大人向けの「ベイビーシアターをつくってみるワークショップ」に参加してきました。
ベイビーシアターは今年3月にアリオスで市内で初めて上演され、私も観劇しました。
不思議な感覚の劇だったので「これをつくってみる?!」って
もしかしたら私はとんでもないものに参加をOKしてしまったのでは……
と内心思っていました。
会場には市内でお子さんと関わるお仕事をされている方が集まり
あかちゃんとおとなが一緒に体験できる舞台芸術をつくっている
BEBERICA(ベベリカ)のスタッフと
みんなで自己紹介をするところから始まりました。
次に「ベイビーシアターとはなんぞや?」の説明。
ヨーロッパで生まれ、日本にやってきた舞台芸術。
舞台芸術の観客としてみられていなかったあかちゃんにも観劇体験を、と始まったものですが
日本ではお母さんに一人ぼっちの孤育てをさせないために
子育て支援の一環として取り入れられている側面もあるそうです。
それからあかちゃん独特の意識感覚。
あかちゃんを研究した方が書いた本「哲学するあかちゃん」によると
あかちゃんはランタン型の広い意識(周りのあらゆるものごとを明るく照らし出す意識)を
もっているのだそうです。
大人はというと、スポットライト型(スポットライトを当てた一点だけが明るく見えている)。
では実際にベイビーシアターを体験してみましょう、と参加者は好きなところに寝転がり
ベイビーシアターが始まりました。
目を閉じていても開けていてもいい。ゆったりした気持ちで、リラックスした状態で。
優しい語りと、音と光、そしてふわふわ触ってくる感触。
ふしぎなふしぎな、やさしい、あたたかい、なつかしい、そんな気持ちを思い出す時間。
覚えてはいないけれど、お母さんのお腹にいた頃ってこんな感じだったんだろうな、と。
あかちゃんは五感で感じる。
でも大人は言葉があるから、どうしても先に言葉で、頭で考えてしまって
五感で感じてはいても、その感覚は薄くなってしまう。
だから今日は、あかちゃんの気持ちに戻って言葉ではなく五感で感じる……。
あかちゃんは5つある感覚のうち「触覚」が一番早く発達するそうで
“ベビーマッサージ”はあかちゃんのその特性を利用しているのですが
ベイビーシアターでも「触覚」を刺激する点が大人の劇と違うところかな、と思います。
きっと、あかちゃんは沢山感じていても言葉にできない。
インプットはあってもただアウトプットができないだけで
大人より沢山のことを感じて、大量の感情が内側にあふれているのかもしれません。
「それじゃあ今度はみなさんでベイビーシアターをつくってみましょう」と。
ベベリカ代表の弓井さんは観客として残りましたが
他のベベリカスタッフと参加者が二つのグループに分かれ、企画会議が始まりました。
参加者のみでつくりましょう、って言われたらどうしよう、と思っていたので
ベベリカスタッフがグループに入ってホッとしました。
まずはテーマ決め。
私は「海」はどうだろうか?イメージを共有しやすいし、表現しやすいかなと思って提案すると
「じゃあ、みなさんの海の思い出やイメージはどんなですか?」とベベリカスタッフ。
それぞれ海にまつわる想いを話すと「これで(劇が)できるんじゃない?」と。
みんなの言葉を書き出して、言葉(セリフ)の順番を決めたら
なんとか起承転結な内容になりました。
今度はそれをどの小道具で表現できるか、小物探し。
音や色や感触、五感に訴えるものを駆使して、それぞれの内面にあるイメージを表現します。
それぞれの想いを順番に、セリフとして観客に語りかけ
同じチームの人がその言葉のイメージに近いものを小道具を使って表現していく。
ボールに入れ、揺らすことでできる水の音で波を
裸足で感じるザラザラな砂の感触はレース状のザラザラな布を手や足で触ってもらったり
細長いホースをぶんぶん振り回すことで風の音を
キラキラ五色で光る照明でシーグラスをイメージして。
ベイビーシアター、難しい、どうしよう……と思っていたけれど
やってみたら意外となんとかできるもの。
それはベベリカスタッフがいたから適切なところでヒントやアドバイスをいただけたから。
それからこれはこの前、ある劇のアフターワークショップの時にも感じたことだけれど
他の参加者がみんな私のことを受け入れてくれて、すごく心理的安全性を感じたこと。
間違っていないかな、あってるかな?へんなこといってないかな、やってないかな?
初めましての方たちなのですごく考えてしまうのが私の悪いクセだけれど
そんなこと全然心配しないで飛び込んでも、そのまま全部受け止めてもらえるという安心感。
次に相手グループのベイビーシアターの発表。
私たちの時は好きなところで観劇してもらったのだけれど
こちらは観劇する人は中央に丸く輪になって、隣の人と身体をくっつけ合うスタイルでした。
タイトルは「またね」
私たちは「海」という割とはっきりしたイメージを表現したのだけれど
こちらのグループは正反対な、抽象的なイメージのベイビーシアター。
部屋の照明が落とされてギリギリの明るさ。
両隣の人の身体のぬくもりを感じ
静かな中でさーっとした感触やふわふわした感触がやってきて
私は「となりのトトロ」に出てくる“すすわたり”(まっくろくろすけ)を思い出しました。
子どもには大人には見えないものが見えている(ことがある)。
そしてそれは夜になる前の夕暮れ時だったり。
でもだんだん大人になったら見えなくなってしまう。
子どもはついこの間まで向こうの世界にいたから見えるのかもしれない。
今はそのはざまの時。
「またね」は大人になってしまったらもう見えなくなってしまうから、別れの言葉。
でもまたいつか、歳を取った頃にまた会えるかもね。
そんなイメージ。
自分たちのチームと相手チームと全く正反対の内容だったけれどどちらもベイビーシアター。
両極端な内容を鑑賞できたのはラッキーでした。
「ベイビーシアターをつくってみるワークショップ」に参加して思ったこと。
先日、「子どものミカタ」という講座を受講しました。
その時のワークショップで
子どもの頃、私は口に出せない言葉をたくさん心に持っていて
なのに、大人になったらあんなに沢山の言葉を持っていたことを全て忘れてしまっていた
そのことを思い出して愕然としました。
今、自分は子どもたちと関わる仕事をしているけれど
大人の一方的な見方で子どもたちに接していた……。
子どもは心の中にいっぱいの言葉と感情を抱えているのに、それは一切見えていない。
どうして昔の私のあの気持ちをすっかり忘れてしまったんだろう。
ベイビーシアターでも、口に出せない言葉を心に沢山持っていた
小さかった頃の自分を思い出しました。
それから、ベイビーシアターが心のドアをノックした、ということ。
ベベリカ代表の弓井茉那さんは3歳の頃にお母様を亡くされたそうです。
海で、弓井さんが母親に抱かれて撮った写真が残っているそうで
弓井さんはお母様と海に行ったことは覚えていないそうですが
でも「海」のベイビーシアターを観たときに、母親と訪れた海の思い出が見えた、と。
芸術には心の奥深くに沈んで閉じていた扉を開ける、というか
心の向こうにある自分の世界を思い出させる、そんな側面があるなぁと思いました。
すごくいろんな感情が私の中で巻き起こったワークショップでした。
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