昨日、職場で備中屋斎菊の話になりました。
江戸時代末期の頃は備中からの泊まり客が多かったので
もともとは「備中屋」という名前の宿やだったことを話したら
「あ、そういえばあそこにも備中屋ってせともの屋さんがあったわね」と
斎菊近くに昔あったせともの屋さんの話になりました。
今はもうお店はやっていませんがせともの屋さんだったことは私も覚えています。
当時は備中からのお客さんで賑わっていたんだなぁと思いを馳せました。
今と違って移動も徒歩だったでしょうし、備中からとなるとここまで何時間かかったのかしら。
意外に知らない自分の住む町のこと、そして何のつながりもないと思っていた主人とこの町が
実はもしかしたら遠い昔から繋がっていたかもしれないことを私は嬉しく思います。
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