2021年3月19日金曜日
キッズ★アリペ 挨拶文
2021年3月18日木曜日
目的達成
先日、プロモーション隊として作成したレポート。
プロモーション隊としてネットにアップしてもらったものの
他のメンバーとの兼ね合いもあるし、あとはサイト運営者の意向もあって
私が提出したものからは文章も写真も削除された部分があり
(文字数はあらかじめ確認したら字数オーバーしてもいいっていうし
写真については回答がなかったし…ってことで作成したのだけれど)
でも、やっぱりあんなに時間かけて作成したのに完全バージョンが日の目を見ないのは悲しい
と思ってブログにアップし、SNSでもお知らせしました。
そしたら昨日、私のレポートを読んで「行きたくなりました」と
実際にお子さんを連れて家族で泊まりに行ってくださった方がコメントしてくださって
「わー、うれしー!!」と主人(レポート添削係)と喜びました。
お狩場焼きも美味しかったし楽しかったし、リラックスできた、お子さんも楽しんだ、とのこと。
レポート作成もブログアップも大変だったし
今回のプロモーション隊としての活動はいろいろあったけど
レポートを書いた目的(「読んだ人に行ってみたいな」と思ってもらえたこと)は達成できたので
こんなに嬉しいことはありません。
プロモーション隊として少しはいろんな意味で貢献できたかな。
2021年3月17日水曜日
巨人の目
2021年3月16日火曜日
英会話のこと
Carmels’snestに見学に行き、ダナンジさんとお話したときに印象に残ったこと。
ダナンジさんは来日して10年以上経つので日本語で話をしました。
レッスンでは、玄関に入ったところから英語でやり取りするそうで
生徒が「?」という顔をしたら日本語でヒントを出すそうだけれど
基本的にはすべて英語になるそうです。
私もみなさんもお互いに英語は母国語じゃないでしょ?だから完璧な英語でなくたって大丈夫よ。
私が今、日本語で話していてちょっとうまく説明できなくてもなんとなく意味は通じるでしょ?
それと同じで、話を聞いている人が意味を補完して
こういうことを言いたいんだなって理解してくれるから
もっと日本人は積極的に英語を話したらいいのに、とダナンジさんが話していて
そういえばあそび工房ミシガン特派員のTomokoさんも
じようなことを言っていたなぁって思い出しました。
アメリカは人種のるつぼだからいろんな人がいるし、英語がネイティブじゃない人も沢山いる。
だから話を聞くほうも多少、文法が間違っていようが気にしないし
発音だって違っていたら「Tomoko、それはこうだよ」って発音を教えてくれたりするよ。
学生時代、宅急便の事務所でバイトしていた時
アメリカ軍の基地に配達の荷物があって、基地の中の建物の番号を聞いてほしいって頼まれて
(学生さんなら英語できるでしょ、ってことで私に回ってきた……)
ドキドキしながら電話かけて詳しい番地を聞いたことがあったなぁって思い出しました。
確か、品物はお友達からのお子さんの誕生祝いで
私は宅配便の会社で働いているんだけどそれを届けたいから詳しい番地を教えて
ってすっごく基本的な単語を並べてなんとか番地を聞き出したなぁ、なんて。
今ではもう懐かしい思い出だけど、英会話も度胸で臨んだらなんとかなるかな。
2021年3月15日月曜日
Carmel’s Nest
本格的なモンテッソーリ教室が市内にできたと聞いて見学に行ってきました。
普通のお宅の一室で行われています。
レッスンで使われている教材の一部。
2021年3月14日日曜日
私の誕生日
このところ、誕生日がちょっと憂鬱。
あの年から、私の誕生日がちょっと違う日になってしまったから。
自分の誕生日ってちょっと自分の中では特別な日なのになんだかちっとも嬉しくない。
大事な人を失ったり、あの日から生活がガラッと変わったり
人によっていろんな思いがある日だとは思うのだけれど
でもなんだか私の特別な日が、社会から不自然な色で縁取られた日になってしまったような気がして
どうも嬉しくない。
だからTwitterでその気持ちを吐き出したら
同じ誕生日の日だという人に「誕生日おめでとう」ってお祝いしてもらえた。
まさかの展開に嬉しくなっちゃった。
この日が誕生だっていう人にしか、この気持ちはわからないよね、って。
そして誰かにお祝いしてもらいたいと思って気持ちをつぶやいたわけではなかったのに
反応してくれた人がいたことも嬉しかった。
だからTwitterにはまっちゃうのかな、ってちょっと思った。
2021年3月13日土曜日
10年後のビデオレター
震災後、被災3県の子どもたちにビデオカメラを渡し自由なテーマでビデオレターを撮ってもらおう
というプロジェクトがあり、我が家も参加しました。
あの頃、放射能汚染を気にして地元の野菜を食べることができなかった我が家に
義母と義兄が遠い産地の新鮮な食材や野菜を送ってくれていました。
他にも候補はありましたが、義母と義兄にお礼のビデオレターを撮ろうということになりました。
そのプロジェクト作品は今でもYouTubeで公開されています。
昨秋、その時にお世話になったディレクターより連絡があり
10年経ってあの時の子どもたちはどうしているか近況を尋ねるとともに
10年後の子どもたちの様子をまた撮りたいという連絡でした。
あの時、出来上がったビデオレターは100通。一人一人に連絡を取っている様子でした。
あの時、我が家の子どもたちは小学生でした。
地震や津波の影響はほとんどなかったものの、親子ともにいろいろな葛藤がありました。
他のお子さんは、親御さんはどうだったのでしょうか。
住む場所も年齢も、置かれた状況も様々な子どもたちのその後の歩みを
今回取り上げていただいたそうでどんな内容なのか楽しみにしていました。
真ん中ちゃんが主人や私、上の子ちゃんにインタビューする形でスマートフォンで動画を撮影し
年頃の下の子ちゃんはインタビューにはでませんでした。
とはいえすべて放送されるわけではなく、どこの部分が放送されるのか楽しみでした。
我が家はほんの短い時間ではありますがちょっこっとだけ出演させてもらいました。
震災の後、主人の実家に避難させてもらった時に義母たちが快く受け入れてくれたことから
今でも子どもたちを思う親の心が主人に受け継がれているということで
主人が我が家の防災部長として
離れて暮らす上の子ちゃんや真ん中ちゃんの家にも2週間分の水や食料を備蓄させている
と話している映像を使っていただきました。
その後、真ん中ちゃんが自宅にある防災備蓄食料を紹介しました。
またお正月にみんな揃って食事に出かけたときの様子を真ん中ちゃんが実は撮影していて
そのシーンが登場したときはびっくりしたし
食事の最後に真ん中ちゃんが「家族みんなで撮ろうよ」と言って撮った写真もでてきて
「ディレクターに家族写真を撮るように言われてたんだね……」と納得しました。
10年前の映像も登場してとても恥ずかしい思いもしましたが
岡山に住む義母の妹である叔母や、震災後に新鮮な野菜をたびたび送ってくれた主人のいとこにも
現在の我が家の様子を見せることができました。
真ん中ちゃんの七五三の時の、義母と義兄が一緒に写った写真も画面いっぱいに映し出されて
義兄や義父、岡山の親戚もとても喜んでくれました。
その夜、久しぶりに叔母の夢の中に義母がでてきたそうで、きっと義母も喜んでくれたかな。
10年経って、あの時の企画がこのような形で復活するとは思いもしませんでしたが
素敵な企画に参加することができてホントによかったと
主人の実家の家族も巻き込んでの、すごくいい思い出がまた一つ増えました。