先日の大野・玉山ツアーに参加して思ったこと。
四倉って市立幼稚園が多いところでした。 常磐も市立幼稚園が多いところでした。 四倉も常磐も市立幼稚園はどんどん閉園していっていますが。
私は市立幼稚園出身で、幼稚園も保育園もどっちも市立のものがあると思っていたら
結婚して県外に出てみて、他の自治体って市立保育園はあるのに市立幼稚園がなくて
いわきは独特だったんだと気づきました。
いわき市内でも市立幼稚園が沢山あるところと
反対に全くないところ(例えば泉とか)と偏りがあってそれも面白いなと思っていました。
常磐と四倉も市立幼稚園が沢山あって(常磐は5園あってそのうち3園は閉園)
常磐は炭鉱で子どもの数が多かったからかなぁとなんとなく想像できていたのですが
四倉にどうして4園あったのかよく分からなくてでもこの前のツアーに参加して
過去に銅山などがあって常磐のように沢山子どもがいたという歴史があるのかな?と思いました。
その疑問を時空散走メンバーと共有したところ
プロデューサーの陸奥さんがAIで調べてくれました。
常磐地区が「炭鉱」という明確な産業で栄えたのに対し、四倉地区に多くの公立幼稚園(第一〜第四)が存在したのは、昭和の大合併によって複数の特色ある自治体が一つになり、それぞれの集落(小学校区)ごとに幼稚園が整備されたからです。
四倉に4つの幼稚園ができた背景には、主に3つの理由があります。
1. 3つの異なる自治体が合併したため現在の四倉町は、1955年(昭和30年)の「昭和の大合併」によって、以下の3つの独立した町村が一つになって誕生しました。
旧・四ツ倉町:沿岸部の中心市街地
旧・大浦村:農業が盛んな平野部
旧・大野村:鉱山や林業が盛んな山間部合併前の各町村にはすでに独自のコミュニティや小学校があり、合併後もそれぞれの地域(旧町村や小学校区)の子どもたちのために、バランスよく公立幼稚園が配置されました。そのため、1つの町の中に4園もの公立幼稚園が並び立つことになりました。
2. 「農・漁・工・鉱」が揃った複合型産業の町だった常磐のような単一の巨大炭鉱都市とは異なり、四倉はさまざまな産業が同時に全盛期を迎えていました。これにより、地域全体で高い人口密度が維持されていました。
商業・漁業(市街地):江戸時代からの宿場町・港町として栄え、平や小名浜に次ぐ都市規模でした。
工業・セメント(沿岸部):明治40年に「磐城セメント(後の住友大阪セメント四倉工場)」が設立され、近代工業の拠点として多くの労働者が移り住みました。
鉱業(山間部):大野地区には「八茎(やぐき)銅山」があり、明治末期から昭和にかけて、ふもとの玉山地区に2,000人規模の社宅街が建つほどの隆盛を極めました。
農業(平野部):大浦地区を中心に広大な農地が広がり、多くの三世代同居世帯や農家が暮らしていました。
こういう時にAIを使うといいのか!!という発見と一緒に
四倉って私の持っていていた漠然としていたイメージ(海と山があるというまち)と全然違って
なんだかすごく豊かなまちだったんだなぁということを知ることができました。
こういった歴史を踏まえて、何かまたできたら面白いだろうなぁ。