2014年2月28日金曜日

パワースピーチ

西水美恵子さんがスピーチの先生から伝授されたパワースピーチのコツ。
  • 始めは単刀直入に力強く。冒頭の1分はプライム・タイムで視聴率最高。挨拶などの無駄使いで落とすと、絶対元に戻らない。
  • 声量を下げる。耳はうるさい声を避け、静かな声に聞き入る。
  • 専門用語は絶対禁止。わかる人も、わからない人も、感心などしてくれない。伝えたいのは内容だから、使う言葉は簡素に限る。
  • 沈黙も語彙の内。スピーチの段落や、強調したい言葉、訴えたい趣旨は、聴衆に見えにくい。前後に沈黙を入れると、見える。
  • 言葉で絵を描く。人間の脳は物語や、実例、色などに正反応して、覚えが良くなる。
  • 無テーマの演説は、退屈な演説。テーマは簡潔明瞭に、ひとつに限る。複雑なテーマや複数のものは、テーマなしと同じこと。
  • 終わりは感情を込めて。感情なしに感動はない。

スピーチのコツだけれど、文章を書くときのヒントにもなる。
言葉で絵を描く、というのはまさにそう。
読んでいる人にもイメージしやすいような表現がいいってことなんだろうな。

そして、子どもを叱るときのヒントにもなるかも。
大きな声でギャーギャー言ってもあんまり効果がないってことかも……。

2014年2月27日木曜日

水のような人

水のような人になりなさい、といわれたことがある。

水は四角い入れ物に入れれば四角くなるし、丸い入れ物に入れれば丸くなる。
寒いところにいけば凍るし、温めれば蒸発して天に昇る。
高いところに持って行けば低いところに流れる。
水はとにかく素直だ。

そして火は水によって燃える。
女性が男性をたてることで男性も力を発揮する、ということなんだと思う。


私はまだまだ素直でもないし、自己主張も強いけれど
水のようにおだやかで、静かに、でもどこか力強い、一家の長を献身的に支えるいい奥さんになりたい。



最上の善とは、水のようなものさ。
水はあらゆるものに利益を与え、争わない。
水は人の嫌う地味な場所でもいつも満足しておる。
このように、水は道(タオ)に近いものじゃ。

水は住むために、地味な場所を好む。
水はものごとを考えるとき、奥深さを好む。
友との交わりには、心のやさしさを好む。
言葉には、誠実さをこめることを好む。
政には、良き秩序を好む。
仕事においては、その人の能力を生かすことを好む。
行動においては、正しい時機を好む。

このように、水は争わないから、まちがいはないのじゃ。


張 鍾元 著  上野 浩道 訳 (1987)
『老子の思想』 講談社学術文庫
第8章 「水のようなもの」 より

2014年2月26日水曜日

子育ては「心に汗して」

子育ては、汗水たらして土を耕す
農家の人の営みに似ていて
手を汚すことなく
土を耕すことができぬように
心に汗水することなく
子どもの心を耕すことはできない。

「抱きしめてあげて-育てなおしの心育て」 渡辺久子 著 より

2014年2月25日火曜日

~叱らなくても子どもは伸びる 目から鱗の子育て~  親野智可等(おやのちから)先生講演会 たっちコラムno.42

こども たっち No.57 発行になりました。私の担当するコラムです。 

 先月、講師に親野智可等(おやのちから)先生をお招きして行われた小名浜東小のPTA文化講演会。ひとりでも多くの方に先生のお話を聴いていただきたい、ということで誰でも聴講可能でした。私は長女が幼稚園生だった頃に親野先生を知りました。先生の本やメルマガを通し、先生が子どもたちと長年過ごしてきた中で気づいた小学校生活についてや、勉強のこと、家庭教育のことなどが具体例を挙げてとても分かりやすく書かれていました。そのおかげで私も心に余裕ができ、子育ても楽になりました。講演会では、日常のこまごまとした、あまり重要でないことは叱らないようにしましょう(思いやりや優しさ、やる気は安らかな精神状態から生まれる)子どもの悪いところをなおそうとするのではなく、なかなかできないことを大人はサポートしましょう(やる気スイッチが入ったら一瞬でなおる)。子どもの話を共感的に聞くことで子どもは満足します。自立とは大人になって自分のやりたいことを見つけて実現させる自己実現力ではないでしょうか。他人の芝生はいつも青いので子どもを比べないようにしましょう(子どものしょうもない部分は後のびする要素につながっているので長い目で見る)など、様々なお話をして下さいました。

いわきこどもプロジェクトのブログに詳しい講演内容をアップしました。
(親野先生に掲載の了解をいただきました)

8年前に出会ったこの本(赤と黄色)のおかげで
子育てに前向きになることができました。
(メルマガ「親力で決まる子どもの将来」もおすすめです)

2014年2月24日月曜日

父親が子どもたちのためにできることで一番大切なことは

セオドア・ヘスバーグ曰く「父親が子どもたちのためにできることで一番大切なことは、子どもたちの母親を愛することである」子どもの心にとって最高の栄養になるのは、両親(あるいは身近な人たち)の間からこぼれてくる愛。

野口嘉則

2014年2月23日日曜日

手のかからない子がいい子だなんて

手のかからない子がいい子だなんて
そんなのは大きなまちがいですよ。
人生のどこかで
親は子どもにたっぷり手をかける必要があるんです。
小さいころに手をかけさせてくれる子が
本当はとてもいい子なんです。

佐々木正美 「育てにくい」と感じたときに読む本


この言葉を読んで、我が家の子ども達のことを思い出し
子育てで上手くいかないこともあって泣き出しそうになったこともあったけれど、
手をかけさせてくれてありがとう、と思い
反対に、私は母に手をかけさせたんだろうか?とちょっと不安になり。
やっぱり、子どもは何歳になっても子どもなのかもしれない。

2014年2月22日土曜日

ギャラリーですごく欲しい絵が見つかったとき

「ギャラリーですごく欲しい絵が見つかったとき、買えなくても、好きなものが見つかった、そいうものに巡り会ったというだけで十分なときがある。全く違った場所で生まれて全く違った環境に育った人が、私の気持ちに強烈にひっかかる表現をしてくれている。そういうものが存在してくれてるというだけでうれしくなる」

ある雑誌の中にあった言葉

2014年2月21日金曜日

子育ては、愛された自分さがし  たっちコラムno.15

2011年11月号の こどもたっち のコラムに書いたものです。

日々の生活の中でふと、この言葉が頭をよぎります。

 母親委員会のセミナーで桜の聖母短期大学教授の西内みなみ先生の講演を聴いてきました。
子育てに迷う私も頑張ろう、という気持ちになれました。先生に感想をメールで送ったところ、私が先生の講演を聴いたことを“「聴く」という行為は最高の愛情表現です。本当に有難いです。とお返事をくださいました。その言葉を聴いて感動したのにもかかわらず、また子どもの話をちゃんと聴かないで怒鳴りつけてしまいました。反省です。
 今、先生の著書「子育ては、愛された自分さがし」を読んでいます。自分の子どもを世話し、かわいがるときに、自分も親からそうしてもらった、愛された体験をもう一度味わう、という内容です。
 先週と今週と子ども達が順番に体調を崩しました。そんなときに思い出すのは小学生の頃のこと。具合が悪くて昼間から眠っていた私が夕飯時に目を覚ましたときに、母が私の枕元にきて「ああ、よかった。もう目を覚まさないんじゃないかと思った。」と本当に心配そうに、そして私が目を覚ましたことをとても喜んでくれて、その母の姿に「ああ、私のことを本当に心配してくれていたんだ」と実感しました。9人兄妹の長女だった私。小さな妹達と同じようにもっと手をかけてもらいたいと思うこともありましたが、あの時、私は母に愛されていると実感しました。子育てすることによって愛された自分に出会う、幸せな日々です。

2014年2月20日木曜日

人は同じ温度や湿度を持った人を

「人は同じ温度や湿度を持った人を求めるものだ」ということ。
だから「自分が目指す温度や湿度を持った人になるように努力すればおのずと理想に近い人が寄ってくる」

伊集院 静

2014年2月19日水曜日

ふぞろいのおひなさま

今日は二十四節気のひとつ、「雨水(うすい)」です。
ひな祭りの由来には水が関係しているので、この日におひなさまを飾ると良縁に恵まれる
といわれているそうです。

ひな祭りで思い出すのはこのお話
とってもステキな、心の宝物のようなお話です。
私もこんなあったかいお母さんになれたらいいなぁと読むたび思います。

2014年2月18日火曜日

恋人達が自分をこの世から消すことで

恋人達が自分をこの世から消すことで、相手の胸に深い創(きず)をあたえるように、まるでそのようにして父は私の胸に鋭い刺(とげ)をのこした。父との別れを思い出す度に、私はその刺を感じる。柔らかい、よく撓(しな)う、あの若いばらの刺のように、その刺はやさしい。そうしてその為に一層痛いのだ。

森 茉莉

2014年2月17日月曜日

白髪

小さい頃、母親が毛抜きを持ってきて「白髪を抜いて~」と床に横になるので
母親の頭の黒髪をかき分け、短い白髪や長い白髪を見つけては抜いていた。
時々、黒髪も抜いたりして。
まだ白髪の本数もそんなになかった頃の話。

私も時々、子どもたちに「白髪抜いて~」とお願いするようになった。
白髪が嫌なわけではなく、子どもが頭の紙をかき分けて白髪を探すのがとても気持ちいいから
ふと横になって「白髪さがして~」と言うのである。
あまり気持ちがいいので「白髪、もうないよ」と言われても
そのままの体勢で、昼寝に突入することもしばしば。

なんだか子どもたちに昔の私の姿を重ね、私は母親と同じ年代になったんだなぁと思う。

2014年2月16日日曜日

「I was born」  吉野弘

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いて行くと 青い夕靄の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女は行き過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受け身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に語りかけた。

―やっぱり I was born なんだね―
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
―I was born さ。受け身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見にすぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
―蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんなことがひどく気になった頃があってね―
僕は父を見た。父は続けた。
―友人にその話をしたら 或る日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物をとるのに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね。>そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―。




「現代詩文庫」思潮社



学生時代、何気なく読んだこの詩が忘れられなくて、やっぱりノートに書き留めておこうと思ったのに、一体どこで読んだのか思い出せない。
多分、国語の教科書だろうと思って国語の教科書を片っ端からめくってみたのに見つからない。
ただ、かげろうの雌の、喉者まで卵が詰まった様と
美しい女性の体を占領する幼子の姿が脳裏に焼き付いて
でもそれは哀しげに見えるのだけれどでも悲しくはない、自分の命と引き換えに新しい命をこの世に送り出すのだから。
それが好きな人の子どもならなおさら……。
そしてそれは女性として太古から受け継がれてきた本能であり
私は女性の美しい姿と、身重の女性が持つある種のエロティックさも感じさせる詩だと思った。

すっかりこの詩を忘れていた頃にやっと見つけた……。
懐かしい人に思いがけずにばったり再会した、まさにそんな気分。



2014年2月15日土曜日

世界がもしひとつの色しかなかったら

世界にもしひとつしか色がなかったら
世界にもし「赤」という色しかなかったら
見渡す限り赤い色だらけ。
世界には沢山の色があふれているから美しい。

人間も同じ。
世界の人々がみんな容姿端麗、成績優秀
非の打ち所のない人だけだったらおもしろくない。
みんないろいろだからおもしろい。

2014年2月14日金曜日

「郷愁」 三好達治

海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

三好達治 「郷愁」、詩集『測量船』より

2014年2月13日木曜日

ラジオのススメ

仕事柄、車に乗る時間が多い。
運転中はカーラジオをつけて、毎日同じ番組を聴いている。
様々なコーナーがあるが、私は毎日日替わりでゲストを迎えてインタビューするコーナーが好きだ。
登場するゲストはほとんどが私の知らない人ばかり。
話題の人であったり、ラジオパーソナリティが会いたかった人であったり
毎回、色々な分野の人が登場し、ゲストの生い立ちや現在の仕事に至るまで
様々な話が飛び出す。
ときにはどうやって自分の夢を叶えたのか、その過程を知ることもできる。
私はいろんな人の、様々な人生に触れ「ああ、人間って面白いな」と毎回思う。

ゲストにまつわる本や絵本なども紹介され
興味を持ったものは図書館にリクエストするのだが
自分だったら絶対に借りることがないような本ばかりで
だが読んでみると面白くて意外に引き込まれてしまう。

番組で取り上げる音楽もまた同じ。
自分では聴かないような音楽が流れ「へぇー、このミュージシャン、いいかも」と
思うものもよくある。
気に入ったものはメモしておくのだ。

ラジオは常に受け身の状態で聴いているのだが、
その受け身が新しい人や本や音楽を連れてきてくれるので私は好きだ。


2014年2月12日水曜日

私の耳は 貝の殻 Jean Cocteau

Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer 

( Jean Cocteau, Cannes V )

私の耳は 貝の殻
海の響を懐かしむ
( 堀口大學 訳 )

2014年2月11日火曜日

おもしろいと思ったこと

おもしろいと思ったこと、それがニュースや。
おもしろいと思ったこと、それを調べればええのや。
おもしろいと思ったこと、それを書きなさい。

朝日新聞 ベルリン特派員 守山義雄



最近、お節介のしすぎで失敗したり、お節介が空回りしている。
広報するってどういうことなんだろう?と考えてしまった。
その時に思い出した言葉がこれ。
いろいろ憧れて背伸びしたりしても、結局付け焼き刃だと上手くいかない。
「私は私らしく、が一番いいんだから自信持って」と自分に言い聞かせる。

2014年2月10日月曜日

白鳥は 若山牧水

白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ

2014年2月9日日曜日

ポテトサラダの思い出

母が出産のために入院すると、いつも隣町に住んでいる母方の祖母が泊まりに来て
私達の面倒を見てくれた。
祖母は料理上手なので、祖母の料理を食べられるのがとても嬉しかった。
それに祖母は優しいから、母が不在になるのがさみしいとはあまり思わなかった。
ただ、母がいなくなったことに気づいた妹達になんて説明したらいいか、それは困った。
玄関のドアを開けてぼんやりと外を眺める、幼い妹のぽつんとした後ろ姿を今でも覚えている。

「何が食べたい?」と聞かれるといつも必ず答えるのが「ポテトサラダ!!」
祖母のポテトサラダは母の味とはまた違って美味しい。
つぶしたじゃがいもに砂糖を入れるのが祖母流のポテトサラダ。
だからほんのり甘い。

忙しかった母。「じゃがいもの皮をむくのが大変だからお母さんにはリクエストしづらいの。
だけどじゃがいもの味噌汁も食べたい。」
とじゃがいもの味噌汁も作ってもらったっけ。

私もポテトサラダには隠し味に砂糖を入れる。
でもじゃがいもの皮むきが面倒なのであまり食卓に登場しないのは母と同じ。
だけれど作る時には大きいボールにいっぱい作る。

祖母のポテトサラダの味、娘達にも引き継がれるといいな。

2014年2月8日土曜日

「動詞『ぶつかる』」 吉野弘

ある朝
テレビの画面に
映し出された一人の娘さん
日本で最初の盲人電話交換手

その目は
外界を吸収できず
光を 明るく反映していた
何年か前に失明したという その目は

司会者が 通勤ぶりを紹介した
「出勤第一日目だけ お母さんに付き添ってもらい
そのあとは
ずっと一人で通勤してらっしゃるそうです」


「お勤めを始められて 今日で一ヶ月
すしづめ電車で片道小一時間・・・・・・」
そして聞いた
「朝夕の通勤は大変でしょう」

彼女が答えた
「ええ 大変は大変ですけれど
あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、
なんとか・・・・・・」

「ぶつかりながら・・・・・ですか?」と司会者
彼女は ほほえんだ
「ぶつかるものがあると
かえって安心なのです」


目の見える私は
ぶつからずに歩く
人や物を
避けるべき障害として


盲人の彼女は
ぶつかりながら歩く
ぶつかってくる人や物を
世界から差しのべられる荒っぽい好意として

路上のゴミ箱や
ボルトの突き出ているガードレールや
身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや
坐りの悪い敷石やいらいらした車の警笛

それは むしろ
彼女を生き生きと緊張させるもの
したしい障害
存在の肌ざわり

ぶつかってくるものすべてに
自分を打ち当て
火打ち石のように爽やかに発火しながら
歩いてゆく彼女

人と物との間を
しめったマッチ棒みたいに
一度も発火せず
ただ 通り抜けてきた私

世界を避けることしか知らなかった私の
鼻先に
不意にあらわれて
したたかにぶつかってきた彼女


避けようもなく
もんどり打って尻もちついた私に
彼女は ささやいてくれたのだ
ぶつかりかた 世界の所有術を

動詞「ぶつかる」が
そこに いた
娘さんの姿をして
ほほえんで


彼女のまわりには
物たちが ひしめいていた
彼女の目配せ一つですぐにも唱い出しそうな
したしい聖歌隊のように

2014年2月7日金曜日

優しさをリレーする

最近よく思うこと。

実母や義母にしてもらったことを私は娘ややがてはやってくるだろう息子の嫁にすることができるだろうか、ということ。

親は多く生きているだけあっていろんなことに気づけるし、先回りしてやっておいてくれたりする。
この前も息子がお世話になった人にお礼の品を買って、私の名前でちゃんとお礼を言って回ったらしい。共通の知人でもあるから、孫がお世話になったのは自分がお世話になったのと同じだと考えたんだろうと思う。あー、そこまでやらなきゃいけないなんて全く気づかなかった私。

娘達が大きくなったら、私も同じようにできるかな。

義母も私を娘以上に大事にしてくれるし、孫のことは目に入れても痛くないというのがよく分かる。
孫の写真を携帯に入れて、友人達に自慢していることも。

義母の人生は苦労続きで、それを知っている義母の姉が「(息子が結婚してかわいい孫も生まれて)今が一番幸せね」と言ったそうだ。だから義母が私達のために一生懸命にしてくれるのと同じくらい、私はお義母さんのために頑張りたいと思うし、息子のところにやがてお嫁さんが来たら……。
そしたらお義母さんが私にしてくれたようにしたいし、私もお嫁さんと仲良くしたいな。

私も同じようにできるかな。それがちょっと心配。

2014年2月6日木曜日

ひとりで見る夢は

ひとりで見る夢は夢でしかない。しかし誰かと共に見る夢は現実だ。

オノ・ヨーコ

2014年2月5日水曜日

ポストカード

先日、アリオスに行ったときにインフォメーションに置いてあった青空。
ん?青空の模様をした折り紙?!と思って裏を返してみると・・・・・・


 ある個展?のお知らせが書いてあるポストカードらしい、ということが分かった。


アリオスに行くとこういったポストカード風のものがよく置いてあって、センスのいい写真展のお知らせだったり美術展のお知らせだったりする。
気に入ったものがあると持ち帰り、いつもハガキのやり取りをしている人にメッセージを書いて投函する。

その人とはメールアドレスも交換して事務連絡などをメールでやり取りしていたのだけれど、年賀状を書きたいから住所を教えてくれと言われて住所を交換してからは、特に用事もないけれど「元気にしているかな?」とふっと思いついたらハガキに二言三言書いて投函するようになった。そうすると忘れた頃に返事が届く。向こうも特に用事はないのだけれど、自分の近況などを伝えてくれる。

ステキなポストカードを見つけると「これ送ったら喜んでくれるかな?」とポストカードの向こうにいる相手の顔を思い浮かべながら、特に用事もないから何を書こう?と思いをめぐらせ、手書きの文字を走らせる。

いつもはアリオスからもらってきたハガキだったり、文房具屋で購入したシンプルなハガキを送ることが多かったのに、相手からはいつも厳選したオシャレなハガキに丁寧に返事が綴られていた。さすがにお正月休みに買い物に行ったときには、娘に「あの人にハガキを送るんだけど、どのハガキがいいかな?」とポストカード売り場で二人で「これかなぁ?」「あ、これいいんじゃない?」と言いながら何枚か購入したのだけれど。

友人が「手紙は時間の贈り物。書く時にそのひとを思って、短い時間ではあるけれど旅をして届くから。」と言ったのを聞いて、ああ、すごい素敵、と思った。
メールもいいけど時には手書きのポストカードで近況を伝えるのもまた贅沢な時間だと思う。

2014年2月4日火曜日

「つもった雪」 金子みすゞ

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。


金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと より


2014年2月3日月曜日

ホットココア

早起きする私の最近の日課はホットココアを作って長女を起こすこと。
長女は夜型で私は朝型なので、長女を起こすのはひと苦労。
でも朝方になりたいという本人の希望があるので、時間がかかっても長女を起こします。
なかなか目の覚めない娘に、「何か(温かい飲み物を)作るけど何がいい?」と聞くと
毎回返ってくるのは「ホットココア」という返事。
だから私は牛乳を温めて特製ココアを作ります。

以前はココアを飲みながらコタツで勉強していた娘も最近は自分の部屋で勉強するようになりました。コタツだと暖かくてまた眠たくなるから、寒い自分の部屋で勉強した方がいいのだとか。それもそうだと思うから、暖かして勉強するように、と声をかけるだけで後は本人に任せます。

ココアを飲みながらコタツで勉強していた時、私と娘の二人だけの贅沢な時間が流れていて
子ども三人だとどうしても一人一人に十分な時間をかけてあげられないけれど
こうして二人だけの時間をちょっとでも持てることが私は幸せだと思いました。
そしていつか大人になった時に「そういえばお母さんと二人で早起きして、お母さんがココアを作ってくれたっけ」って思い出してくれたらいいなぁと思いながら毎朝娘を起こしていました。

でもそんな時間は長くは続かなくて、娘はあっさり自分の部屋で勉強する方を選択したのですが
きっとそれは、心が満たされたから次のステップに進めたのかな、と思いました。

一緒に会話しながらの朝の作業はなくなりましたが、毎朝、娘を起こしてホットココアを作る作業は続いています。

2014年2月2日日曜日

色気の正体

「色気の正体は“上品な優しさ”。」
「この女はオレに恥をかかせない」
そう相手に思わせる包み込むような優しさが、
色気の本質なのです。
衣服を着て後ろ姿であってもそれは漂うものです。

美輪明宏

2014年2月1日土曜日

結婚するなら

結婚するなら相手への思いやりを忘れない人がいい。
子どもたちはどんな相手を選ぶのか。
子どもたちを本当に大事に思ってくれる人ならば
それ以外はどんな人だっていいと思う。

子どもの名前は易学の先生につけていただいたが
名前だけでなく、子どもたちの将来についても少し解説してあった。
息子が結婚する相手は、息子をとても大事にしてくれる人だと書いてあり
まだ生まれたばかりで、息子の結婚なんてまだ先の話だけれども
「ああ、よかった。私が主人を思うように息子もまた、そういう人と結婚するんだ」
と思ったらとてもほっとしてこれからの子育ても楽しくなると思ったのを覚えている。

最近、そのことを娘達に話したら私達が「私はどんな人と結婚するの?」と聞いてきたけれど
結婚相手について書かれていたのは残念ながら息子だけだった。
でも、人の運勢は変わる。いいことをしていたらいいほうに、悪いことをしていたら悪い方に。
だから占いも大事だけれどそれに頼らず、一生懸命、大事に大事に生きて欲しい。