一滴の水銀のように やや重く
水の面を凹(くぼ)ませて 浮いている
泳ぎまわっている
そして時折 ついと水にもぐる。
あれは暗示的な行為
浮くだけではなく もぐること
ぼくらがその上で生きている
日常という名の水面を考えるだけで
思い半ばにすぎよう——日常は分厚い。
水にもぐった みずすまし
その深さはわずかでも
なにほどか 水の阻止に出会う筈(はず)。
身体を締めつけ 押し返す
水の力を知っていよう。
してみれば みずすましが
水の裏表を往来し出没していることは
感嘆していいこと。
みずすましが死ぬと
水はその力をゆるめ
むくろを黙って水底へ抱きとってくれる
それは みずすましには知らせない水の好意。
『新選吉野弘詩集』 1982 年刊)
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