2015年4月30日木曜日

ピアノ卒業

上の子ちゃん。10年通った音楽教室を卒業しました。
今の先生のクラスになって8年。
グループレッスンも併用だったので
先生と仲間と週に一度、楽しくレッスンしました。

8年のカリキュラムが修了する最後のグループレッスンの日は
アンサンブルして曲も弾いたけれど
「最後だからみんなで楽しくワイワイしたい」という
みんなの希望通りに
人生ゲームを持ち込んで盛り上がったようです。

そして、毎年4月の最後に行われる修了コンサートを
最後に、上の子ちゃんは個人レッスンも卒業しました。
グループレッスンは終わってしまっても
個人レッスンは続けるんじゃないかと思っていたから
ちょっと驚いたけれど勉強もいっぱいあるし
「また余裕ができてピアノが弾きたくなったらいつでもおいで」
と先生もおっしゃってくださいましたが
またやりたくなったら、その時はまた弾いて欲しいな、と思います。

2015年4月29日水曜日

どんなに暗い闇が

どんなに暗い闇が襲っても、朝日の差さない日はありません。夜明けに近い時間ほど、闇は濃いのです。どの日も必ず明るい朝から始まります。

国際コミュニオン学会名誉会長 鈴木秀子

2015年4月28日火曜日

大学のこと

上の子ちゃんと進学のことについて話すことが増えた。

話をしながら、私はどうして大学に行きたいと思ったのか
高校生の頃の自分の気持ちを思いだした。

あの頃はなりたい職業があったわけではなかったけれど
「もっと勉強したい、いろんなことを知りたい、いろんな人の話を聞きたい。
だからまだ就職したくない。」
そう思って大学進学を決めたことを上の子ちゃんに話した。

大学ではいろんな話を聞くことができてよかったと思う。
今まで知らなかったことや、様々な分野の勉強もできたし
いろんな本を紹介されて読んだし、人との出会いもあった。

人と話すことで新しい世界を知ることもあったし
自分について見つめ直すことも
今まで考えたこともなかったようなことについて考える事も
それからいろんな人と影響を受けたり与えたりした。

大学生活、楽しかったな。

2015年4月27日月曜日

てんびんの詩

小さい頃、両親と一緒にビデオで見た「てんびんの詩」。
両親はこのビデオを見てポロポロ泣いていたけれど
私はどうして泣くのか、正直わからなかった。

最近、ふっとこの話を思い出して
あの時、両親が何を感じて涙を流していたのか
今なら私もよくわかる。

http://tenbinnouta.ciao.jp/tenbin1.html

2015年4月26日日曜日

ツインクル

パン屋さんにサンドイッチ用のパンを買いに末っ子と行ったら
「お母さんと買い物に来てくれたからお駄賃」とお菓子をいただいた。
「なつかしー」と私。
小さい頃、遠足用のお菓子などによく買ってもらったことがあった。
最近、復活したのかな?


2015年4月25日土曜日

現象そのものには

現象そのものには何の意味もない、
意味を付加するのは一人一人のその現象を体験した人間である。

西田幾太郎 純粋経験

2015年4月24日金曜日

「流れのなかで」 宮澤 章二

聞けるときに 聞いておかないと
決して聞けないコトバがある
言えるときに 言っておかないと
再びは言えないコトバがある
つかめるときに つかんでおかないと
死ぬまで無縁の宝がある
みがけるときに みがいておかないと
光らぬまま朽ちて行く宝がある
得たのもを失う その数よりも
得られずに失われたものたちの数の多さ
わずかの知恵と わずかの努力が
それらに触れ得たかも知れないのに・・・
新春の光がなでる新しい日記は
最初の頁から最後の頁まで 純白
しるせるときに しるしておかないと
二度とは記せない記録がある

2015年4月23日木曜日

ふくのあそびかた たっちコラムno.56

2015年4月号のこどもたっちのコラムです。

 先月のあそび工房スペシャルでは美術家の西尾美也さんをお招きして「ふくのあそびかた」ワークショップを行いました。スーツや作業着、婦人服など様々な洋服が敷き詰められたテントの中で目隠しをしてお着替えをする「くらやみおきがえ」では手の感触だけで洋服を選んでお着替えするのですが、目隠しを外すとあらあら奇想天外な姿になっていて大笑い。楽しくて何度もトライする女の子がそのうち、テントの中にある女子高生が着るようなお姉さんの服を取り出して試着していました。その姿を見ていたら自分が小さい頃、母親がいないときにこっそり母親の服を着て鏡を見てにんまりしたことを思い出しました。大人が着ている服を着ると自分もなんだか大人になれた気がしたんですね。「くらやみおきがえ」で着替えた別の小さな女の子が、たまたま身に付けた大人用の丈の長いスカートが「おひめさまのようだ」と鏡に映る自分の姿を見て喜んでいました。私も小さい頃は丈の長いスカートに憧れました。足のつま先まで隠れる長いスカートがあったらお姫様のドレスみたいでいいのにな、と。参加していた子ども達の姿を通して、自分の幼かった頃に出会えたワークショップでした。

「くらやみおきがえ」のひとコマ。テントの中は秘密基地のようで
それも子ども達にとっては楽しかったようです。

美術家 西尾 美也さんと一緒にあそんだワークショップの様子はこちらをご覧ください

2015年4月22日水曜日

アキコマーク


↑このフレッツマーク
「真ん中ちゃんが小さかった頃、
このマークを見ると「アキコ!!」と呼んでいたよね」
と上の子ちゃんが言い出して
「あー、確かにそんなことあったなぁ」とみんなで大笑い。

真ん中ちゃんがまだ2歳くらいだったかな?
フレッツマーク見る度に「あ、アキコ!!」と指さして叫ぶんだもの。
何度、真ん中ちゃんに「これなあに?」って聞いても
答えは決まって「アキコ」って答えるの。
(「アキコ」は私の名前です)
私の顔に似ていたのかな?

2015年4月21日火曜日

友達パワー

小学校の運動会の練習が始まった。
運動会の種目の練習に加えて
高学年は鼓笛の演奏もあるのでその練習も。

昨年度の終わり、自分はどの楽器を担当したいか
担当したい楽器のオーディションがあった。
女の子は指揮や副指揮、フラッグなど人気のポジションを目指して
オーディションは毎年、大変なドラマがあるそうだ。

しかし、とにかく目立つことが好きではない我が家の末っ子。
何かカッコイイ楽器を担当してくれたらいいのに、と思う母。
でも本人は楽器演奏は得意だけれど、オーディションには参加しないで
たぶん鍵盤ハーモニカをやるっていうんだろうなぁと思っていた。

当初は本人もそのつもりだったのだけれど
友達から「マーチングキーボードやろう」と誘われ
オーディションを受けて友達とマーチングキーボードを担当することになった。

私がすすめてもきっとオーディションを受けることはなかっただろうけれど
友達に誘われたらあっさりオーディションを受けるなんて。
さすが友達パワー。
だんだん親よりも友達の比重が大きくなってくるんだろうな。

2015年4月20日月曜日

理科雄先生

仕事中、車に乗るとラジオ番組を聴いている。
前回、初めて理科雄先生がゲストにいらっしゃって
こんな面白いことを科学で実証するなんて~
と感動したのだけれど
今日もまたゲスト出演されていたので聞き入ってしまった。

柳田理科雄先生。
芸名?だと思ったら、本名でした。
でも本当に理科好きな子どもだったそう。

またお話聞きたいな。
http://www.nhk.or.jp/suppin-blog/300/214729.html

2015年4月19日日曜日

「自分自身に」 吉野 弘

他人を励ますことはできても
自分を励ますことは難しい
だから―――というべきか
しかし―――というべきか
自分がまだひらく花だと
思える間はそう思うがいい
すこしの気恥ずかしさに耐え
すこしの無理をしてでも
淡い賑やかさのなかに
自分を遊ばせておくがいい

2015年4月18日土曜日

「アリマガ」いわきアリオスメールマガジン

いわきアリオスから毎週金曜日の午後に配信されるメールマガジン。

メールの最後には毎回、【アリマガ・エッセイ】が掲載されています。
当初は支配人が担当していて楽しみにしていたのですが
途中から執筆を交替し女性二人のスタッフが映画の話と本の話を毎週交互に担当しています。
これもまた面白いので毎週、楽しみにしています。

今週は本の話、中国の作家ダイ・シージェの
『バルザックと小さな中国のお針子』の紹介でした。
1960年代、文化大革命に揺れる中国。
思想を厳格に統制された暮らしの中、本を読むことの、知識を得ることの
みずみずしい喜びが描かれているお話だそうです。

私は昔読んだ小説を思い出しました。
文字がまだなかった時代。
言葉は発した途端、消えていきました。
でも文字は……。
愛しい人への思いも、文字にすれば永遠に残すことができる。
遠く離れた人にも伝えることができる。
文字のなかった時代に生きてきた者にとって
文字の発明はどれほど画期的で素晴らしいものだったか。
文字が身近に、当たり前にある私にとって
文字が読み書きできることが実はどんなに素晴らしいことなのかを教えてくれました。


『バルザックと小さな中国のお針子』で語られる世界も
本を読むことが禁止される中で
それでもなお隠れながらもむさぼるようにして本を読む。
新しい知識がざーっと心の中に流れ込むのは
砂漠の中に突如あらわれた泉が一瞬にして喉の渇きを潤してくれたように
ガサガサに渇いた心をいっぺんに満たしてくれただろうと。
本。そこに書いてある文字は、見た目は平面だけれど
それを読んだ人の頭の中には壮大な世界が広がって
様々なことを思うし、考えるし、その行為があるからこそ
人間が人間らしく生きていけるのかな、と。
アリマガエッセイを読んで私も思いをめぐらせました。


残念ながらバックナンバーは公開されていないのだけれど登録はこちらから。
https://www.e-get.jp/webap1/v4-2_pml/?G=a9i1os87

2015年4月17日金曜日

家族をつなぐ絆は

家族をつなぐ絆は、血ではない。
お互いの人生に対する尊敬と喜びである。

リチャード・バック  イリュージョン 

2015年4月16日木曜日

「考える人」メールマガジン

毎週木曜日に配信される「考える人」のメールマガジン。
雑誌「考える人」の編集長が執筆している。
編集長の頭の中はどうなっているんだろうって思うくらい
毎回、様々な話題で考えさせる内容で面白い。
いろんなところにアンテナを張っているんだろうなぁって
話題の豊富さにも驚かされる。

今日配信になったメルマガも
心をツンツン突っつかれるような内容で
考えさせられた。
自分の頭でちゃんと考えなくなっているかも……。

今日配信のメルマガはこちら。
肥った豚とスマホ

2015年4月15日水曜日

「昨日のしみ」 谷川俊太郎

まっさらみたいに思えても
今日には昨日のしみがある
すんだことさの一言を
漂白剤には使えない
涙をシャワーで流すだけ

からだの傷さえ消えぬのに
心の傷ならなお疼く
ごめんなさいの一言を
鎮痛剤には使えない
痛みをお酒で癒やすだけ

思い出したくなくっても
忘れられない日々がある
明日があるよの一言を
ビタミン剤には使えない
希望は自分で探すだけ

2015年4月14日火曜日

科学技術の発達は

JRの特急がリニューアルされ、特急券もリーズナブルなものが発売された。
でもインターネットから注文してクレジットカード決済でないと買うことができない。
普通の窓口でも予約、購入ができたらいいのに、と思いながら
仕方なく会員登録をしてインターネット経由でチケットを購入した。

渥美清さんと山田洋次監督の話を思い出した。

「先日、有楽町に映画の試写を見に行ったのです。電車の切符を買おうとしたら、どのボタンを押していいかわからない。それで後ろの大学生がやってくれたのですが、その時、私はつらい思いをしました。一つは、その大学生から愛情ではなく、苛立ちのようのなものを感じたからです。もう一つは、東京で生まれ育ったわたしが、切符の買い方もわからなくなってしまったからです」
 科学技術の発達は人を幸福にするためのものなのに、使い方をマスターしないと置いてきぼりにされ、生きていけず、祝福できる形のものばかりではありません。日常生活まで異常なテンポで変えていく悲しみを渥美さんのはなしから受け取り、印象に残っています。
映画を作るということは観客の思いに応えるということ  映画監督 山田洋次
日々の新聞 200号 6/30発行 より

2015年4月13日月曜日

牛乳パックバッグ

土曜日のあそび工房で。
私は「かのりんの牛乳パックバッグつくり」のお手伝いをしました。

牛乳パックでバックをつくります
牛乳パックを切って、折って、セロテープを貼り付けてバックにします。
「工作の本を見て作ったの?」とかのりんに聞いたところ
自分で試行錯誤して考えたのだとか。

こどもたちに好きな模様のテープを貼ってもらいます
かのりんのママも、バックを作るにあたりかのりんにいろいろとアドバイスをしたんだろうなぁと
私は隣でお手伝いしながら思いました。

持ち手をつけたら
好きなシールをペタペタ貼って完成
家にあったシールだけでなく、かのりんのシール帳もお客さまに見せて好きなシールを選んでもらって
気に入ったものがあれば出来上がったバッグに貼ってもらっていました。
かのりん、自分のシールを惜しみなくお客様にあげちゃうなんてえらいなぁと感心しちゃいました。

2015年4月12日日曜日

「行為の意味」 宮澤章二

-あなたの〈こころ〉はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか

確かに〈こころ〉はだれにも見えない
けれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の〈思い〉は見えない
けれど〈思いやり〉はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
〈心〉も〈思い〉も初めて美しく生きる
-それは 人が人として生きることだ

2015年4月11日土曜日

憧れのミシン

今日のあそび工房にて。あそび工房の常連の方からこんな話を聞きました。

前回のあそび工房スペシャルのとき
テーラー工房のミシンを見たある男の子(保育園児だったかな?)
おうちではママがミシンを使って通園バッグを縫ったりしていたので
男の子も前々からミシンを使ってみたくて、この日生まれて初めてミシンに挑戦。
1本の線だったそうですが、スタッフの人に手伝ってもらいながら縫うことができたのだとか。
男の子、大満足で帰っていったそうです。
もちろん、その話を聞いたママも喜んでいたとのこと。
嬉しいお手伝いができました。

そういう話を聞くと「あそび工房をやっていてよかったな」と思います


2015年4月10日金曜日

あそび工房 たっちコラム no.21

2012年5月号のたっちコラムです。

 いわきアリオスを子どもの遊び場にしたい、という私のひと言から始まったAlios plant!こどもプロジェクト。去年の8月から月に一度、いわきアリオス内で「あそび工房」を開き、プロジェクトの趣旨に賛同した方とともにあそびを用意して、子どもたちが来るのを待っています。毎回、あそび工房で子どもたちを見ていて思うことは、異性や異年齢の人達と子どもたちがコミュニケーションできていいな、ということ。どんどんいろんな人達と関わり合いを持って欲しいから、スタッフのお兄さんお姉さんとなかよくなる子どもたちの姿を見ると私も嬉しくなります。また出展者も、どんなコーナーにしようか毎回試行錯誤して出展しています。「こうしてください」というマニュアルがあった方が出展する方は楽なんだと思いますが、あそび工房では自分の得意分野を生かして各自ワークショップ内容を考えています。その真剣な姿に私も感動することがしばしば。また大人スタッフも他のワークショップの様子を見て刺激を受けて、少しずつお互いが影響されていっています。あそび工房が子どもだけじゃなく、大人にも素敵をもたらしてくれたら最高ですね。あそび工房の日程や内容などの詳細はhttp://iwaki-alios.jp/をご覧ください。ぜひ遊びに来て下さいね。

「赤ちゃんとあそぼう タッチコミュニケーション」では
赤ちゃんもママも素敵な笑顔になっていました

2015年4月9日木曜日

学ぶ用意ができたとき

学ぶ用意ができたとき、教えるものはあらわれる。

古代賢者の教え

2015年4月8日水曜日

わたしがこの世に生まれてきたのは

わたしがこの世に生まれてきたのは、私でなければできない仕事が何か一つこの世にあるからだ。それが社会的に高いか低いか、そんなことは問題ではない。

相田みつを

2015年4月7日火曜日

- 心をまとう 江戸小紋にみる日本人的な心の在り方について -

愛知県岡崎市にある呉服屋さんの投稿。
この話も素晴らしいと思うし、紹介されている江戸小紋もまた驚くほど素晴らしい。

時にはゆっくり立ち止まって考えたい。

2015年4月6日月曜日

桜が咲いたよ

週末、用事があって子どもを連れて外泊していた。
土曜日の朝、家で一人で留守番していた主人から
「桜が咲いたよ」という電話がかかってきた。
4年前に小さい桜の苗木を真ん中ちゃんがいただいてきて植えたもの。
「花をつけたのって今年初めてじゃない?」と主人がいうので
「桜が初めて咲いたのは去年だよ」と素っ気ない返事をしてしまった。
でも桜が咲いたことを知らせてくれたのが嬉しかった。

今朝、カーテンを開けて庭を見たら
桜の木がわんさかと花をつけていた。
しかもあたりは濃い霧がたちこめていてなんとも幻想的な風景。
去年はほんの少ししか花をつけていなかったから
こんなに満開になったのは今年初めて。
ああ、これを見て主人は「桜が咲いたよ」って電話してきたのか。
たしかにこれを見たら知らせずにはいられないかも。

ソメイヨシノよりも濃いピンクの桜
これはなんて種類の桜なんだろうう……

2015年4月5日日曜日

友達に好かれようなどとは思わず

友達に好かれようなどとは思わず、友達から孤立してもいいと腹を決めて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になる。

岡本太郎

2015年4月4日土曜日

天才とは

天才とは無限に努力できる能力のことである。

トーマス・カーライル

2015年4月3日金曜日

心掛けているのは

心掛けているのは、
毎日小さな感動を
積み重ねること。
自分の目に映る世界を、
心を以て眺めてみると、
世の中は感動に
溢れていることに
気づきます

文筆家 石川真理子

2015年4月2日木曜日

『生きる』の語源

あそび工房スペシャルでお世話になった劇団“アフタフ・バーバン”。
アフタフ・バーバンのスタッフでいわきにも来てくれた しみちゃん。
しみちゃんは生まれ故郷の長野にアフタフ・バーバンの北信越事務所を開局するために
東京を離れたそうです。 
そのしみちゃんが書いたブログが素敵だったので紹介させていただきます。

ここで、“生きる”ということを少し考えてみました。
祖父母が亡くなった頃にこんな話を聞いたことがあります。
“生きる”の語源は〈息〉、命の語源は〈息の道〉、という説があるそうです。確かに気道を酸素が通って肺に届いて 息をしていることが生きているという状態です。
そして、お医者さんが最期の時に言う、「息を引き取られました。」という言葉は、 実は、亡くなられた本人のことではなく、周りの看取った側のことなのだそうです。
つまり、残った者が、息を引き取った、命を引き受けた、受け継いだということなのです。だから、その証拠に僕らはだれしも必ず、息子、息女といく息の字がつく存在であるというのです。

この話を知って、そうか、今の自分は、遡っていくと、両親、祖父母、曽祖父母……と、たくさんの人の息、命を引き受けてつながった上にある奇跡的な状態なのだと思いました。
そして、さらに僕が思ったのは、血のつながった血縁の家族だけでなく、自分が出会ったたくさんの人からも、息を引き受けているなと。亡くなった時にという話だけじゃなく、人の生きている姿から大切なものを受け取っていると思いました。
つまり、それぞれの人が思いや志をもって生きている、生きている姿に思いや志が宿っていて、その姿・生きる姿勢から思いや志、魂を受け取っている、そういう意味での息・命を引き受け頂いているなと思ったのです。
そう考えると、今の自分があるのは、奇跡の中の奇跡で、たくさんの人の命を受け継いで存在させてもらっている、本当にありがたいことです。自分だけでこの世に存在しているのではなく、たくさんの人が生きている中で磨いた命がつながって今の自分があるわけで、そんな自分を大切にしていこうと思うし、出会ったたくさんの人や物事に感謝の気持ちでいっぱいです。
 
2015年3月31日(火) 
第264号『感謝』(清水洋幸)
バーバンNOW 


自分の生まれ育った町でアフタフ・バーバンの拠点作りができるなんてすてきなことだと思います。
これからも沢山の人達といっぱいのワクワクドキドキを共有していって欲しいな。




2015年4月1日水曜日

手をつなごう

先日、子ども達と買い物に行ったときのこと。
いつもだと私と手をつなぐ下の子ちゃん。
私が手をつなごうとしたら「恥ずかしいからつながない」と拒否されました。
お母さんと手をつながなくなる年頃になったのね、さみしいなぁ。
ま、成長した証拠か、と思っていました。

その数日後。下の子ちゃんと出かけて
車から降りたら下の子ちゃんの方から手をつないできたので
「この前は恥ずかしいっていってたのにどうしたの?」と聞いたら
「だって学校の人に会ったら、次の日に学校でお母さんと手をつないでたって言われるから
恥ずかしいからイヤだったんだ」だって。
言われてみれば、あの買い物スポットは友達と会う確率高いものね。
でも友達に会う可能性のない場所なら、まだ一緒に手をつないでくれるんだね
とちょっと嬉しくなりました。