ここにもし二つのよく似た井戸があり、一つには密かに金銀が、もう一つにはクズ鉄が投げ込まれたとしましょう。金銀もクズ鉄も一瞬、水面に波を立て、跡形もなく井戸の深みに消えてしまえば、どちらに何が投げ込まれたのかは忘れられてしまうでしょう。
月日が経ち、地震が起きて井戸の底が揺さぶられ、一つの井戸には金銀が、もう一つの井戸にはクズ鉄が浮かびあがるとき、人は二つの井戸に沈んでいた物の違いを知ることになるでしょう。
人の心も深い井戸に似ています。日常、何げなく過ごしてしまう出来事は、井戸に投げ込まれた石のように、必ずある波紋を心の表面に引き起こして、心の底に沈んでいきます。
今、この瞬間、人はある出来事をどんなふうに受けとめ、感じ、考えながら生きているのでしょうか?そのとき、その人自身がはっきりと自覚したり、認識するか否かにかかわらず、体験の鱗片、記憶の塵は刻々と心の井戸の底に積もっていくのです。
深い海の底には、マリーンスノーが絶え間なく降り積もっています。ある海底探検の記録映画を見たとき、闇に閉ざされた深い海底がサーチライトに照らし出されて、それはまるで深い雪国の粉雪がしんしんと降り積もるような情景でした。粉雪と見えたのは、海のプランクトンなどの微少な生物の死骸でした。海底には来る日も来る日も、海での生命を終えた生き物のなきがらがマリーンスノーとなって降り積もるのです。その堆積が長い年月をかけてじっくりと海底の地層を形成していくと考えられます。
このマリーンスノーのように、人の心の井戸の底には、人がその日その日を刻々と生きた感情体験の記憶の片鱗が絶え間なく降り積もっていきます。それがやがてその人の心の地層を形成していくのです。
抱きしめてあげて 育てなおしの心育て 渡辺 久子 著 より
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