今回はA家食堂にてスタッフランチをするところからスタートしました。
こちらの建物は現存する炭鉱住宅長屋なのでずっと行きたいと思っていました。
いつもは湯本駅前集合だったのですが、今回は常磐支所をスタート地点にしました。
まず最初は自己紹介から。お隣の茨城県から「炭鉱」つながりで参加してくださった方も。
常磐炭鉱は北茨城の方までまたがっていましたからね。
温泉神社に移動しおじいちゃんが奉納した石碑の前で
おじいちゃんの話をするところから時空散走 常磐ツアーが始まりました。
| いわき湯本温泉旅館協同組合より温泉の湧出地区平面 |
それから今日の本題である「水と温泉をめぐる歴史」について
温泉神社の階段の上から湯本の町を見て、温泉がでていた地域はここで
井戸があった場所はこのあたりだよ、という話を
いわき湯本温泉旅館協同組合のウェブサイトの画像を見ながら説明しました。
温泉は出るのに水は出ない、飲料水の確保がどれだけ大変だったか。
また明治時代には入山炭鉱の影響で温泉と水が出なくなってしまったため
水道を敷くことと温泉を復活させる申し入れを入山炭鉱に申し入れしたことや
それが原因で村長に辞職勧告決議をされた話が
備中屋斎菊のオーナーのおじいさんの書いた日記風の記録に書かれていることを紹介して
自転車旅の始まりです。
今でも残る湯壺跡。なんだか来るたびにきれいに整備されていっている気がする……。
かつて温泉が自噴していた場所で、この辺りにはこういった場所が沢山あったそうです。
なんと北林さんのおじいちゃんはその昔、幼少の頃湯本に住んでいたことがあり
それも私の実家のすぐ近所という、なんとも不思議なご縁があります。
北林さんのおじいちゃんの手記からは、近所に銭湯が沢山あってしかも安かったので
友だちとよくお風呂に入りに行っていたこと。
半面、水には苦労して早朝から井戸まで水を汲みに行っていたこと。
手桶に入れた水は重く、井戸から家まで水を持ち帰るのが大変な重労働で
水汲みができないと一人前の女性とは言えなかったことなど
当時の生活の様子が詳しく書かれていました。
湯壺跡からすぐ近くに移動し、父の話から昔、銭湯と共同水道があった場所へ移動。
私が生まれる少し前の時代は家に「水道」がなかった。
そんな時代を経て今があるんだと実感した場所です。
橋のたもとをにはレンガが積まれていてなにやらちょっとカッコイイ造りになっています。
ここは常磐炭鉱の最後の線路跡だったそうです。
東京あたりからもこの橋を見るために訪れる人が今でもいるそうで
自転車を停めて橋の下をみんなでのぞいていたら
橋のたもとにある理容店のおじいちゃんが出てきて説明してくれました。
実は「理容店のおじいちゃんがこの辺りの昔のことに詳しいんだよ」と聞いていて
話を聴きたくて何度かリサーチに訪れてはお店の周りをうろうろしたのですが
なかなかおじいちゃんに会えなくて、まさかツアー本番でお話を聴けるとは!!
橋から見える、川をまたぐ銀色のパイプ。
ずっとこの道を通る度に目にしてはいたものの、あまり気にも留めていませんでした。
今回のツアーでいろいろ調べていたところ
このパイプは水管橋という名前だと知ることができました。
理容店のおじいちゃんはこの水管橋やその向こうにある温泉ポンプ場のこと
台山にある温泉揚湯場からくみ上げたお湯がこの先の温泉ポンプ場まで運ばれて
そこからハワイアンズに行くルートと旅館街に運ばれていくルートがあると説明してくれました。
![]() |
| 常磐湯本温泉株式会社 送湯管経路図 |
ちょうど私が説明しようと思っていたものを詳しく当時の様子を交えながらお話してくれました。
水面の下にコンクリートでL字型になっているのは
この近くにある炭鉱住宅へ水を供給する水道管の跡。
炭鉱住宅には水道がありましたが町には水道がなかったので
炭鉱住宅以外の人たちは飲料水の確保に苦労していました。
そこでこの次に行くのは傾城の浄水場跡。
この浄水場の完成は町の人たちにとっては悲願だったと思います。
と、ここでおじいちゃんが袋を持ってきました。中に入っているのは石炭。
常磐炭鉱の石炭をお土産にいただきました。
傾城の踏切から見た浄水場地あと。
踏切の手前で一度止まり、炭鉱住宅の共同風呂の話や
炭鉱の最盛期は踏切の先の道路は車も人も往来が激しくて(通行する人は一日数千人!!)
事故も多発していたことから傾城には県内初の歩道橋が設置されたことなども紹介しました。
私はずっとここが何なのか、気になっていました。
元々はお城があったところに浄水場ができたのだと
幼少期、この辺りに住んでいたというみっとんさんに教えてもらいました。
民家の間を抜けて階段を上るとゆるい上り坂。そして見えてきた石碑。
約7㎞の水路を計画して4年で施工したこと
飲料水に恵まれなかったために水道ができることは住民の希望であったこと
この町に住んで水をくむ人は先人の苦心の跡を追想して、などと書かれていました。
水をめぐっては本当に苦労し、浄水場ができて喜んだ先人の姿が思い浮かびます。
今でも一番上まで上ることができます。
中に入ることはできませんが、浄水場跡地は今はこのようになっています。
浄水場跡地から下を眺めて見ました。
傾城の道路は昔は数千人の人の往来があったなんて!!石炭を運ぶ車などもひっきりなしに行き来していたんでしょうね。
その頃は炭鉱で働く人の子どもが通っていたので
湯本2小も人数が沢山のマンモス小学校だったと理容店のおじいちゃんも話していました。
とってもその頃は賑わっていたんだろうなぁ。
浄水場を後にした私たちはいわき市石炭化石館 ほるるへ。
お土産コーナーで参加者のみなさんに見せたい推しキャラがいるのです。
彼は石炭の袋のプリントされていた「タンクロー君」です。
Tシャツの他にトートバッグもあります。トートバッグ、おすすめです。
あ、知らない間にトートバッグの黒バージョンが発売されてた!!
(白バージョンは持っているので、情報を聞いた主人が後日購入してきました。
そしてなぜか黒バージョンの方が値段が高い……)
おみやげコーナーの隣がコミュニティスペースになっているので
ちょっと飲み物を飲んで休憩タイム。
嬉しかったのは参加された方がタンクロー君のトートバッグを購入したこと。
私の推しキャラグッズの購入、ありがとうございます。
ここにある井戸は水量が豊富だったので町の人たちはここへ水を汲みにやってきたそうです。
私はずっと不思議に思っていたことがあります。
夏になると子種神社の祭礼が鶴の足湯で行われることです。
神社のお祭りって神社の周辺で行われるイメージがあって
鶴の足湯といったら神社からだいぶ離れているのに、どうしてなんだろう?って。
それは昔、飲料水の確保に困っていた町の人たちがこの井戸の水で助けられたから
町の人たちは今でもこの神社を大切にしているのだということを
今回の時空散走でリサーチすることで知ることができました。
馬方ようかんはいわき地域独特の羊羹なんですよ、という説明とともにみなさんとお買い物。
なんとかひと通り予定していた場所を回ることができました。
時間的にも余裕があったので、ゴールする前に久つみさんで美味しいものを食べよう
と駅前へやってきました。
「手作りわらび餅も美味しいよ」というメンバーからの情報で私はわらび餅を購入。
「石炭まんじゅうは初めてかも!!」と石炭まんじゅうも購入。
お店の向かい側のベンチに座ってみんなで羊羹やまんじゅうを食べて
ゴールまでの英気を養いました。
今回は私が「おもしろい!!」と思った発見を参加者の方と共有したいと思って考えてみました。
事前のリサーチも
1つを調べていくとそれに付随していろんなものが次々に浮かび上がってきたりして
とても楽しいものでした。
自分の住む町の今まで知らなかった歴史に触れて
何となく素通りしていたけど足をとめて見たら実はおもしろいものが沢山あって
そんなことに出合えたツアーだったのではないかと思います。
次回はスパリゾートハワイアンズ60周年にちなんで
いわきFCの応援団にまつわる話など
ハワイアンズを軸に昔と今を行ったり来たりするツアーをしたいなと思います。
また次回の常磐ツアーでお会いしましょう。

