声をあげて、泣くことを覚えた。
泣きつづけて、黙ることを覚えた。
両の掌(てのひら)をしっかりと握りしめ、
まぶたを静かに閉じることも覚えた。
穏やかに眠ることを覚えた。
ふっと目を開けて、人の顔を
じーつと見つめることも覚えた。
そして、幼い子は微笑んだ。
この世で人が最初に覚える
ことばでないことばが、微笑(びしょう)だ。
人を人たらしめる、古い古い原初のことば。
ひとがほんとうに幸福でいられるのは、おそらくは、
何かを覚えることがただ微笑だけをもたらす、
幼いときの、何一つ覚えていない、
ほんのわずかなあいだだけなのだと思う。
立つこと。歩くこと。立ちどまること。
ここからそこへ、一人でゆくこと。
できなかったことが、できるようになること。
何かを覚えることは、何かを得るということだろうか。
違う。覚えることは、覚えて得るものよりも、
もっとずっと、多くのものを失うことだ。
人は、ことばを覚えて、幸福を失う。
そして、覚えたことばと
おなじだけの悲しみを知る者になる。
まだことばを知らないので、幼い子は微笑む。
微笑むことしか知らないので、幼い子は微笑む
もう微笑むことをしない人たちを見て、
幼い子は微笑む。
なぜ、長じて、人は
質(ただ)さなくなるのか。たとえ幸福を失っても、
人生はなお微笑するに足りるだろうかと。
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