震災の起こる前の年、自分たちのご先祖様に会いに行こうツアーを企画しました。
たっちのコラムでも書いています。
もう4年前のことですが、ゴールデンウィークに主人の両親の家のお墓参りをしてきました。
まずは岡山へ。
義父の母親(主人の父方の祖母)は健在で、私は結婚したときに一度挨拶に行きましたが
その後は遠くてなかなか遊びに行くことも出来ず、子ども達は曾祖母に会うのは初めて。
「あ、ひいおばあちゃんとおじいちゃんは顔がそっくりだっ」
祖母はひ孫に初めて会うのがとても嬉しくて終始にこにこ。
「べっぴんさんだねぇ~」と何度も子ども達の顔を見ては言っていました。
その晩は義父の実家に泊めてもらい、翌朝、近所にあるお墓へ行ってお掃除をして
ご先祖様に挨拶をしてきました。
そしてその足で今度は広島へ。
義母の両親は他界し、原爆ドームの近くにあるお寺の境内に眠っています。
こちらでも花を手向け、ご先祖様にご挨拶してきました。
主人は言います。
主人の家のご先祖様と私の家のご先祖様、誰か一人でもいなかったならば
お父さんもお母さんも君たちもこの世に生まれることは出来なかったんだよ、と。
だから「ご先祖様、命をありがとうございます」とお墓の前で手を合わせてきました。
自分たちの命はいろんな人達からリレーされて、そして今ここに自分たちがいるんだよ、
と子ども達に分かって欲しかったからです。
月末には私の父方の祖父の実家がある山形へ。
祖父の実家のお墓参りと、信心深かった祖父がお参りしていたというお寺へも行って来ました。
祖父は両親が結婚する前にすでに他界しており
母も祖父の詳しいことは知らないので、仲人さんから聞いたという祖父の話をしてくれたり
伯母から気っぷのよかったという豪快な祖父の話を聞くだけです。
口数の少ない父もこのときは祖父の話をいろいろとしてくれました。
私の母方の祖父母はまだ健在で、私達の住む街の隣町に住んでいるので
母方のお墓へは行きませんでした。
岡山、広島ツアーから帰ってきて、主人が母方の祖父のことを思い出しました。
主人の母方の祖父は生前、自分の家の家系図を調べて書いていた、という話です。
家系図を書き終わった後、祖父は全てのことをやりきったかのように
その後、祖母の元に旅立ったということでした。
義母に電話して「おじいさんが書いていたという家系図を欲しい」とお願いすると
義母が兄妹に連絡をとり、最後におじいさんと同居していた義母の妹の家に家系図があったので
我が家にも送ってくれました。
家系図の最後には義母の兄妹やその配偶者、子ども達の名前が記されていました。
私と結婚する前に書かれているので
もちろん主人は義母と義父と兄妹の名前と一緒に書かれていただけでしたが
今ならそこに私や子ども達の名前も書き足すことが出来ます。
この家系図に自分の名前を書き加えてもらえることを嬉しく思います。
主人のいとこ達も同じように配偶者や子どもができました。
いとこによっては孫まで生まれた人もいます。
これからもどんどん家系図には名前が書き足されていくでしょうし
そうやって命はずっとずっと続いていくんだろうなぁって思います。
ご先祖様はどんな人だったのかが詳しく書いてありました。 おじいさんは原爆でいろんな資料が灰になってしまったので 記憶がはっきりしているうちに記録しておこうと思ったようです。 |
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