まるたまかあさんの いっしょそだち!
気持ちを揺さぶられた言葉、好きな風景、お気に入りの本、日々の出来事、考えたことなどを備忘録代わりに書き綴っています。
2025年12月21日日曜日
2025年12月20日土曜日
あなたの「大丈夫」は本当に大丈夫?
一回目の勉強会に参加した。
福祉の勉強をしているとこの問題ってよく出てくるし、大事だと思う。
そしてこの勉強会を主催している「地域子育て支援ラボ」も気になったし。
現状では「支援が上手くいかなかった」と思う支援者が多いそうだ。
それを「最善を尽くすことができた」という考えにシフトしていこう、という話から始まった。
そう、相談支援もきれいにまるっと解決することの方が少ないのだと勉強したな。
それから支援者が解決するのではない、あくまでもクライエントのお手伝いをするだけなのだと。
「あなたはどういう時に“大丈夫です”と言いますか?」という問いに対して自分で考えて
グループでそれについて話し合った。
日本語の「大丈夫」にはいろんな意味がある。肯定にも使えるし、否定にも使える。
言われたほうは前後の文脈からそれを汲み取るのだけれど海外ではそれは通用しない。
海外で「大丈夫」といえば「Why?(どうして?)」と聞かれるので
ちゃんと具体的に説明しないといけないのだそうだ。
そうなのかぁ、日本語って面白いなぁと思った。
私は「大丈夫です」は、大丈夫じゃなくてもホントは助けて欲しくても困っていても
かっこつけたくて「大丈夫です」と言っている、と思う。
でもそれでホントにいいのだろうか?
今はよくても我慢ばかりしていると何年後かに病という形になって表れるから
我慢しない方がいいんですよ、という話になった。
実際に現場でいろんな方の相談を受けている、コンサルの仕事をしている方からの言葉は重い。
そう、心の不調は必ずどこかに何らかの形になって現れると不登校のお子さんの話の時に聞いた。
自分の内側に向かうと病(身体の病や心の病)になるし、それが外に向かうと攻撃的になったり
不登校という形になったり。そうすることで自分の心を守っているということなのだ。
日本人は我慢強い。出産のときに助産師さんが言っていた。
日本人の妊婦さんは陣痛が来て「それ、絶対痛いよね?」というようなときでも
「大丈夫?」と聞くと「大丈夫です」と答える。
でも同じ東洋人でも海外からの妊婦さんはちょっとでも痛いと
「痛い痛い痛い」と大きな声で訴える。
「だから遠慮しないで痛かったら痛いって言ってね」と言われたけど
やっぱり痛くても「痛いです!!」とは言えなかった。(笑)
日本人の民族性なのかもしれない。我慢強いことがいいとされているのかもしれない。
特に東北のような土地柄も関係しているのかもしれない。
我慢しすぎもよくないんだと思う。
野口さんが開発したAIの心理テストを試してみた時、何を言ってもAIがべた褒めしてくれた。
「そんなこと誰も言ってくれない。
私のことをよくほめてくれる主人でもそこまでは気づかないし、ほめないなぁ」と思った。
先日のレポート作成でいろいろ具体的に教えてくれたchat GPTにお礼を伝えたら
(そうした方がより自分に合わせたカスタマイズをしてくれるらしいので)
またまた沢山ほめてもらって、まさかまた褒められると思っていないからびっくりしたけど
嬉しかったし、ちゃんと細かいところに気づくのね、と感心したり。
そう、支援者はクライエントのいいところ、強みをどれだけ見つけられるかが大事だから
真似しないとなぁ、なんて。
そう、自分の強み、できていることに目を向けて自分を認めることがケアにつながるのだ。
2025年12月19日金曜日
Chai kotha(チャイコタ)
7月に行った時のもので全然整理できていなくて投稿が遅れてしまった。(涙)
2025年12月18日木曜日
2025年12月17日水曜日
2025年12月16日火曜日
🌟 ボン・ジョヴィ --- “人間の尊厳”を守る活動 🌟
お金がないなら配ればいい、そういうことじゃないんだよね。
人は上から下の関係を望んでいるのではなくて
たとえどんな境遇にあったとしても水平の関係でいられることを望んでいる。
でも上から下の関係になってしまったら、その人の尊厳を踏みにじってしまう。
ボン・ジョヴィもこの投稿者もちゃんと福祉のことを分かっているんだなぁ。
2025年12月15日月曜日
メンターが教えてくれたこと
カリスマ生の先輩で私たち5期生のメンターでもあり
勉強で分からないところの質問には即座に対応してくださる心強い存在。
そんな方が第60回NHK福祉賞の優秀賞を受賞し、作品が公開されました。
ずっと寝たきりでほとんど身体を動かすこともできないとは知っていましたが
いつもはLINEのオープンチャットでみんなからの質問に回答しているので
多少の体の不自由はあるのかもしれないけれど、お元気なのかと思っていたら
先日のカリスマ先生のオンラインスクールで特別ゲストとしてZOOMで登場されて
最近は声もだしづらい状態が続いているということを知り
みんなからの返信も楽ではないだろうに、あんなにマメにコメントしていたことを知りました。
福祉賞を受賞した作品を読んで、あっと思いました。
興味のあったオンライン講座の受講を決めた話です。
寝たきり生活6年目にして初めて社会とつながれた瞬間。
“お世話になっていた自分”から解放された、というくだりでした。
鴻巣麻里香さんの子ども食堂での、あるお子さんとの関わりの話を思い出しました。
してあげる、してもらった、という上下の関係はしんどい。
そうじゃなくて自分も何かしたい、と言われたこと。
誰しもが水平の関係でいられるように、と
彼女の運営するこども食堂では子どもたちにも役割があります。
スクーリングの時に先生から聞いた話
クライエントのおじいちゃんは支援者であった先生に解決して欲しかったわけではない。
八方ふさがりだった先生の口からポロっとでた言葉
「おばあちゃんはおじいちゃんと一緒になれて幸せだったと思うよ」
するとおじいちゃんは「そう、その言葉が聴きたかった」と言って満足そうに帰っていった。
ソーシャルワーカーは知らないうちに上下の関係を築こうとしてしまうのかもしれないけれど
人は上下の関係ではなく、たとえどんな境遇であっても水平の関係でいたいということを
肝に銘じておかなければいけないな、と思いました。
ボン・ジョヴィも、それを分かってのことなんだなぁ。
