昨年の12月の時空散走。
最初の紹介スポットは温泉の揚湯場。
何も考えずに参加してすっかり参加者の気持ちでいたら
「あ、もしかしてこれって私が説明しなくちゃいけないんじゃない?」
と気づいて慌てて見どころの紹介へ。
向かい側にある病院も、普通のどこにでもある町の病院だと思っていたけれど
時空散走のリサーチに参加することで
炭鉱時代は最前線に立って負傷者の治療にあたっていたことや
熱中症の研究をしていたことなどを知りました。
熱中症は今でこそ広く知れ渡っていますが、昭和の昔から研究していたとは。
父方の祖父も炭鉱で働いていたので、坑内に入るときは水と梅干を持参していたそうで
熱中症がこんなに有名になる前から「熱中症には水分だけでなく塩分も必要だ」と言っていました。
次の浅貝球場の跡地前ではフラガールの前身であった「コールシスターズ」の話や保養所の話
球場での新旧エネルギー対戦のこと、ジャイアント馬場が登板したことなどの話を。
すると参加者の方がアルバムを持参してくださっていて、球場での思い出を話して下さいました!
タイティーはほんのりバニラの香りがして好き。
そして温泉神社へ。
その前に温泉神社の下で、昔、鯨岡邸があったところを見ながら鯨岡阿美子氏の話を。
まだまだ女性が「働く」「活躍する」ことに対して社会では冷たい時代に
東京のキー局の女性初テレビプロデューサーをしたり
ファッション業界でも数々の偉業をなしたというバリバリの働く女性。
彼女も幼少時代から高校を卒業するまで、この町で育ったという。
時空散走に参加していなかったら、こんなすごい素敵な女性が郷土にいたことも知らなかった!
温泉神社では父方の祖父のこと、常磐炭鉱とのつながりをお話しました
案内人である旅館の若旦那が不在だったので、時空散走スタッフが代わりに説明してくれましたが
臨場感あふれる語りに一同聴き入り、私は震災の時のいろんなことが頭を駆け巡りました。
旅館の一室にこういった部屋をつくることに賛否両論あったそうですが
私はやっぱりあった方がいいと思いました。
あの時何が起こったか、近くに住んでいた人たちはどうだったか、語り続けてほしいです。
浪江町だったかな、周辺の町を震災後に撮影した写真も飾ってありました。
終着点は駅前のKURAMOTO。
先ほどのアルバムを見せていただきました。
また春の時空散走ツアーが楽しみです。
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