2016年9月27日火曜日

「樹」 吉野弘

人もまた、一本の樹ではなかろうか。
樹の自己主張が枝を張り出すように
人のそれも、見えない枝を四方に張り出す。
身近な者同士、許し合えぬことが多いのは
枝と枝が深く交差するからだ。
それとは知らず、いらだって身をよじり
互いに傷つき折れたりもする。
仕方のないことだ。
枝を張らない自我なんて、ない。
しかも人は、生きるために歩き回る樹
互いに刃をまじえぬ筈がない。
枝の繁茂しすぎた山野の樹は
風の力を借りて梢を激しく打ち合わせ
密生した枝を払い落とす・・・・・と
庭師の語るのを聞いたことがある。
人は、どうなのだろう?
剪定鋏を私自身の内部に入れ、小暗い自我を 
刈りこんだ記憶は、まだ、ないけれど。

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