社会を知るためにはを思い切って朝早起きして読んでみました。
ちょっと難しいような、“社会”という得体の知れないものの話だったけれど
面白いといえば面白かったかな。
絶えず変化し、複雑に緩くいろんなものが相互にからみあって
ひとつを変えると別のところにしわ寄せが来たり、思いもかけない副作用が生まれたり。
映画にしても政治にしてもなぜ人は陰謀論が好きなのか、という説明にも納得しました。
分かりにくい、緩いつながりを頑張って理解するよりも
人は分かりやすい善悪二元論を好む。
「考えること」「調べること」はめんどくさいから「思考にかかるコストを削減したい」から 。
安野光雅さんのかんがえる子どもを思い出しました。
まさに考えることを誰かに託している・・・・。自分の頭で考えなきゃだめね(苦笑)
それと、面白いと思ったのは理論と理屈の話。
理屈というのは緩さをふくんでいるから理屈による否定や非難はいくらでもできる、ということ。
「理屈の緩さから引き出した論点を使って相手を否定してかかる」ことができる。
だけれど反対に緩さはある種の創造力の源でもある。
「理屈の緩さを活用して、議論に必要な論点を増やす」ことができる。
思いつかなかった、議論の相手が考慮していなさそうな論点を追加できるのは緩さがあるからこそ。
この「二つの道」があることを意識するだけでも、社会に向き合う私たちの態度は
変わってくるはずです、と締めくくられていました。
そういえばかえっこバザールを考えた藤さんが、かえっこバザールの反省会で
ぎしぎしピッタリきちんと考えられた社会よりも
スキマやゆとりが優しい顔をのぞかせているような、そんな社会がいいね
って確かそんなことを言っていたような覚えがあって
西川さんのあそびという言葉のもうひとつの意味の話も思い出して
やっぱり余白とかスキマとかあそび、緩さって社会にとっても人間関係にとっても
必要なんだね、と納得して本を閉じました。
0 件のコメント:
コメントを投稿