完璧な親になろうとしないでください。
子どもが必要としているのは、完璧な親ではなく、幸せな親です。
ベンジャミン・スポック(小児科医)
今日はこちらの研修会に参加してきました。
新しい職場にも慣れてきました。
子ども達ともすぐになかよくなれてホッとしています。
絵本を読んで欲しい子が「読んで~」と絵本を持ってひざにのって来るので
ひざの上に抱っこしながら絵本を読みます。
読み終わっても「もういっかい」「もういっかい」とせがまれるので
何度も何度も同じ絵本を読みます。
そうしていると他の子も一緒に絵本をのぞき込もうとするので
どうするのかなぁと子どもたちの様子を観察していると
先にひざにのっていた子が自分のお尻をずらして
先生のおひざを半分こしよう、とでもいうように「いいよ」というのです。
そうして私の膝の上で二人並んで私が読む絵本に見入る、そんな姿がかわいいなぁと思います。
| レストランふろ |
オープンしたばかりのBOOK CAFE It's me さんで一番最初に見つけた本。
| 天空の城に翔けた想い 湯の岳ウェルハースの軌跡 |
勉強仲間から紹介された「わが指のオーケストラ」(全4巻)。
漫画だから図書館にはないだろうなぁと思いつつダメもとで検索したらあった!!
ので早速読んでみました。
主人公は大阪市立聾啞学校の先生でろう教育の父と呼ばれている人でした。
主人公とともに重要な登場人物となる男の子。
言葉を知らずに他人とコミュニケーションがとれず
自分の思いが伝わらずに力で遂行しようとする姿を見て
自閉症や強度行動障害の子もきっとこういうことなんだろうなぁと思いました。
赴任したばかりで手話も何もわからない主人公が
「私は何を教えればいいでしょう」と校長先生に聞いた時
「音楽です。あの子らの心の中に 音楽を鳴らしてほしいのです」
(その音楽とは実際の音楽ではなくもっと広義の意味での音楽……人間らしい心のこと)
そして先輩教師の言葉がとても強烈で
「生まれながらに耳の聞こえない子どもというのは 単に言葉を知らないのではない
この世界に言葉があるという事を知らないのです。」
音のない世界がどんなものなのか、自分の想像をはるかにこえる世界であり
耳の聞こえない人の心をどうやって豊かにするのだろう、と思いました。
ところでその昔、手話は禁止されていた時期がありました。
私も何で読んだか見たか忘れましたが、それは知っていました。
現代では障害者基本法で「手話もひとつの言語」として明記されています。
でも長い間、手話を禁じて話者の唇の動きを読んで言葉を理解する口話法が主流の時代がありました。
この漫画でもその歴史に触れており
主人公の高橋先生は聾唖者の心の教育を守るために手話教育を守り抜きました。
手話は聾唖者にとって言葉であり心。
子ども達の心に音楽を鳴らすには手話はどうしても必要でした。
口話法については私はあまり知りませんでしたが漫画を読むことで
聞こえる親が聞こえない子を育てる、なんとか子を健常者に近づけたいという思いが
口話法を推し進めたのかもしれないし
主人公の高橋先生はどちらか一方にするのではなく
適正教育(口話法に向く人には口話法を、手話法が向く人には手話法を)を主張しました。
私は聾唖教育についてよく分かりませんが、それが一番いいと思いました。
聾唖教育の歴史を知ることもできて勉強になりました。
図書館にこの漫画があってよかった~。
https://t.co/Pt9tCzvfsX
— まるたま (@marutama_memo) October 8, 2026
今週からピンチヒッターで事業所内の異動。別の園にお手伝いに通うことに。
子ども達に顔を覚えてもらうことから始めないと~と思っていたら
初日から一緒に遊んでくれる子が多くてホッとしました。
今日は100かいだてのいえのエプロンを着て行ったらねずみさんのおうちに興味津々の子が多くて
「これなぁに?これなぁに?」といろんなものを指さして質問してくれて
せなけいこのおばけエプロンでもコミュニケーションができたけれども
このエプロンもいいかも♪と嬉しくなりました。
一緒に勉強した仲間から教えてもらった動画。耳の聞こえづらい医師のお話。
この動画の締めくくりの言葉。「境遇を選ぶことはできないが 生き方を選ぶことはできる」
夏になるとハイビスカスに似た花がほるるの近くに咲いていて
あの花はなんという花なんだろう?どうしてここに咲いているんだろう?とずっと思っていたけれど
その謎がやっと解けた!!ちゃんと手入れして咲かせている人がいるんだね。
いつか時空散走でも紹介できたらいいなぁ。
そして誰にも知られずにひたむきに活動している人をそっと取り上げて紹介する
広報スタッフの在り方もまたいいなぁと思った。
腸活の本を読んだ主人が「玄米が食べたい」と言い出して3合炊きの炊飯器を購入。
私は小さい頃、両親が玄米食や豆乳に切り替えたことがありました。
幼稚園のお弁当箱を開けると茶色いご飯が入っていて嫌だと
なかのよかった親戚のお姉ちゃんに話していたことがあるくらいあまりいい思い出がなく
我が家ではごはんを6分づきに精米しているのだけれど、主人のご飯だけ玄米にすることに。
久しぶりに食べた玄米は昔ほどいやだなとは思わず「まぁ食べられるかな」という味。
私も大人になったのかもしれないな。
私はその時の気分で分づき米にしたり玄米にしたりして食べています。
お待たせしました。 2026年10月のフリー壁紙カレンダーです。 よかったらつかってください🌿.。 https://t.co/9abF8DAshB
— ヌーヌ (@n_u_u_n_u) September 30, 2026
内郷高野町にある旅館 神泉亭の女将さんから聞いた話が面白かったのでメモ。
知り合いの人から女将さんへ「これ、あなたのところの旅館じゃない?」と写メが送られてきた。
そこにはネットのオークションに出品された
戦前に撮影されたと思われる古いモノクロの絵ハガキが写っていた。
「入の湯」「鉱泉」という文字があるので、知り合いの人の指摘はあっていると思われる。
そして興味深いのは旅館の住所が内郷高野町ではなく石城郡箕輪村高野になっていること。
その昔、高野町は内郷ではなく箕輪村の一部で、三和の方の管轄だったらしい。
だから郵便物は合戸から配達されていたそうだ。
(調べてみると高野、榊小屋、大利の3つの村が合併して箕輪村になったが
昭和30年に高野は内郷市へ、榊小屋と大利は好間村に編入。
その後、昭和41年に内郷市は他の市と合併していわき市へ)
高野と榊小屋、大利が昔は一つの村だったなんてねぇ。おもしろいな、と思った。
古い絵葉書をオークションサイトで検索してみたらいくつか見つかった。
大正時代~昭和初期の頃のものらしく、その頃は温泉宿でよく絵葉書を発行していたらしい。
昔の様子がよく分かる、ホントに貴重な資料だわ……。
あるお宅にある屏風。
よく見ると子どもの落書きかな?と思うものが。
我が家の子ども達も最初は楔文字みたいなものをたくさん書いていたなぁと思い出す。
夕方、どこからかバスクリンの匂いがして昔のことを思い出した。
小さい頃、いとこの家に泊まりに行くとお風呂にバスクリンを入れてくれて
粉を入れるとお湯がオレンジ色だったりきれいな緑色に変化するから
それがすごくおもしろくてうらやましくて
「うちのお風呂にも入れて欲しい」と母親にねだったことがあった。
でも実家のお風呂は温泉で、入浴剤を入れなくても十分その効用があったから
母親は買ってくれなかった。
あの頃は小さかったし、温泉だとか沸かし湯だとかそんなことは全く分かっていなかったし
温泉であることがどれだけ贅沢なのかなんて知る由もなかった。
とにかく湯船の色がキレイな色に染まる、それを自宅の家でもやりたかっただけなんだけど
なかなかそういう気持ちは大人になっちゃうと分からなくなっちゃうんだよなぁ~って
自戒を込めて思ったのでした。
保育士さんはキャラクターのかわいい靴下を履いていることが多い。
というのは子ども達はすぐに先生の靴下に反応するから。
私も今までキャラクターものの靴下は持っていなかったのだけれど
今度靴下を買う時はキャラクターものにしてみようかな、と思う。
昨日は香りで秋を感じるなぁと思って車を走らせていたら
目でも秋を感じているじゃないか~と思った。
どんどん山の方に向かって車を走らせて行くと道端にぽつぽつと
あるいは一列に並んで咲いている彼岸花。
有名な彼岸花畑のように一面に咲いているわけではないけれど
道端のそこかしこに風に揺れている赤い花を見つけると
これも秋の風景だなぁ~と思う。
小学校のPTA役員時代に知り合ったママ友と久しぶりに会っておしゃべり。
彼女の人生の節目に何故かご縁がある私。
今度も春から精神保健福祉士を目指して学生になる予定だということで
春に社会福祉士の資格を取った私と詳しい話をしよう、ということになりました。
社会福祉士と保健福祉士は専門科目はそれぞれ違うけれど共通科目は一緒なので
いろいろと話が合うことも多いのです。
まさかこんな身近に精神保健福祉士を目指す人がいるなんて!!
どちらもマイナーな資格なので、語り合える人がいるのは本当にありがたい。
ということでお互いに、どうして福祉の勉強をしようと思ったのかおしゃべり。
福祉の話ができる人が増えるのが私もとても嬉しい。これからが楽しみです。
気になっていたので観てきました。
| 特別な許可をいただいて私有地から見せていただきました |
| 芝居小屋?だったかな。娯楽施設があった場所 |
| 木の鳥居がかすかに見える |
| 栗の実、みーっけ |
| スクリーン脇に静かにたたずむ大根ボーイ |
| 閉校になった好間三小 かつては川に勝手橋がかかっていた 学校の裏手には沢山の炭鉱住宅が並び 沢山の子ども達が通っていた |
| 手ぬぐいを縫い合わせてできたシャツ 背中が物語る 一粒の米粗末にすべからず |