都市部で公開されて話題になっていた映画がこちらでもやっと公開されたので観てきました。
先日の映画は内容がちょっと重めのものだし、観客は私一人かな?と思ったら
私の他に5人もいて驚きました。(それはそれで話題作だったようです)
今回は結構話題になっているので
今度は私の他にもきっとお客さんはいるだろうと思ってチケット売り場に早めに行きました。
「やった!一番乗り♪」
ちらほらとチケット売り場にお客さんがやってきますが
意外にシニア層だったり、私と同じくらいの年代の人だったり。
現役の幼稚園や保育園、小学校にお子さんを通わせているくらいの親御さんもいるかな
と思ったのですが、私が行った日はぱっと見た感じはいなかったかな。
この映画の感想は賛否両論に分かれる、なんて聞いていたけれど
私の場合はどこにでもある小学校の一年間の様子を記録したドキュメンタリー映画、という感じで
普通に楽しめました。
とにかく子どもたちがかわいかった!
まさに「今を生きている!」キラキラしていて、一生懸命で。
先生も子どもたちもホントに自然体で「撮られている」という感じは全くなくて。
撮影を受け入れた学校も、先生方も、児童も、そして保護者も、よくOKしたなーと思いました。
だっていろんな人の目にさらされて、学校のやり方を批判されることだってあるだろうし
そういうことも含めて受け入れたのだから。
大空小学校の映画の時も、校長先生が子どもたちや保護者に了承を取って撮影された
というシーンがあったことを思い出しましたが
まさにこの小学校でもそうだったんだろうな、と思います。
撮影されたのはコロナ禍の頃。みんなマスク必須。
給食は透明な仕切りを立てて、みんな前を向いて黙食。
学校も分散登校で、半分は教室、もう半分はオンラインで授業。
オンライン授業の子どもの家は保護者が横で画面操作などを手伝って。
そう、親も仕事休んだりリモートだったり、大変だったよなあ。
あの頃、我が家は大学生と高校生だったし
上の子ちゃんも真ん中ちゃんも地方の大学だったから東京ほどはリモートじゃなかったんだと思う。
(それでも上の子ちゃんの同級生はリモートが多いから
部屋を引き払って自宅に戻った子もいたみたいだけど)
真ん中ちゃんは入学した年が緊急事態宣言の年だったし
上の子ちゃんは部活が自粛になって結局そのまま部活が復活する前に引退になっちゃった。
今までできていた学生生活ができなくなってしまって、それはかなり残念だとは思うけれど
でも私はそれを「かわいそう」とは子どもたちに言わなかった。
だって「かわいそう」と言ってしまったら
子どもたち自身が「自分はかわいそうな子なんだ」と思ってしまうから。
子どもたちは思っているほど弱くはないし、状況に柔軟に対応できると思っていたから。
それにできないことにこだわっていたって状況は変わらないし。
映画に出てきた子どもたちも、楽しみに計画していた林間学校が中止になって残念そうでした。
でも修学旅行かな?には行けたみたい。
映画の中で、
下駄箱の靴をきちんと揃えてしまっているか、係の児童がチェックしているシーンがあって
そんなに靴箱の中までちゃんとしないといけないの?!とちょっと驚きました。
(ここのシーンはやっぱりびっくりする人は多いようです)
修学旅行でも、大部屋の前に脱がれた靴を見て
(だいぶキレイにそろえてはあったけれど)脱いだ靴はきちんと揃えて欲しい、というような
先生方が話しているシーンが再びでてきて
どうして靴を揃えることにそんなにこだわるのだろう?とちょっと思ったけれど
大勢がここでまた靴を履いて移動する
そうなった時に靴が揃えられてあればすぐにパッと履けるし
平常時ならそんなにまぁ問題もないのだけれど
災害大国日本であれば、急な大地震で避難をしなければいけなくなった時に
靴がぐちゃぐちゃに脱ぎ捨ててあればそれこそ靴を履くだけで混乱するから
そういう時のための練習なのかな、なんて思ったり。
いろんな意見は当然出てくるだろうと思うけれど
映画に出てくる先生たちはホントに一生懸命やっている、と思いました。
朝早くから(そう、地元の中学校でも7時前に学校に来ている先生がいるって
前の職場で話題になったことを思い出しました。
朝の散歩に行くと職員室に明かりがついていて「先生、もう出勤している!」って。
それは自主的に先生が早く来ているようでした)
私も一年だけだったけれど中学校で常勤講師をした経験があります。
親になって「学校」に子どもを預けることになる
その前に「先生」という立場を自分が経験できたことはすごくよかった、と。
私が先生をしていた時に一緒だった先輩方も
先生ではないけれど子どもに関わる職場で今、一緒に働いている人たちも
預かる子どもたちのことをとても大事に思っていて
映画の中の先生たちも気持ちが同じだなーって感情移入しちゃいまいた。
他の学年の先生方から授業や活動についてアドバイスをもらったり、時にはご注意をいただいて
(あー、私もあったなー、凹んだことも)
頑張って「先生」をしていると見ていた登場人物から「自分はこの仕事向いていないんじゃないか」
とポロっと弱音がでたりして、それは先生をしていたの時も、今の仕事でもやっぱり私も思うし
あー、みんな同じなんだなぁ、いろいろ弱音を吐きながら、試行錯誤しながら
それでも子どもたちのために前を向いて踏ん張っているんだなぁって。
下の子ちゃんが卒業するときに
私は保護者を代表して小学校の卒業式にお礼の言葉を読むことになり
3人が小学校に入学してからのことを思い出してお礼の言葉を書きました。
下の子ちゃんがもうすぐ2年生になるときに東日本大震災が起きて
何度も夢であってほしい、と思いました。
新年度になって学校が始まって、コロナの頃も大変でしたが
震災後も児童を受け入れる先生方は本当に苦労の連続だったと思います。
保護者もいろんな考えや意見を持っていたし、いつもと違う環境下での授業再開でした。
あの頃、いろんな情報が飛び交い、自分の気持ちもとても不安定でした。
そんな中、先生と話していて「学校では先生がお母さんなんだな」と思いました。
そう思ってからだいぶ安心して子どもを学校へ送り出すことができるようになりました。
あとね、小学6年生って小学校の中で見るとすごく大きく見えるのに
中学校に入ると1年生ってすごく幼く見えるの!
あー、あれはなんでだろう、って映画を観ながら思いました。
映画では放送室に出てきた男の子と女の子がいて、すごくお兄さん、お姉さんだなって思うのに
中学校に行ったら先生方に「3年生に比べたらなんて幼い、かわいいなぁ」って見られるの
きっと。
そんな中学校あるあるを思い出しました。
今の学校制度がいいのか悪いのか、いろいろな考えはあると思います。
日本の今の学校という制度のおかげで教育が普及し
日本の子どもたちは読み書きはできるしある程度の計算もできる。
日本全国どこにいってもある程度、同一の内容の教育を受けることができます。
でも、学校になじめない子どもたちも増えてきました。
私も学校は得意な子どもではありませんでした。
私が一緒に働いてきた、また今の職場のスタッフも
子どもたちのことが好きで大事に思っているけれど
関わる子どもたちから学校の様子だったり先生の話を聴くと
ちょっと残念だなー、と思うことも正直あります。
私が思うのは、全部を学校に丸投げせずに家庭や親ができることをすればいいし
学校以外にも活動できる場所はあるから
子どもにとっても居心地よく過ごせる場所をいくつか用意したり、連れて行ったり
ともすると子どもは学校と家が世界の全てになってしまうから、そうじゃないよって。
いろんな場所があって、そこにいくといろんな自分があって、いろんな自分はすべて私だよ、って。
監督はイギリス人の父と日本人の母を持ち
大阪の公立小学校に通い、中学校からはインターナショナルスクールに進学して
自分は「いいとこどりをした」という監督の言葉。
日本の小学で集団生活をする良さを学び、インターナショナルスクールで個をのばした、と。
東日本大震災で、あんな状況になっても大きな混乱も起こらず、秩序を守っていたのは
小さな頃から集団生活や他人の気持ちを汲み取ることをしてきたからだ、と言われます。
だから日本スタイルも悪いところばかりではないと。
学校教育についてこれからどうしたらいいのか、私もよく分かりませんが
学びの幅が広がってもっといろんな選択できたらいいのかな、と思います。
学校以外の選択をしても、教育レベルであったり、経済的負担であったり
同じように保障してもらえたらいいのかな、と。
みんながもっと生き生きと「勉強することが楽しい」と思ってもらえるように
そして「大きくなったらどうなりたいか」夢を持って見通しを持っていけたらいいのかな。
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