平成23年3月11日、私の誕生日に大地震は起こりました。
最初の数日は自宅にいましたが備蓄していた食料や水が尽きてしまい、埼玉にある主人の実家に身を寄せることにしました。
「困ったときはお互いさま」という義母は私たち家族と実家の両親、兄妹、妹家族の総勢19名を主人の実家と、同じ敷地内のマンションの別の部屋で一人暮らしをしていた義兄の部屋で受け入れてくれました。
「まるたまさんの息子さん達が大変だ」と義母の親戚や友人、マンションの人たちからは食料や飲料水を沢山いただきました。その気持ちがどんなにありがたかったことか。
あの頃、先の見えない不安に胸が押しつぶされそうでした。でもその中で救いだったのは食事。義母が朝食のおかずを作ってきてくれたり、母が夕飯のおかずを作って義母が白いご飯を炊き、主人の実家の家族と一緒に大勢で食卓を囲んだこともありました。みんなで食べるご飯の美味しかったこと。
両親が自宅に戻ると決めた日、言葉にならずただ涙を流して握手をする母と義母の姿が私は忘れられません。
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