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2025年8月18日月曜日

映画 中山教頭の人生テスト

SNSでこの映画のお知らせが流れてきて「あ、観たいな」と思ったら

なんと今月、kuramotoで上映する!!まぁなんてラッキー♪と。

しかも感想会付きの回もあるとのことだったので、迷わずその回にしようと思いました。

脇役に豪華な俳優陣が出演していて、ところどころにくすっと笑える演出があって。

とにかく頼りない、うだつの上がらない教頭先生が主人公。家でも娘との関係はイマイチ。

でも昔は熱血教師だったことや、仕事を優先してしまって妻の死に目にあえなかった過去

生徒と娘、どっちが大事なの?という娘

父親への反発と同時に、自分をもっと愛して欲しいという娘の気持ち

毎日を必死に生きている中で見た妻の幻想からは

そんな日常を、自分自身を肯定するような、励ますような言葉。


そして教頭先生を中心に展開される複数のドラマ。

学校も教育現場も男社会なのか?と思ったり、と思ったら情に厚いところがあったり。

校長先生は校長先生のドラマがあり、正義があり

校長よりもその後の方がすごく生き生きしている姿があったり。


子役たちもホントに演技が上手!!セリフではなく表情で語るシーンが多くあった。

そう、言いたくても言えない言葉、アドボカシー。

そしてこの話は先生バージョンと子どもバージョンで見える世界が全然違う。

そう、実は子どもの世界は実は怖いのよ。

しかしそこでも「人生何周してるの?」と思わせるような達観した子どもが登場したり。

現実の世界でも映画に出てきた子どもたちような子はホントにいると思う。


映画だからドラマ的な要素もあったし、ちょっと誇張している部分もあったけれど

すごくおもしろかった。

うだつの上がらない教頭先生だけれど

時々すごくいいことを言う、というか、自分の中にしっかりとした芯を持っているから

それが言葉になると、観た人の心に残るのかも。


君はここにいていいんだよってできる唯一の場所が学校なんじゃないか

先生や大人がこうしなさいって言うことは全部まちがっている

どんなに自分が頑張ったって戦争はなくならないし社会はよくならない

それなのに皆の前に自分は先生として立ってもいいのだろうか


先輩の先生方や子どもたちからしたら頼りない先生かもしれないけれど

前でみんなを指揮する校長じゃなくて、後ろでみんなにがんばれー!ってしてる校長

こんな校長先生もいいなぁって思う。

2025年8月6日水曜日

文化拠点の小さな灯

Kuramotoが10月で閉館というお知らせを聞き、とてもショック……。

再開発の場所ではないから閉館はないだろうと思っていたけれど

すぐ後ろと向かい側で再開発の工事が始まれば

もともと防音装置があるような映画館ではないので

工事の音が気になって映画をゆっくり観られないだろうし。


Kuramotoのボランティアスタッフに話を聞いた時に

Kuramotoを「想いの集まる小さな文化拠点」と表現していて

その文化拠点がなくなってしまうことがすごく残念というか

でもまだ決定ではないらしく、オーナー夫妻の間でも検討中だそうで

何かしら形を変えても残って欲しいなと思います。

2025年7月27日日曜日

映画 帆花

津久井山ゆり園の事件の日にあわせて2日間のみ一般公開された映画 帆花を観ました。

去年も事件の日にあわせて2日間公開されたみたい。


脳死状態で生まれた帆花ちゃんとご両親の生活を追ったドキュメンタリー映画。

子どもの人権や「生きる」ことについて考えたり、意思表示のことを思ったり、後見人のことや

この映画を観た後だったら先日提出したレポートは内容がもうちょっと違っていただろうか

お父さんやお母さんにとってのソーシャルって何だろう、「生活」において大事なものはなんだろう

とレポートの課題を思い出したり。

社会福祉士はこういった人たちとともに歩んでいく、そういう仕事なんだよなぁと思ったり。


脳死状態で生まれて、当初は脳波さえないだろうといわれていたけれど

お父さんやお母さんが日々話しかけ、愛情たっぷりに接することで

声が出るようになったり、問いかけに声で反応したり、人ってホントにすごいなぁって。

試しに脳波に反応して動く猫耳のおもちゃをつけてみたら、動く動く猫耳。

脳波がちゃんと出ている。愛情が人を成長させたんだなぁって。

どんどん成長していく帆花ちゃん、髪も伸びてかわいらしい女の子になりました。


そして、脳死ってどうなんだろう?と思いました。

帆花ちゃんはほぼ脳死状態で生まれた(出産のときにへその緒が切れて酸欠になった)けれど

意思表示ができるようにまでなったのだから。

脳死は人の死なのだろうか?(臓器提供のこともあるけれど)

帆花ちゃんを見ていたら、そう思えないと思いました。


そういえば以前、帆花ちゃんと同じようなお子さんの話を読んだことがありました。

だいぶ昔のことで、県内にある病院の院内学校に赴任してきたある男の先生と男の子の話。

男の子は重度の障害を持っていていつもほとんど眠っていて、寝たきりで

発語もほとんどないので意思疎通もできない。

彼はずっとあのままだろう、と今までの先生たちは思って接していた。

ある男の先生が赴任してきて、その先生は男の子の病室に毎日通っては話しかける。

他の子に話しかけるのと同じように「○○くん、先生だよ」と言って。

時間はかかったけれど、やがて先生の言葉に反応するようになって

最終的にはずっと寝たきりだった男の子は

病院の中庭にあったブランコに乗れるほどにまで回復したような

確かそんな話だったんじゃないかな。

今までの先生はみんな「どうせダメだよ」とずっと諦めていたけれど

その先生だけは諦めずに根気よく、他の子どもに接するように同じように話しかけ

愛情をかけて接した、その思いが彼の成長を促した、そんな実話だったと思います。


映画の中でもお母さんが話していた、帆花ちゃんはホントは思っていることはあるけれど

それをアウトプットすることができないだけなんじゃないか

もしそうだったらどんなにつらいだろうか、と話していて

私も映画を観ながら私もちょうど同じことを思ってせつなくなっていて

もしかしたら彼女は表現できないだけで意思や感情は内側に溢れているんじゃないか

それが伝えられないだけなんじゃないかって。

もしそうならそれがどんなにつらいだろうか、と涙がこみ上げてきそうになっていたけれど

それは本人だけじゃなくお父さんやお母さんにとってもホントにつらいこと……。

そしてそれはこの前読んだ、意思決定支援の話にもつながるかな。

「この人はどうせ自分で決められないのだから」と思って接するのと

「どうかこの人の意思決定のお手伝いができるように」と思って接するのでは全然違いますよ

という話。


自分と帆花と二人だけの世界にいるような感覚に襲われる、とお母さんが映画の中で話していて

それは子育て中のママがよく感じる孤独感だと思っていたけれど

映画を観た後、ネットで検索して見つけた記事を読んで

それは帆花ちゃんの病気のことを知っても

多くの人は自分とは違う世界の話だと線を引かれてしまう

(相手はいろいろ遠慮したり気をつかっての反応なのはわかるけれど)それがつらいのだと。

私が想像していた、子どもと二人ぼっちはちょっと意味の違うものでした。

社会福祉士だったら

どんな思いでお母さんや帆花ちゃんと接するのがいいのかな、そんなことも考えました。


映画を観ながら、いつも関わっている子たちの姿が目に浮かんで

みんないろいろあるけれど、でも毎日関わっていくうちにそれぞれのいいところが分かって

みんな味があってすごくいいなぁって思う。

帆花ちゃんとも過ごす時間が増えたら、きっともっといろいろいいところが見えてくるんだろうなぁ

なんて思いました。


福祉の勉強をしている今、この映画を観ることができてよかった。

2025年7月25日金曜日

今月の上映作品はどちらも気になる

ネットで流れてきた広告を見て「あ、観たい!!」と思った映画が今月の上映作品になってた♪

なんてタイムリーな!!

もう一つの上映作品も興味あるし、スケジュールをみたらどちらも感想会が企画されているので

感想会の日に観て来ようかな。

2025年5月10日土曜日

想像よりも体験

明日は映画「型破りな教室」の上映会+感想会。楽しみ~。

「型破りな教室」も夢みる小学校にでてくる「きのくに子どもの村学園」

ダイアローグインザダークもどうして私は好きなんだろう?と思って

「どれも実際に体験する」ということが共通している!と思った。


本当は想像することでそれをちゃんと自分の中に落とし込めたらいいのだけれど

紙の上だけの説明で理解する、とか、ここにないものを想像してみる、ことだけでは

私は本当の意味で理解することができなくて。

実際に体験すると一瞬で理解できるし納得するから

だから私は好きなんだなぁ、いいなぁと思うんだろうなぁと思った。

2025年4月15日火曜日

古井戸に落ちたロバ

先日観た映画「型破りな教室」で

先生はインディアンのティーチングストーリーである古井戸に落ちたロバの話をしてくれました。

ロバは生き埋めになるどころか頭の上から降ってきた土を踏み固めて土台にし

井戸を脱出しました。

困難さえ利用しろ。あきらめるな。自分の人生の手綱は自分で握れ。行き先を決めるのは自分だ

と話します。

その通りだなぁ。その言葉が私の胸にもすごく響いています。


古井戸の落ちたロバの話は絵本にもなっているみたいなので、高学年の読み聞かせにもいいかな。

2025年3月29日土曜日

映画「型破りな教室」

小学校」の映画を観た頃だったかな

ネットを見ていたら、多分SNSだったと思うのだけれどこの映画を観た人のコメントが表示されて

えー、観てみたい!!と思って検索したらほとんどの映画館で上映が終了。

でもご縁があって観ることができました!!


ちなみにこの映画は実話が元になっているそうです。

メキシコにある学力も生活レベルも底辺の小学校が舞台。

そこに風変わりな先生が産休の代用教員として赴任。

間違えたくない、だって成績に影響するでしょ?という子どもたちに

積極的に間違えることをすすめる。

失敗から学ぶんだよ、間違えることは怖くない、と子どもたちのバイアスを外していく。

それから先生は、ほんの小さな問いから学ぶことの楽しさを子どもたちに教える。

すると子どもたちはどんどん自分から学びを発展させていく。


日々の生活や自身のおかれた環境から未来への希望が見いだせなかった子どもたちは

学ぶことに対してもまったく意欲がなかった。

しかし風変わりな先生が赴任してから子どもたちは急成長を遂げ

学力テストも驚異的な結果を残す。


教育がテーマの映画ではあるけれど、話はそこで終わらない。

貧困、少年犯罪、孤児、ヤングケアラーなど社会の問題も浮き彫りにする。

PG12の表示があって、どうして教育がテーマの映画なのにPG12なのかな?と気になっていましたが

後半部分を見て納得しました。

私が先生だったらどうしただろう?どうすればよかったのかな、そんなことを考えました。

観てよかった、そのひと言に尽きます。


先生は「自分の人生の手綱は自分で握れ 行き先を決めるのは自分」と子どもたちに話します。

君たちには可能性がある。阻むものがあるとすればそれは自分自身だと。

ぜひ大人だけでなく子どもたちにも観てもらいたい映画です。(5月にKuramotoで上演決定

2025年3月18日火曜日

つぶやき

先日、映画「アディクトを待ちながら」を観たあとにつぶやいたら

InstagramとXと同じ内容だったけれど

Xはハッシュタグをつけたからかな、今までにないほどいいねとリツイートされて驚きました!

Xはブログのネタの備忘録として記録しているくらいだから

フォローもほとんどしてないし、フォロワーもいない状態なのに。

嬉しかったのは私の誕生日の日に主演俳優がリツイートしてくれたこと。

あー、私もミーハーだな(笑)

いいねとリツイートしてくれた方々は皆さん、当事者だったり家族だったり、で

日ごろの苦労やこの映画への思いが見えるようでした。

私も世間だったり社会をつくっているうちの一人。

この映画、観に行ってよかったな、と思ったのと

自分の中にしまっておくのもいいけれど

SNSでつぶやいてみるとまたいろんなものが見えるな、と思いました。

2025年3月9日日曜日

文化の小さな拠点

医と地の2回目に参加して

ゲストの方が「みなさんのお住まいのの地域にももうすでにこういう場所があると思いますよ」

という旨の話をしたときに思い出したのがKuramotoのスタッフの言葉

ボランティアの人たちがミニシアターの灯を守っていて

それは地域にある「文化の小さな拠点」を守る、ということでもあるんだよなぁって。

大きな映画館で上映されにくい、社会派的な内容の映画が多いので決して大衆受けはしないけれども

数ある映画の中から「これ」というものを選んで上映してくれるミニシアターが地域にあるって

ホントに贅沢でありがたいことだなと思います。

2025年3月8日土曜日

映画 「アディクトを待ちながら」

アディクトを待ちながら」という映画のタイトルを聴いても最初はピンと来なくて

アディクトとは依存症のこと、と分かって「あー、これは観よう」と。

依存症ってなんだか遠い、自分とは別世界の話だと思っていたのが

子どもの心の傷と依存症」の話を聴いてから依存症に対しての見方が変わったというか

ぐっと自分の近くに寄ってきた、というか、なんと言葉にしていいか分からないのだけれど。

映画を観ながら

誰だって心の弱い部分はあるし、誰がそうなったっておかしくない、自分だって……

そう思いました。

それから、この映画は世間の人たちに「依存症のことをちゃんと知ってもらいたい」という

依存症の人たちやその家族の思いや願いもあって

そして私も、その世間をつくっている一人なんだよなぁ……と思いながら観ていました。

社会福祉士の勉強を始めなかったら前述の依存症の話を聴こうと思わなかっただろうし

この映画も観ようと思わなかったと思います。

資格を取ることは目標ではあるけれど、それに付随していろんなこと

今まで知らなかったことを知ることができて

一つの資格に向き合うことですごく世界が広がって驚いています。

やっぱり社会福祉士はジェネラリストなんだなぁ。

その分、寄り道ばかりしているから勉強はなかなか進まないけれど……。

近所にミニシアターがある幸せ。

平日の夜に、仕事が終わって急いで買い物して帰ってご飯をつくって家族と食べて

それから「ちょっと映画観てくるね」と出かけることができる。

ふかふかソファーに大きな画面を独り占めして、プライベートシアター感満載。

ありがとうKuramoto


そしてこの話には後日談があります……。

2025年2月28日金曜日

映画 「小学校~それは小さな社会~」

都市部で公開されて話題になっていた映画がこちらでもやっと公開されたので観てきました。


先日の映画は内容がちょっと重めのものだし、観客は私一人かな?と思ったら
私の他に5人もいて驚きました。(それはそれで話題作だったようです)
今回は結構話題になっているので
今度は私の他にもきっとお客さんはいるだろうと思ってチケット売り場に早めに行きました。
「やった!一番乗り♪」


ちらほらとチケット売り場にお客さんがやってきますが
意外にシニア層だったり、私と同じくらいの年代の人だったり。
現役の幼稚園や保育園、小学校にお子さんを通わせているくらいの親御さんもいるかな
と思ったのですが、私が行った日はぱっと見た感じはいなかったかな。


この映画の感想は賛否両論に分かれる、なんて聞いていたけれど
私の場合はどこにでもある小学校の一年間の様子を記録したドキュメンタリー映画、という感じで
普通に楽しめました。

とにかく子どもたちがかわいかった!
まさに「今を生きている!」キラキラしていて、一生懸命で。
先生も子どもたちもホントに自然体で「撮られている」という感じは全くなくて。
撮影を受け入れた学校も、先生方も、児童も、そして保護者も、よくOKしたなーと思いました。
だっていろんな人の目にさらされて、学校のやり方を批判されることだってあるだろうし
そういうことも含めて受け入れたのだから。
大空小学校の映画の時も、校長先生が子どもたちや保護者に了承を取って撮影された
というシーンがあったことを思い出しましたが
まさにこの小学校でもそうだったんだろうな、と思います。

撮影されたのはコロナ禍の頃。みんなマスク必須。
給食は透明な仕切りを立てて、みんな前を向いて黙食。
学校も分散登校で、半分は教室、もう半分はオンラインで授業。
オンライン授業の子どもの家は保護者が横で画面操作などを手伝って。
そう、親も仕事休んだりリモートだったり、大変だったよなあ。
あの頃、我が家は大学生と高校生だったし
上の子ちゃんも真ん中ちゃんも地方の大学だったから東京ほどはリモートじゃなかったんだと思う。
(それでも上の子ちゃんの同級生はリモートが多いから
部屋を引き払って自宅に戻った子もいたみたいだけど)
真ん中ちゃんは入学した年が緊急事態宣言の年だったし
上の子ちゃんは部活が自粛になって結局そのまま部活が復活する前に引退になっちゃった。

今までできていた学生生活ができなくなってしまって、それはかなり残念だとは思うけれど
でも私はそれを「かわいそう」とは子どもたちに言わなかった。
だって「かわいそう」と言ってしまったら
子どもたち自身が「自分はかわいそうな子なんだ」と思ってしまうから。
子どもたちは思っているほど弱くはないし、状況に柔軟に対応できると思っていたから。
それにできないことにこだわっていたって状況は変わらないし。

映画に出てきた子どもたちも、楽しみに計画していた林間学校が中止になって残念そうでした。
でも修学旅行かな?には行けたみたい。
映画の中で、
下駄箱の靴をきちんと揃えてしまっているか、係の児童がチェックしているシーンがあって
そんなに靴箱の中までちゃんとしないといけないの?!とちょっと驚きました。
(ここのシーンはやっぱりびっくりする人は多いようです)
修学旅行でも、大部屋の前に脱がれた靴を見て
(だいぶキレイにそろえてはあったけれど)脱いだ靴はきちんと揃えて欲しい、というような
先生方が話しているシーンが再びでてきて
どうして靴を揃えることにそんなにこだわるのだろう?とちょっと思ったけれど
大勢がここでまた靴を履いて移動する
そうなった時に靴が揃えられてあればすぐにパッと履けるし
平常時ならそんなにまぁ問題もないのだけれど
災害大国日本であれば、急な大地震で避難をしなければいけなくなった時に
靴がぐちゃぐちゃに脱ぎ捨ててあればそれこそ靴を履くだけで混乱するから
そういう時のための練習なのかな、なんて思ったり。

いろんな意見は当然出てくるだろうと思うけれど
映画に出てくる先生たちはホントに一生懸命やっている、と思いました。
朝早くから(そう、地元の中学校でも7時前に学校に来ている先生がいるって
前の職場で話題になったことを思い出しました。
朝の散歩に行くと職員室に明かりがついていて「先生、もう出勤している!」って。
それは自主的に先生が早く来ているようでした)

私も一年だけだったけれど中学校で常勤講師をした経験があります。
親になって「学校」に子どもを預けることになる
その前に「先生」という立場を自分が経験できたことはすごくよかった、と。
私が先生をしていた時に一緒だった先輩方も
先生ではないけれど子どもに関わる職場で今、一緒に働いている人たちも
預かる子どもたちのことをとても大事に思っていて
映画の中の先生たちも気持ちが同じだなーって感情移入しちゃいまいた。
他の学年の先生方から授業や活動についてアドバイスをもらったり、時にはご注意をいただいて
(あー、私もあったなー、凹んだことも)
頑張って「先生」をしていると見ていた登場人物から「自分はこの仕事向いていないんじゃないか」
とポロっと弱音がでたりして、それは先生をしていたの時も、今の仕事でもやっぱり私も思うし
あー、みんな同じなんだなぁ、いろいろ弱音を吐きながら、試行錯誤しながら
それでも子どもたちのために前を向いて踏ん張っているんだなぁって。

下の子ちゃんが卒業するときに
私は保護者を代表して小学校の卒業式にお礼の言葉を読むことになり
3人が小学校に入学してからのことを思い出してお礼の言葉を書きました。
下の子ちゃんがもうすぐ2年生になるときに東日本大震災が起きて
何度も夢であってほしい、と思いました。
新年度になって学校が始まって、コロナの頃も大変でしたが
震災後も児童を受け入れる先生方は本当に苦労の連続だったと思います。
保護者もいろんな考えや意見を持っていたし、いつもと違う環境下での授業再開でした。
あの頃、いろんな情報が飛び交い、自分の気持ちもとても不安定でした。
そんな中、先生と話していて「学校では先生がお母さんなんだな」と思いました。
そう思ってからだいぶ安心して子どもを学校へ送り出すことができるようになりました。

あとね、小学6年生って小学校の中で見るとすごく大きく見えるのに
中学校に入ると1年生ってすごく幼く見えるの!
あー、あれはなんでだろう、って映画を観ながら思いました。
映画では放送室に出てきた男の子と女の子がいて、すごくお兄さん、お姉さんだなって思うのに
中学校に行ったら先生方に「3年生に比べたらなんて幼い、かわいいなぁ」って見られるの
きっと。
そんな中学校あるあるを思い出しました。

今の学校制度がいいのか悪いのか、いろいろな考えはあると思います。
日本の今の学校という制度のおかげで教育が普及し
日本の子どもたちは読み書きはできるしある程度の計算もできる。
日本全国どこにいってもある程度、同一の内容の教育を受けることができます。
でも、学校になじめない子どもたちも増えてきました。
私も学校は得意な子どもではありませんでした。

私が一緒に働いてきた、また今の職場のスタッフも
子どもたちのことが好きで大事に思っているけれど
関わる子どもたちから学校の様子だったり先生の話を聴くと
ちょっと残念だなー、と思うことも正直あります。

私が思うのは、全部を学校に丸投げせずに家庭や親ができることをすればいいし
学校以外にも活動できる場所はあるから
子どもにとっても居心地よく過ごせる場所をいくつか用意したり、連れて行ったり
ともすると子どもは学校と家が世界の全てになってしまうから、そうじゃないよって。
いろんな場所があって、そこにいくといろんな自分があって、いろんな自分はすべて私だよ、って。

監督はイギリス人の父と日本人の母を持ち
大阪の公立小学校に通い、中学校からはインターナショナルスクールに進学して
自分は「いいとこどりをした」という監督の言葉。
日本の小学で集団生活をする良さを学び、インターナショナルスクールで個をのばした、と。
東日本大震災で、あんな状況になっても大きな混乱も起こらず、秩序を守っていたのは
小さな頃から集団生活や他人の気持ちを汲み取ることをしてきたからだ、と言われます。
だから日本スタイルも悪いところばかりではないと。

学校教育についてこれからどうしたらいいのか、私もよく分かりませんが
学びの幅が広がってもっといろんな選択できたらいいのかな、と思います。
学校以外の選択をしても、教育レベルであったり、経済的負担であったり
同じように保障してもらえたらいいのかな、と。
みんながもっと生き生きと「勉強することが楽しい」と思ってもらえるように
そして「大きくなったらどうなりたいか」夢を持って見通しを持っていけたらいいのかな。

2025年2月27日木曜日

映画「どうすればよかったか」

ここの映画館は久しぶり。前回は「」を観たな。

 「どうすればよかったか?」間違ってなかった、という父

でも息子は、もっといいやり方があったのではないか?と思うから

「どうすればよかったか」と聞いたのだと思う。

well-beingってなんなのだろう?誰からみたwell-being?娘よりも母に寄り添った?

娘自身はどうしたら幸せだったの?息子は?答えの出ないことを考える。


その後、録画してあったクローズアップ現代を見る。

カリスマ生のオープンチャットで話題に上った私宅監置の本のことを思い出す。

「知られたくない、秘密にしたい、恥である」という文化はずーっと続いているのだろうか。


監督へのインタビュー

2024年5月11日土曜日

「フジヤマコットントン」鑑賞&感想会

フジヤマコットントンという

富士山の見える山梨県甲府盆地の中心部にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」で

障害を持つ人たちが仕事に取り組む様子を撮ったドキュメンタリーを鑑賞し

参加者が感想を語り合う会に参加しました。


監督は、相模原障害者施設殺傷事件の「障害者は生きている価値がない」という言葉を受け

「人間の価値とは何か。なぜ事件は起きたのか」を考えながら挑み

人の価値を「ある/なし」の土俵に乗せず、目の前にいる人たちの魅力を

出演してくれた一人ひとりの日常の中にある「良い!」を見つめたのだとのこと。


コットンを栽培する人、紡いで糸にする人、染色する人、織り上げる人、布で作品をつくる人。

種をまき、花を咲かせ、丹念に花のお世話をする人。

と思えば緻密に丁寧な色を付けて絵を描く人がいたり、とそれぞれ作業に取り組む。

「家に帰りたくないんだ」という利用者さんには早く帰るように促すこともなく職員が見守る。

「施設に来るが大好きだ」という利用者さん。

こういう施設なら好きになるだろうなぁ、と観ている私も思いました。

それから利用者さんに芽生える恋バナも。

人間をまるごと、映し出していました。


相模原障害者施設殺傷事件を取り上げた映画には「月」もあって

どんな内容になるんだろうかと思っていましたが

同じ事件から影響されて生まれたものでも、表現が全く違っていて

それはそれで面白いなと思いました。


感想会にはコットンの栽培をしている方や福祉に関わる仕事をしている方

身近に障がいをもっている方がいるという方、いろんな方が参加されて

いろいろな角度から作品を味わった感想を聞くことができました。


私はというと、障害福祉サービス事業所が舞台なので

私が仕事で関わっている子の中には将来、こういったところで働く子もいるのかな

卒業してすでに通っている子もいるので、こういう感じでお仕事しているのかな

と思ったり。


また施設のスタッフと利用者さんの関係がすごくいい感じで

その他、利用者さん同士の関わりなども撮影されていて

全編を通してほのぼのとした雰囲気の、あったかい空気が伝わる作品でした。


時折、利用者さんのぼそっとつぶやかれる言葉が

またなんともまた哲学的というか、深いところを突いていて……

「仕事ってなんのためにするの?」と撮影者に質問を投げかけた後、ぼそっと

「仕事は他の人を幸せにするためにすること。自分は施設の人を幸せにするために仕事をする」

と自分で答えていました。

その言葉の余韻を十分に感じた後にエンドロールが流れてきました。



「生産性がないと生きる価値がない」と言い切る人がいる一方で

「仕事は他人を幸せにするためにするもの」とぼくとつと働く人がいて

そしてそれをあたたかく見守る人がいて。

いろんな人がいるなぁ。ホントにいろんな人がいるなぁ、そう思った夜でした。


相模原障害者施設殺傷事件をモデルにした映画「月」を観たときは

「人」の定義や「生きる意味」って何だろう?生産性がないと生きている価値がないのだろうか。

私は映画の中の“彼”が思っている正義を、ひっくり返せるような言葉が思いつかない……。

とやるせない気持ちになりましたが

障がいのある方に否定的な人ばかりではないし

利用者さんの、自分の与えられたことをただひたすら全うしている姿に

あの時に感じた猛烈なやるせなさが救われました。


Kuramotoではちょうど「はなのころ」(障がいを持っている方のアート作品)の

作品展示が行われていました。






2024年2月28日水曜日

「光る校庭」鑑賞感想会

Kuramoto映画鑑賞とみんなで感想をシェアする会に参加してきました。

身近な人の「死」や「いじめ」について考えさせられる作品で

いろいろな賞を受賞した映画だという情報は頭に入っていましたが

タイトルの「光る校庭」はどういう意味なんだろう?と思って観ていました。

(ラストで「ああ、そういうことだったのか」と回収されました)

それから子役の二人がとっても素晴らしくて、私も感情移入して観ていました。


モカシンの箴言(しんげん)と

吉野弘さんの「善悪のいずれか一方に、その人を押し込めないこと」という言葉を思い出しました。

正義は時に刃にもなる。それぞれの正義が刃になって心に食い込む。

それぞれがそれを「正義」だと思っているから余計に厄介で。

だからこそ自分に見えている部分だけで他人を簡単に批判したり断罪したり

そういうことはしてはいけないなぁと思いました。


感想をシェアする会では小学生のお子さんも参加していました。

子どもならではの鋭い指摘があったり

それぞれの視点で心に残った場面を話して

どれも「あ、そう、そこ、私もいいと思った!!」と思いながら聞きました。


映画の中でもでてきた「人は死ぬの?死んだらどうなるの?」という主人公の言葉。

参加者の一人から「人は死んだらどうなると思いますか?」という質問が出て

参加された方がそれぞれの死生観を話しました。

死生観なんてあんまり人と話す機会がないので他の人の死生観を聞けたのはよかったな。


今回は映画を撮った監督さんもいらしていて

映画の中のそれぞれの印象深いシーンにはどんな思いが込められているのか

撮影時のエピソードや作品に登場した女優さんのこと、また監督さん自身の話も。

(30歳までサラリーマンで、きっとそのままお仕事を続けていたら安泰な生活だったと思うけれど

思いきって映画の道に進んだ話など)

普段はなかなか聴くことができないお話を聴くことができました。

また気になる感想シェア会があった時は参加したいと思います。


2024年1月22日月曜日

映画「月」とヴィヴィアン佐藤さんのトークショー

先月、映画「月」の公開初日にあわせてヴィヴィアン佐藤さんのトークショーが行われました。

この映画、観てみたい気持ちと

でも観たら落ち込んでしまいそうでこわいなぁという思いがありましたが

ヴィヴィアン佐藤さんのトークショーもあるということだったので、都合をつけて行ってきました。

でも実際観てみて、そんなに思ったほど落ち込まなくてよかった、というのが正直なところ。


それから上映後のヴィヴィアン佐藤さんの解説が聞けたのがやっぱりよかった!!

ヴィヴィアン佐藤さんからは映画の見方を教えてもらった、という感じかな。

映像に映っていること、それだけが全てではない。それだけが真実ではない。

迫真の演技であればある程、真実味を帯びている。

映画に出てくる登場人物は映画を観ている人一人ひとり、誰にもなりえる、鏡像になっている。

どう自分の言葉で考えていけるか、(映画を)その材料にして欲しい。


上映時間の2時間半はあっというまでした。
映画を観ながら、いろんなことを思い出したり考えたり。

例えば『コスパ・タイパ』という言葉が思い浮かんで
やっぱり自分もそういうことついつい考えてしまうのだけれど
そういう社会的な風潮がモンスターを生み出してしまったのかな、とか。

それから『心はどこにある?』ということ。
人間の“心”ってどこにあるんだろう?胸?頭?脳みそ?
以前読んだ『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』を思い出して
博士が自分とそっくりのロボットをつくるのだけれど
みんなはそのロボットの方が博士よりも博士らしいっていう
その人らしさって一体なんなんだろう?
本人よりもロボットの方が本人らしいって本末転倒みたいな
(でもなんとなくその理由も分かるような気がしたり)そんなことを思い出したり。
たとえ話ができなくても心はちゃんと存在するし
心の中にあることを表現する、言語化するって実は高度なことなのかもしれないな、って思ったり。
言葉が出てこない子だっているし、言葉が出てこないから心がないわけではないのに、って。
「人」の定義や「生きる意味」って何だろう?
生産性がないと生きている価値がないのだろうか。
私は映画の中の“彼”が思っている正義を、ひっくり返せるような言葉が思いつかない……。

それからこういった施設では、本当にこんなこと(虐待)が行われているのだろうか
以前、八王子だったか、精神病棟のことが問題になったし
福祉の研修では、自分がストレスフリーでないと弱い人を虐待してしまうから
自分自身の心に余裕があることがとても大切だと教えられる……。

映画を観ている分には、スクリーンに映し出されているものは本物に似せたつくりものであり
例えば血だって本当の血ではなく“血のり”だと思うから
どこか安心してスクリーンを見られるのであって、あれが全て本物だったらとうてい直視できない。
(でも実際に起きたことを忠実に再現しているということなので
ラストシーンで事件につきあわされる羽目になったあの人は、あんな現場を見せられてしまったら
もう普通の意識を保つことはできなくなってしまうのではないだろうか、と思ったり)

映画の中ではいろんなテーマが混在していて
出生前診断をするかしないか、そんな内容にも触れられていて。
私は下の子ちゃんがお腹にいたとき
上の子ちゃんと真ん中ちゃんが水ぼうそうになったことを思い出しました。
私も水ぼうそうにはかかったことはなくて
子どもたちが小児科の先生に診てもらった時にそのことを話したら
「かかりつけの(産科の)先生に相談してください」と緊迫した面持ちで言われて。
で、そのあとちょうど診察があったので産科の先生に相談したら
「もしお母さんも水ぼうそうになってしまったら、お腹の赤ちゃんおろしますか?」と聞くので
「産みます」と即答したら
「じゃあ、心配しなくたっていいじゃない」と先生は笑って、あー、この先生、好きだなぁって。
真ん中ちゃんが逆子になってなかなか元の位置の戻らなかったときも
「江戸時代だって逆子はいたんだよ。でもみんなちゃんと自然分娩で産んでたんだから大丈夫」
って。
(でもそのあと、ぎりぎりのタイミングで元に戻ってくれたけど)

上映終了後のヴィヴィアン佐藤さんのトークと、一緒に上映を観た方が感想を発表していて
あくまでも物語であって、それが全てではない、というヴィヴィアン佐藤さんの言葉から
考える事自体、めんどくさい。考えることを他人にゆだねてしまっている。
社会全体がそんな流れになってしまっているけれど
この映画は物語であって、それがすべてではない。そこから考えることが大事。
という言葉が心に残りました。
確かに、私も考えることがめんどくさいと思って他人に考えをゆだねているかも。
安野光雅さんの「考えを誰かに託してしまっている」話を思い出しました。

そしてある施設の管理者。
映画に出てくる“彼”は境界知能(簡単にいえばグレーゾーンといえばいいのかな)だった。
今、自分がお預かりしている子の中にも
将来、彼のようになってしまうかもしれない子が出るかもしれない
そう思って言葉を震わせていたその姿もまた、印象に残りました。

誰の心の中にもある、差別という気持ちだったり、正義だったり
映画のなかに出てきたきいちゃんを思ったり、主人公が自問自答するシーンだったり
会場で一緒に映画を観た人たちがそれぞれに、静かに心の中で
いろんな考え、思いを反芻していました。
こうやって映画を観た後に解説を聞いたり、感想を共有することで
映画が自分の心の上を素通りすることなく、心の中にとどまる。
沢山の小石が心の中に放り込まれて、さまざまな波紋が生まれるように
心の中の川に大きな杭が打ちこまれて、そこにまたいろんなものがひっかかるように。

2023年12月18日月曜日

「世界のはしっこ、ちいさな教室」鑑賞感想会

映画を観た後に感想を語り合う、鑑賞感想会つきの上映会。

私はこの会が好きで、よく参加する。

今回の映画は「世界のはしっこ、ちいさな教室」。

残念ながらラスト10分くらいのところで仕事に行く時間になってしまって

他の方の感想を聞くことができなかったのだけれど、映画を観ることができてよかった♪


西アフリカにあるブルキナファソやバングラデシュ、シベリアで子どもたちに

学ぶことの楽しさや面白さを伝える三人の女性教師の姿を追った映画。

私もたった1年だったけれども教職の経験があるので

彼女たちの気持ちに共感したり

私だったら彼女のようにできただろうか、と思いながら観た。


ブルキナファソで新米教師になった彼女は幼い二人の子どもがいる。

自宅がある首都から赴任地までは600キロだったか700キロだったか、とにかく離れたへき地。

バスや車を乗り継いで、やっと着いた場所は携帯の電波も入りづらい場所。

新米教師はそこで6年間教えるという。

かわいい盛りの我が子と離れて、時々しか会えないというのに。

しかもブルキナファソは60もの言語があるといい、教室でも7つの言葉が飛び交う。

新任教師のあいさつでも、公用語のフランス語が分かる生徒にお願いして

(フランス語が分かるといっても、とても簡単なフランス語にしないと分からない)

自分の言葉をみんながわかるように訳してもらわないといけない。

単一言語の環境でしか生活したことがない私には驚きしかない。


識字率が世界でも最下位だというブルキナファソ。まずは文字の書き方を教えることから始まる。

落ちこぼれ者を出さない、みんなができるようになるためには、と悩み

日が落ちてからでも勉強したい子は勉強できるように、と

ソーラーパネルを購入して(多分、自費だろうな)自宅に設置したり。

私だったら家族と離れ離れになって、たった一人でへき地の学校で、しかも多言語が飛び交う現場で

6年間も教壇に立つ覚悟はあるだろうか。


バングラデシュではボートの上が学校の「ボートスクール」を。

船で子どもたちを家まで迎えに行き、そのまま船が教室になる。

女性教師は22歳。日本でいえば新卒の新米教師といったところだろうか。


しかし、女の子は勉強よりも結婚してほしい、という現実。

女性は18歳にならないと結婚できない決まりで、法を犯せば罰金刑が科せられるが

結婚の際に男性側から提供されるお金や宝石のために法を犯してまで娘を嫁に出す。

そうしないと生活していけない。

娘本人は結婚したくない、中学校に進学したい、そう思っても

中学の入学試験に合格したところで、制服も授業料も準備できないのだ。

でも女性教師はあきらめない。保護者に話す。

勉強して職につけばお給料がもらえる。早くに結婚させるのは本人の健康にもよくない。

中学校に進学させて欲しい、と、まだ若い娘が、自分より年上の大人に……。

私だったらそこまでできるだろうか。


日本も昔はそうだった。子どもたちは大事な働き手。

勉強することは大事だとは分かるけれど、働いてもらわなければ食うに困る。

そんな時代が長く続いた。

でも沢山の人たちの努力があって、私たちは今、こうやって学校に通って勉強させてもらえる

としみじみ思った。


最後はシベリアの地で遊牧民の子どもたちと。

子どものいるキャンプを転々と移動して、一定期間勉強を教える。

雪深い中、沢山のトナカイを率いて学校に必要なものを運び

移動した先ではテントを立て、そこが学校となる。


雪深い中で何百キロも移動していく。

何も目印のない大雪原の中、トナカイをあやつり

どうやって目的地をめざすことができるのだろう?

(海原を進む船乗りのように、コンパスを頼りにしているのかな?)

想像を絶する寒さの中を移動するのだから、命の危険とも隣り合わせなんだろうな

ということも想像できる。

本当に大変だけれど、でも子どもたちに勉強を教えることは大事だから

どんなに大変でも自分はやめない、という先生。


子どもたちは公用語であるロシア語を話すが

先生は自分たちの祖先の言葉や文化も伝えたい、と奮闘する。

自分たちが何者であるのかを知るのはとても大事なことだと思う。

でも子どもたちは祖先の言葉であっても、日常生活では触れることがない言葉はつまらない。

どうしたら興味を持ってくれるだろうか、と考え、今までのやり方を変える。

私は「なくなりそうな世界のことば」の本を思い出した。

こういう人たちのおかげで、なくならないでいる言葉があるんだな。


高校までの勉強は、受験のための勉強だったりして楽しいものではなかったけれど

大学では「おもしろいな」と思うことを勉強できた。

社会人になった今でも、興味を持ったら本を読んだり講座を受講したりしている。

学ぶことはお金には直接直結しないことの方が多いけれど

自分の内面に深みをもたらしてくれる。

学ぶことの大切さや面白さを知っているから、映画に登場した先生たちは

自分自身の困難さと引き換えにしても

子どもたちに学びの環境を与えることを惜しまないのだろう、と思った。


彼女たちに密着して撮影した映画スタッフも大変だっただろうな、と思ったり

子どもたちへの学びに必死になる先生が三人とも女性であったのも私は嬉しかった。


2023年11月23日木曜日

EIGATOFUROまちなか鑑賞会

KuramotoによるEIGATOFUROまちなか鑑賞会。

記念すべき第一回目は『さはこの湯』3階の大広間が会場だということで

おもしろそう♪と主人を誘って行ってきました。

私はお風呂と同じ入り口かと思ったら、外階段を利用して上に行きます。

左の扉は2階へ、右の扉が3階に通じる階段でした。


映画が終わって帰り道。「このアングルって貴重じゃない?」と写真を撮ってみました。
向かい側の、明かりがともっているのはHaceさんのプライベートサウナ。

主人とは“まちづくり勉強会”に一緒に参加しているので
「さはこの湯で出張映画やるんだけど、一緒に行かない?」と誘ってみました。
私も主人も近くに住んでいるのに、さはこの湯の3階に行くのは初めて。
こんな場所があるとは知っていたけど、こんな感じになっているんだね~
と二人でキョロキョロしながら会場を見まわしました。

来週からは社会実験も始まるし、今、まちの中が大きく変わろうとしている中
こういった場所を見つけると、ここで何か楽しいことができそう♪とワクワクします。

いつもは趣味や興味関心は別々ですが
こうやって同じ目標や目的があると一緒に出かけられたり、共通の話題で話ができたりするから
こういうのもいいなーと思いました。

ちなみに今回上映されたのは「杜人
“ちょっと変わった”造園家 矢野智徳さんを追ったドキュメンタリー。
ひと言でいえば“ちょっと変わった”なんだろうけれど、その変わっている内容がすごすぎました。
弱っている木を見て、その原因をぴたりと言い当てる。
そしてその原因は環境にあって、そこを取り除くとすぐにまた元気を取り戻す。
だから「環境再生医」と呼ばれる……。
私はてっきり樹木医だと思ってきましたが、またそれとは違うんですよね。

矢野さんは花木植物園で植物と一緒に育ち、しかし大学では地理学を専攻。
植物と地理ってどうつながるの?と最初は疑問だったけれど
その疑問は終盤で回収され、見事につながりました。
それから矢野さんに教えを請い、災害のあとは各地で環境の再生を実践する教え子たちの姿。
こんな世界があるんだなぁと私はただただ驚きでした。
今回、このまちなか鑑賞会で取り上げられなかったらこういう世界があることも知らなかったかも。

EIGATOFUROまちなか鑑賞会、次回はどこで、どんな映画が上映されるのか
そちらも楽しみです。

2023年10月3日火曜日

朝日座

日曜日は南相馬へ。


築100年の映画館である朝日座。オープンは大正時代。


映画の舞台にもなったので、テレビのCMで外観は見たことはありました。


今日はこの映画を観に来ました。

人生フルーツ

会場で配布されたアンケート


上映会についてのパンフレット


南相馬市が募集した、まちなかの建物を活用してまちづくりをする講座で
朝日座の前にある朝日食堂を担当したスタッフたちが
朝日座も一緒に活用して何かできないかと動き出したのだそうです。


もう座席も穴が開いていたり、とにかく時代を感じさせる映画館でしたが
昭和の頃の、映画全盛期の活気にあふれた時代に思いを馳せました。


今回は監督のアフタートーク付き。


今では珍しい木綿製のスクリーン。


前売り券を購入した人には凍み餅の天ぷら付き♪


凍み餅ってヨモギが入ってるのかと思ってたら、違ってた~。
南相馬といったら凍み餅の天ぷら!!久しぶり。嬉しい!!美味しい!!



人生フルーツは何度か見ようと思ったことがあったのだけれどことごとく機会を逃し
私のPRの師匠でもある新田真由子さんからお誘いをいただいて
今回の南相馬での上映会を知りました。

この映画はずっと真由子さんが上映会をしたいと思っていた作品で
真由子さんのお友達が監督とお友達だったということで
上映後のアフタートークに出席していただけることになったそうです。

監督のお話で、どうして人生フルーツに登場するご夫婦を知ったのか、とか
奥さまやこのお家のその後のことなど、映画を観ていて気になったことが分かって
「今まで他の上映会を観ないでよかった、今回のこの上映会に来てよかった~」
と思いました。
すでに観ていたら、多分、今回の上映会には行かなかったでしょうから。

とても仲のよいご夫婦のスローな暮らしが画面いっぱいに映し出されました。
ご夫婦を見ていると、先年亡くなった母方の祖父母を思い出して涙が溢れました。
とっても仲が良かったおじいちゃんとおばあちゃん。そして働き者だった二人。
戦争にも赴いていた祖父。共通点が沢山ありました。
祖父母もゆっくり静かな時間の流れる夫婦でした。

朝日座は、まちなかの建物を活かしたまちづくりのプロジェクトから発展して
有志でいろいろな活動をしていると知って、とても親近感がわきました。
監督のアフタートークからは
シネコンの台頭で名古屋などの都市でも映画館が閉館しているとのこと。
ネットフリックスなど家でも映画は簡単に、リーズナブルに観られる現代。
これから映画館はどうしていったらいいのか
そんな話からKuramotoでの取り組みを思い出したり。

南相馬も休日は街の中を歩く人の姿もほとんどなく「あー、私の住む町と同じだー」と。
でもここからまちづくりを通して、どう変えていくのか。
お互い(勝手に親近感を感じてしまいましたが)頑張っていけたらいいなあと思います。


2023年7月13日木曜日

Usura_Casuraさんと自由研究のこと

Kuramotoで映画上映会を企画しているUsura_Casuraさん。子育て中のママさんです。

夏休みの上映会のお知らせを見て、すごいなと思いました。

私自身は夏休みの自由研究をしたり、子どもたちにも自由研究に取り組ませたことはなかったけど

「あ、こういう視点で自由研究ってすればいいのね」 と思いました。


自由研究に実際に取り組まなくても、こういった映画を観た感想を自由研究にしたらだめなのかなぁ

なんて思ったりして。


でね、こういう素敵なママが近くにいることも、私はすごく嬉しいのです。

自分の好きなことにひたむきに向かっていく姿や

自分の“好き”を自分だけのものにするのではなく

「お子さんの自由研究にいいですよ」「こういうところが自由研究になりますよ」

とお知らせしているところが素敵だなぁって思います。


2023年6月5日月曜日

この小さな手

7月にKuramotoで上映予定の『この小さな手』。ご縁あってひと足先に鑑賞しました。

子育て中の方も、子育てが終わった地域の方にも、そしてこれから子育てをする方にもいろんな方に観ていただきたいなと思いました。

子どもが生まれたらすぐ親になれるでしょうか?いえいえ、決してそうではないですよね。私は初めての出産を終えた夜のことを覚えています。親になったという実感がなく、隣で寝ているわが子を、なんだかとても不思議な気持ちで見ていました。その後は慣れない授乳や夜泣きに奮闘し、新しい生活に慣れるのに精一杯でした。

そうやっていろんなことを一緒に経験し、乗り越えてゆくことで親子になってゆくんですよね。この映画でもあることをきっかけに主人公が娘と真剣に向き合い、父親になっていく姿が描かれています。

また子育て中の方がこの映画を観て「なんでも自分たちだけで解決しようとしなくていいんだな」という気持ちになってもらえたら嬉しいです。核家族化が進みましたが、その分、地域の子育て支援メニューもたくさん増えました。『自立するということは、依存先を増やすことだ』といった人もいます。市内には #いわき子育て応援団 が沢山いますよ。みんな、両手を広げて待っています。