zoom講座受講中。
こんな静かで眺めのよい場所でリモートワークをしたらすごくいいだろうなぁと思っていたけれど
レポートを書くのに大学の図書館で借りてきた本。すごくよかった。
福祉の先輩からのアドバイスは共感することばかりで
それに人と関わる上でも大事なことが書いてあって。
いつも本は借りるばかりだけれどこの本は買おう!と思った。
でも調べてみたら「なんとか中古品だったら手に入るかも」という感じだった。(涙)
福祉の現場で働くあなたに伝えたいこと |
昨日は国家試験の手引き(願書)が届きました。
大学卒業見込みと受験に必要な科目を履修していることの証明書が必要なので
大学から取り寄せないといけないのだけれど
調べてみて分かったのは、証明書っていつでも発行してもらえると思っていたら
この証明書については申請の期間が決まっていて、しかも発行にも条件がいくつかある!!
自分で条件をクリアしているか確認してから申請をすることになっていて
(ちゃんと必要な科目を履修していれば申請はできる)
え、そうなの?!と驚きました。
しかも国家試験の申込みが始まる前に証明書の申請期間が終わってしまう~。
(ちょうど証明書の発送が始まる頃に国家試験の申込みが始まるから
証明書が届いたらすぐに試験の申込みをするように設定されているんだと思う)
申請期間は1カ月あるのだけれど、うっかりすると忘れてしまいそう。
願書は用意できても証明書がないために受験申し込みができなくなる、ということもあるかも。
いろいろびっくりだなーと思った受験申込みの話でした。
2月の試験に向けて、願書の申し込みをしました。8月上旬に届く予定です。
願書が来たらすぐに提出できるようにしようと、
去年の大学編入の申し込みの時に撮った証明写真の残りを探していたら
職場で書いてもらった実務経験書の写しがでてきて、日付が7/30になっていました。
なんだか急に思い立って資格を取りたくなって、勉強したくなって
いろんな学校から資料を取り寄せて
ドキドキしながら職場に大学編入の話と書類の作成のお願いして。
あれから1年経ったのか~と思いました。
少しは知識はついたかな?
カリスマ先生と出会って、仲間ができて、学校のスクーリングでは励まし合う仲間もできて。
試験までももう半年もないから、もうちょっと気合い入れて勉強しないと!!と思う今日この頃です。
感覚過敏と感覚鈍麻についての勉強会に参加してきました。
今の仕事でも感覚過敏や感覚鈍麻という言葉はよく登場しますが
勉強会に参加して、実は自分は「感覚」についてよく分かっていなかったことが分かりました。
「感覚」というのは実は大脳で感じている、処理していること。
たとえば手の甲をつねって痛いのは
手の甲が痛いわけではなく大脳が「痛い」と処理しているということ。
全て大脳での情報処理であり、脳の偏りがあると感覚過敏や感覚鈍麻になる。
一般的には感覚への慣れがあり、これからどうなるのか予測できるようになる。(脳が発達する)
しかし予測できないと人はとても不安になる。
感覚過敏のある子どもたちが時としてパニックになるのは、予測できない未来が不安なため。
感覚過敏や感覚鈍麻はASDやHSCの症状の一つである。
正常発達児でも起こる人もいるので感覚過敏=ASD・HSCではない。
年齢が上がると脳が発達することにより感覚の情報処理が上手になるため
感覚過敏の症状が落ち着いてくることもある。
子どもの問題行動はどういう時に起こるのか、パターンを記録しておくこと。
パターンを記録しておけばそれによって問題行動を回避させることもできるので
子どもの丁寧な観察が大事であること。
というお話でした。
いつもクルクル回っている子どもの行動や
口の周りが食べこぼして汚れていても気にならない子のことなど
「あ、だからそうなのか」と納得することもあり
知っているのと知らないのとでは子どもに接するときの自分の気持ちが変わるので
参加できてよかったなと思いました。
今回、お話してくださったのは作業療法士さん。
作業療法士ってこういう勉強もするんだ、おもしろいなぁと思いながら話を聞いていました。
メモ
前半は作業療法士さんのお話を聞いて、後半は少人数のグループで意見交換をしました。
自己紹介をしたあとに「この場に求めること」をひと言ずつ話したのですが
ある方が「いろんなお母さんとおしゃべりしたい
いつも同じ顔触れの人としか交流がないから、時には全然知らない人としゃべりたい」と。
そういうニーズもあるんだなぁと思ったのでメモしておきます。
演習1のレポートが戻ってきた。単位認定試験を兼ねた最終レポート。
課題に「また倫理的ジレンマを感じたことがあれば、それも論じること」とあったけれど
なかったらいいのかなぁって思ってそれには触れないで提出したら、やっぱり点数が伸び悩んだ~。
「それも書いたらもっとよかったねー」というコメントが添えられていました。
うーん、めちゃめちゃ倫理的ジレンマを感じることは今の仕事ではあんまりなくて
全くないわけではないけれどレポートに書けるほどではなかったから入れなかったんだけど
やっぱり入れた方がよかったかなぁ、と今頃後悔する。
でもなんとか1回でクリアできたし、合格できたからいいかなぁ。
演習2のレポートは添削中。返却までにはまだまだ時間がかかりそう。こっちも心配だなぁ。
ネットで流れてきた広告を見て「あ、観たい!!」と思った映画が今月の上映作品になってた♪
なんてタイムリーな!!
もう一つの上映作品も興味あるし、スケジュールをみたらどちらも感想会が企画されているので
感想会の日に観て来ようかな。
ケアと編集 |
「何回説明しても伝わらない」は なぜ起こるのか? |
この話を聞いて思い出したのはスクーリングでの先生の話。
ソーシャルワーカーはお助けマンになるのではないよ。
ワーカーはどうしても「いつもどこかにクライアントをつなげないといけない」と思ってしまう。
でもそうじゃないよ、問題をその人が解決できるようにするのがソーシャルワーカーだよ。
先生も以前、もうどうにもできない、どうしたらいいんだろう、と思ったケースがあって
でもポロっと「おばあちゃんはおじいちゃんと一緒になれて幸せだったと思うよ」という言葉が出たら
おじいちゃんは「そう、その言葉が聴きたかった」と言って満足そうに帰っていったことがあったそうで
「ただ話を聴いてもらいたい、そういうケースだってあるんだよ」
という話がとても心に残った。
30年ぶりくらいに書いた大学のレポート。
提出してから毎日ドキドキだったけれど昨日、返却されました。
もう届いてからクリックして中身を空けるのもすごく緊張で。
添削されている部分ももちろんあったけど、なんとか合格しました。
あー、よかった。こんな感じで書けばいいのか、というのが分かってホッとしました。
私はAIに相談したり、話を聴いてもらったりしたことはないのだけれど
人間相手にするよりはよっぽど満足するんだろうなぁ、って思う。
この前、スクーリングに行って2日間、同級生と対面で話したり考えたりしたことを思い出して
人間の方が欠陥だらけじゃん‼と。
人間は失敗するし、話を聴いてほしいだけなのに解決しようとして相手を怒らせることもあるし。
たとえば恋人とか夫婦だったら、好きだから話を聴いて欲しいと思うし聴きたいと思うけど
そうじゃなかったら、例えば相談支援の仕事とかどうなっていくんだろう、って思った。