ上げたお湯がこの先の温泉ポンプ場まで運ばれて
そこからハワイアンズに行くルートと旅館街に運ばれていくルートがあると説明してくれました。

常磐湯本温泉株式会社 送湯管経路図

ちょうど私が説明しようと思っていたものを詳しく当時の様子を交えながらお話してくれたので
すごくよかった~。ありがたい。


橋の下、川底でコンクリートがL字型になっているのは
この近くにあった炭鉱住宅へ水を供給する水道管の跡。近くにポンプ場もあったそうです。
炭鉱住宅には水道がありましたが町には水道がなかったので
炭鉱住宅以外の人たちは飲料水の確保に苦労していました。
そこでこの次に行くのは傾城の浄水場跡。
この浄水場の完成は町の人たちにとっては悲願だったといいます。


と、ここでおじいちゃんが袋を持ってきました。中に入っているのは石炭。


常磐炭鉱の石炭をお土産にいただきました。


傾城の踏切から見た、山の上にある浄水場地跡。
踏切の手前で一度止まり、炭鉱住宅の共同風呂の話や
炭鉱の最盛期は踏切の先の道路は車も人も往来が激しくて(通行する人は一日数千人!!)
事故も多発していたことから傾城には県内初の歩道橋が設置されたことなども紹介しました。


山の上、木々の間に石垣っぽくなっているものがあるのが分かるでしょうか。
私はずっとここが何なのか、気になっていました。
元々はお城があったところに浄水場ができたのだと
幼少期、この辺りに住んでいたというみっとんさんに教えてもらいました。


民家の間を抜けて階段を上るとゆるい上り坂。そして見えてきた石碑。


約7㎞の水路を計画して4年で施工したこと
飲料水に恵まれなかったために水道ができることは住民の希望であったこと
この町に住んで水をくむ人は先人の苦心の跡を追想して、などと書かれていました。
水をめぐっては本当に苦労し、浄水場ができて喜んだ先人の姿が思い浮かびます。


今でも一番上まで上ることができます。


中に入ることはできませんが、浄水場跡地は今はこのようになっています。


浄水場跡地から下を眺めて見ました。
傾城の道路は昔は数千人の人の往来があったなんて!!
石炭を運ぶ車などもひっきりなしに行き来していたんでしょうね。
この近くにある湯本2小も今はだいぶ児童数が減ってしまいましたが
その頃は炭鉱で働く人の子どもが通っていたので
当時はものすごい児童数のマンモス小学校だったと理容店のおじいちゃんも話していました。
昔はとっても賑わっていたんだろうなぁ。


浄水場を後にした私たちはいわき市石炭化石館 ほるるへ
おみやげコーナーで参加者のみなさんに見せたい推しキャラがいるのです。


彼は石炭の袋のプリントされていた「タンクロー君」です。
Tシャツの他にトートバッグもあります。トートバッグ、おすすめです。


あ、知らない間にトートバッグの黒バージョンが発売されてた!!
(白バージョンは持っているので、情報を聞いた主人が後日購入してきました。
そしてなぜか黒バージョンの方が値段が高い……)


おみやげコーナーの隣がコミュニティスペースになっているので
ちょっと飲み物を飲んで休憩タイム。
嬉しかったのは参加された方がタンクロー君のトートバッグを購入したこと。
私の推しキャラグッズの購入、ありがとうございます。


帰り際、顔はめパネルで写真を撮りました。みんな楽しい人たちだー。


ほるるから温泉揚湯場の前を通り、子種神社へ。
信号待ちをする時間に簡単に温泉揚湯場の説明をしました。


子種神社はその名の通り子授け、子宝、安産にご利益のある神社ですが
ここにある井戸は水量が豊富だったので町の人たちはここへ水を汲みにやってきたそうです。

私はずっと不思議に思っていたことがあります。
夏になると子種神社の祭礼が鶴の足湯で行われることです。
神社のお祭りって神社の周辺で行われるイメージがあって
鶴の足湯といったら神社からだいぶ離れているところにあるのに、どうしてなんだろう?って。
それは昔、飲料水の確保に困っていた町の人たちがこの井戸の水で助けられたから
町の人たちは今でもこの神社を大切にしているのだということを
今回の時空散走リサーチで知ることができました。


なんとかひと通り予定していた場所を回ることができました。
時間的にも余裕があったので
ゴールする前に久つみさんで美味しいものを食べようと駅前へ寄り道。


馬方ようかんはいわき地域独特の羊羹なんですよ、という説明とともにみなさんとお買い物。
「手作りわらび餅も美味しいよ」というメンバーからの情報で私はわらび餅を購入。


イチゴ大福や温泉饅頭、湯本温泉にゆかりのある野口雨情にちなんだお菓子などいろいろあります。


「石炭まんじゅうは初めてかも!!」と私は石炭まんじゅうも購入。
お店の向かい側のベンチに座ってみんなで羊羹やまんじゅうを食べて
ゴールまでの英気を養いました。(ゴールまで近いけど)

今回は私が「おもしろい!!」と思った発見を参加者の方と共有したいと思って考えてみました。
事前のリサーチも
1つを調べていくとそれに付随していろんなものが次々に浮かび上がってきたりして
とても楽しいものでした。
自分の住む町の今まで知らなかった歴史に触れて
何となく素通りしていたけど足をとめて見たら実はおもしろいものが沢山あって
そんなことに出合えたツアーだったのではないかと思います。

今回はUsura Casuraさんの投稿にアイディアをいただき、出来上がったツアーです。
Usura Casuraさん、備中屋斎菊さん、FARO北林さん、馬上理容店のおじいちゃん
Cafe みっとんさん、ありがとうございました。

次回はスパリゾートハワイアンズ60周年にちなんで
ハワイアンズにつながりのあるフラガール常磐コールシスターズ黒カレー
いわきFCの応援団にまつわる話など
ハワイアンズを軸に昔と今を行ったり来たりするツアーをしたいなと思います。
また次回の常磐ツアーでお会いしましょう。

2026年5月11日月曜日

お寺の話など父から聞いた話のメモ

実家で時空散走のリサーチをしていた時に父が話していたことも忘れないように記録しておこう。

時空散走のリサーチをしていた時に父が話していて

そんな話、日本史の勉強で聞いたことがあったなぁと思い出した。

 

お寺には「格」があった、ということ。身分によってお寺(菩提寺)が違う。

現在ではお寺は自分の好きなところを選べるような、そんな感じだけれど

昔は武士や商家、農民、穢多・非人それぞれの属性で菩提寺が決まってしまった。選べなかった。

だから昔は縁談があると相手の家のお寺を調べた。そうするとどういう出自の人かが分かった。

なるほどなぁ~と思った。

 

妙覚寺では朝鮮からの人や無縁仏を弔っていたけれど

新しくできたお寺だったのでできたのかもしれないし

昔からあるお寺は格の関係でできなかったのかもしれないな、と思った。

 

それから妙覚寺には女郎屋の女郎のお墓もあると言っていた。

炭鉱が華やかだった頃は町には女郎屋も沢山あったからだ。

 

それから炭鉱の落盤で亡くなった人のお墓もあるそうだ。

当時、炭鉱では坑区が1つの組で受け持って担当していた。

地下にもぐって穴を掘る作業をするのだが、暗い地下では他の人と顔を合わせないで済むので

素性を知られたくなかった人なども多かった。

坑区の組長はみんな面倒見がよく、自分の組で亡くなった人の供養もしていた。

1つの組が家族のような、たぶんそんな感じだったのだろう。

だから事情がある独り者の人も炭鉱に集まってきて働いていたのではないか、という話だった。

2026年5月10日日曜日

会社の名前の由来

今回の時空散走ツアーで、おじいちゃんがつくった会社の名前の由来を知ることができた

それが一番の収穫でした。


ツアーのスタート地点でおじいちゃんの話をしたときに参加者の人から

「会社の名前にある山ってもしかしてこの山のことですか?」と質問されました。

私は今まで疑問にも思ったことがなくそのまま受け入れていた名前だったので

私も「あ、そうか」と初めてそこで知りました。

そしておじいちゃんのとんでもなく篤い信仰心に驚きました。やっぱりただものではない!!


ツアーが終わって夕方、実家に行って両親に聞いてみたら

二人口をそろえて参加者の人と同じことを言うので

「え、知らなかったのって私だけ?」と思いました。(笑)

いろんな人が参加するとそれだけ視点も異なるし

自分では気づかないことも教えてもらえるからいいなぁと思います。

今回、指摘されなかったらきっと私は一生その名前の意味を知ることはなかったと思います。


時空散走は町の思い出や歴史をたどるものでもありますが

私にとっては父方の祖父母を知る旅でもあります。

(祖父は父が中学生の時に亡くなったので母も祖父のことは知らないのです。

だから祖父のことは伯母や親せきの人に聞くくらいであまり分かりません。

私の中での祖父は輪郭すらもぼんやりしています)

父に「おじいちゃんのことを教えて」といっても何を話していいのか分からないと思います。

今回も時空散走のリサーチをするためにちょこちょこ質問してみたのですが

そうやって具体的に聞いてみると父も思い出しやすいみたいでいろいろ話してくれました。

会社の名前の由来についても私の中では大発見です。

時空散走は私にとっては親孝行の旅でもあります。

2026年5月6日水曜日

本 運転者 未来を変える過去からの使者

連休前に職場で「面白いよ」とすすめられて借りてきた本。
おもしろくてあっという間に読んでしまった。
運を転ずる者、だから「運転者」。私はてっきりドライバーのことかと思った(笑)

運転者

著者の喜多川泰さんは「勉強は自分のためにやるんじゃない」という言葉の人だと覚えていた。

以前読んだ「徳のレンガを積む」話を思い出したり
運がいい、悪いというのではない、自分が今まで貯めたポイントを使っているだけ。
ポイントを小出しにして使う人もいればポイントを貯めて一度の使う人、いろいろいるけれど
とにかくたまっていなければ使えない、それはポイントカードを想像すると分かりやすい
という話がとても分かりやすくて、そうだなぁと思って読み進めた。

本の中でもいわれていたことだけれど、私も感じていたことがある。
父も母も、義母も他人に尽くす人だった。
彼らのおかげで私たちの後ろにはきっと見えない徳が貯まっている。
私たちは日々いろんなことがあるけれど、ここぞというときにはホントに助けらることが多い。
それは彼らが貯めた見えない徳のおかげなんだろうな、と。
でも私たちがピンチから救われるとそれは減っていってしまうから
私たちは子ども達のために、減った分以上のものを貯めていかないといけないな、と。
だから同じことを考えている人がいることに驚いた。

誰かに喜んでもらったことは自分にすぐにリターンがなかったとしても損はしていない
だって見えないポイントは貯まるのだから。
それは「情けは人の為ならず」と同じようなことなのかもしれない。

いつも上機嫌でいること、いろんなことに興味を持つこと
そうじゃないとチャンスが来ても気づけないよ、ということも大事なことかな。

2026年4月25日土曜日

日々感じていること

主人は家族の前で私のことをよくほめる。とにかくほめる。惜しげもなくほめる。
子ども達の前で恥ずかしくないのかなぁと思うけれど。
そんな主人をえらいなぁと思う。ま、私も主人のことをほめるけれども。

主人のことをすごい人だなぁと思う。本当に、つくづく思う。

2026年4月15日水曜日

山形との繋がり

父から聞いたことを忘れないようにメモ。

おじいちゃんが秋田に連れて行った瀬戸物の先生は山形の平清水焼の先生。

古い地図に書いてあった、おじいちゃんの会社の「食料品」の文字。

それはおじいちゃんが五進金属の役員をしていて山形に行った帰りに

白菜などの野菜を大量に仕入れて貨車で運んで、それを売っていたとのこと。

単身で山形から出てきたけれど、故郷を捨てたわけではなくてずっと山形との繋がりを持っていた。

(おばあちゃんも山形出身だし)

山形のお寺に行った時は見つけられなかったけれど、香炉のほかに蠟燭立ても奉納していた。


「湯殿山」の文字を書いたのは青木仁蔵 出羽神社宮司。(その後、日光東照宮の宮司へ)


温泉神社のお神輿は東京でおじいちゃんがが見つけてきたもの。(何人かで購入した)

Kさんが生きていたらもっといろんな話を聞けたのになとつぶやく父。

Kさんは地元でも有名な歴史家だし、我が家とも親交があった人物だから。


父に「おじいちゃんのこと教えて」といっても何を話していいか分からないけれど

ピンポイントで聞くと古い記憶を手繰り寄せるように思い出したり

あ、そういえば、と思い出してくれたり

聞き方、話の引き出し方も大事だな、って思ったり。

2026年2月4日水曜日

じいちゃん、かっけぇ 

実家に行ったら父が「試験どうだった?」と心配していた。
新カリキュラムになった過渡期だから、結構大変だった話をして
資格を取得した人たちはどんな仕事をしているのかを説明する。
刑務所のような司法の場で仕事をする人もいるんだよ、というと
「刑務所の話で思い出したよ」と父が祖父の話をしてくれた。 以前、家の片付けをしていたら
秋田刑務所の所長から祖父への感謝状がでてきたことがあったそうだ。
祖父は瀬戸物(故郷の山形の平清水焼の先生)やタカ帚の先生を刑務所に連れて行き
受刑者に製品づくりを教えて出来上がった製品を買い取っていたそうだ。
そしてそれを地元に持ち帰り、炭鉱で販売していたとのこと。

祖父はもともと炭鉱で働いていたけれどその後、石炭を扱う会社を興して
でも古い地図を見ると日用品なども扱っているお店のような感じだったので
あらためて聞いてみたら、刑務所作業製品の他に
祖父が山形の五進金属という会社の役員をしていたので
その会社でつくっていたアルミの鍋や山形で仕入れた白菜などの野菜を販売していたそうだ。
そういえば私が幼かった頃
家の物置に売り物と思われる箱に入った鋳物の鍋がいくつもあったことを思い出した。

自分が信仰していた神社に狛犬を奉納したというので行ってみたら想像を超える大きなサイズで
これにも非常に驚いたけれどこの刑務所の話にも驚いた。
作業の先生を紹介しただけでなく出来上がった製品を買い取るとは。

いろいろ豪快な人だったとは聞いていたけれど、予想をはるかに超える大きな人だったんだな。
福祉の勉強している私としてはすごく嬉しいし、誇りに思う。



2025年11月15日土曜日

自分の機嫌は自分で取る

「自分の機嫌は自分で取る」って分かってはいるけれど

外で落ち込むことがあったり、イヤなことがあるとつい家の中にも持ち帰っちゃうんだよね。

いかんいかん、と思うんだけど。

主人はどうだろう?と思って、あんまり不機嫌なことってなくて

(ケンカすることはもちろんあるけど)

えらいなぁ、大人だなぁって思う。


2025年11月9日日曜日

大事なおもてなし

大事な人のおもてなし。まずはいわきワイナリーへ行って梨のワインをお土産に。


その後、寄り道して地元ならではの羊羹である馬方羊羹を買って
アンコウのどぶ鍋をお土産に持って帰りたいというリクエストで道の駅へ。
事前に調べたら道の駅にある海鮮屋さんで取り扱っているということでした。
行ってみたら冷凍庫のショーケースに入っていて(そこまで調べなかった~)
要冷凍品なので持ち帰りよりも宅急便で送った方がいいということになりました。

そしてお待ちかねの夕食。どこにしようかといろいろ考えてもぐらにしました。


夜のお料理はいろいろあったのだけれど、一番高いメニューに。
毎月、月ごとにお料理が入れ替わるので何が出てくるか楽しみでした。


お造り5点盛り。


石狩鍋!!味噌酒粕仕立て。
この味噌味がなんともいえずすごく美味しかった~。酒粕が入っていたんだね。
魚介のお鍋もいい♪


銀鮭塩麹焼き 大根おろし はじかみ
塩麹効果なのかな?味付けがすごくよくて
普段は皮は食べないのだけれどこれは皮まで食べました。
はじかみってこの長い生姜のことで、口直しらしい。あー、食べればよかった。


海老のマヨソース和え グラス仕立て
海老がアツアツで、マヨソースにすごくよくあってた。


茶碗蒸しと活鮑の踊り焼き。
鮑は火が消えるまで蓋を取らないで、とのことだったので踊っているところは見られなかったけど。
薄味のソース(バターかな?)がかかっていて、ソースを絡めながらいただきました。


ザルそば 豚肉と長ネギのつけ汁
おそばのつゆがちょっと甘めで、口に含んだ「あ、美味しい!!」とビックリしました。
どんな配合だとこんな甘めの美味しいおつゆになるんだろう?家でもつくりたいな。
焼いたお肉の香ばしい感じもしてよかった~。


旬のフルーツ 抹茶とバニラアイス白玉ぜんざいの大きんなパフェ
そして写真撮影会が始まる~。


パフェのあっち側とこっち側から撮ってみました。
締めのパフェがすごい!!と聞いていたのですごく楽しみだった~。
お料理ですでにお腹がパンパンだったけれど、パフェはみんな別腹で平らげました。

食事をしながらまるたま家の父のおしゃべりのおかげでさほど緊張することもなく
和やかに美味しい時間を過ごすことができました。

2025年10月8日水曜日

喜寿

両親が喜寿だということに気づかずにいた……。

まず、喜寿って何歳?というところから始まって(苦笑)

喜寿のプレゼントは紫色のものだということも知って。

妹からは夫婦茶碗なんてどうかな?という提案があったら検索してみたら

素敵な薄紫色の夫婦茶碗を見つけた!


金婚式の時も本人たちから言わせちゃって~。

米寿の時は忘れないようにしよう。


2025年9月19日金曜日

栗のバゲット

久しぶりにルージュさんに行ってきました♪なんとか午前中のうちに行けたのがよかった~。


栗のバゲットが美味しそうで、栗好きな父にも食べさせたいなぁと思って。
写真を撮り忘れたので、お店のInstagramから。

栗が丸ごとごろっと入っていて父も大喜び。我が家でもみんなでなかよくわけていただきました。

2025年8月24日日曜日

祖父のこと

時空散走のレポートで祖父のことも書いてもらえた。

兄妹間でも祖父について知っていることはバラバラだから

こうやって文章と写真で紹介してもらえて嬉しい。


みんなにも読んでもらいたい。兄妹やその家族にも。

どんな人から命を分けてもらって今、私たちがここにいるのかを知ってもらいたい。


自分たちのルーツを探しに行こうツアー、やってよかったなって思う。

祖父は父が中学生の時に他界したので

自分たちから聞かないとどんな人だったのか全然分からないから。

母も会ったことすらないけれど、祖父がいたから私たちはここにいるわけで。

だからせめてどんな人だったのかだけでも、孫である私は心の中に留めておきたい。

2025年6月16日月曜日

お父さんの顔

 朝ご飯を食べていた下の子ちゃんが「あ」というので「どうしたの?」と聞くと

冷蔵庫から取り出してきて「昨日、渡すの忘れた……」と。かわいいお父さんの顔‼


早速主人に知らせたらとっても喜んでいました。

2025年4月3日木曜日

老いる、ということ

母親と話していて思い出したこと。

赤ちゃんは日に日にできることが増えていくけれど

年を取ると日に日にできなくなることが増える。

それまでできていたことが急にできなくなることに慣れていくのだと何かで読んだ記憶がある。

両親もだんだん年老いてきて、まさにちょっとずつ今までできていたことができなくなりつつある。

私もやがてそうなっていくんだろうなぁ。

そうなったとき、そういう現実を受け入れるのはやっぱりきついなぁって思う。