2025年7月31日木曜日

感覚過敏と感覚鈍麻

感覚過敏と感覚鈍麻についての勉強会に参加してきました。

今の仕事でも感覚過敏や感覚鈍麻という言葉はよく登場しますが

勉強会に参加して、実は自分は「感覚」についてよく分かっていなかったことが分かりました。


「感覚」というのは実は大脳で感じている、処理していること。

たとえば手の甲をつねって痛いのは

手の甲が痛いわけではなく大脳が「痛い」と処理しているということ。

全て大脳での情報処理であり、脳の偏りがあると感覚過敏や感覚鈍麻になる。

一般的には感覚への慣れがあり、これからどうなるのか予測できるようになる。(脳が発達する)

しかし予測できないと人はとても不安になる。

感覚過敏のある子どもたちが時としてパニックになるのは、予測できない未来が不安なため。


感覚過敏や感覚鈍麻はASDやHSCの症状の一つである。

正常発達児でも起こる人もいるので感覚過敏=ASD・HSCではない。

年齢が上がると脳が発達することにより感覚の情報処理が上手になるため

感覚過敏の症状が落ち着いてくることもある。


子どもの問題行動はどういう時に起こるのか、パターンを記録しておくこと。

パターンを記録しておけばそれによって問題行動を回避させることもできるので

子どもの丁寧な観察が大事であること。

というお話でした。


いつもクルクル回っている子どもの行動や

口の周りが食べこぼして汚れていても気にならない子のことなど

「あ、だからそうなのか」と納得することもあり

知っているのと知らないのとでは子どもに接するときの自分の気持ちが変わるので

参加できてよかったなと思いました。


今回、お話してくださったのは作業療法士さん。

作業療法士ってこういう勉強もするんだ、おもしろいなぁと思いながら話を聞いていました。


メモ

前半は作業療法士さんのお話を聞いて、後半は少人数のグループで意見交換をしました。

自己紹介をしたあとに「この場に求めること」をひと言ずつ話したのですが

ある方が「いろんなお母さんとおしゃべりしたい

いつも同じ顔触れの人としか交流がないから、時には全然知らない人としゃべりたい」と。

そういうニーズもあるんだなぁと思ったのでメモしておきます。

2025年7月30日水曜日

本 ルポ 誰が国語力を殺すのか

おもしろそうな本だったけれど、読む時間がなくて読まずに返却(泣)

いろいろやること終わったらまた借りてこよう。

ルポ 誰が国語力を殺すのか

2025年7月29日火曜日

リール派?静止画派?

私の好きな場所の推しポイントを写真に撮ってみた。

リールより写真をめくる方が私は好きなのだけれど

こういう時はやっぱりリールの方が雰囲気が出るのかなぁ?と思う。

2025年7月28日月曜日

伸び悩む

演習1のレポートが戻ってきた。単位認定試験を兼ねた最終レポート。

課題に「また倫理的ジレンマを感じたことがあれば、それも論じること」とあったけれど

なかったらいいのかなぁって思ってそれには触れないで提出したら、やっぱり点数が伸び悩んだ~。

「それも書いたらもっとよかったねー」というコメントが添えられていました。

うーん、めちゃめちゃ倫理的ジレンマを感じることは今の仕事ではあんまりなくて

全くないわけではないけれどレポートに書けるほどではなかったから入れなかったんだけど

やっぱり入れた方がよかったかなぁ、と今頃後悔する。

でもなんとか1回でクリアできたし、合格できたからいいかなぁ。


演習2のレポートは添削中。返却までにはまだまだ時間がかかりそう。こっちも心配だなぁ。

2025年7月27日日曜日

映画 帆花

津久井山ゆり園の事件の日にあわせて2日間のみ一般公開された映画 帆花を観ました。

去年も事件の日にあわせて2日間公開されたみたい。


脳死状態で生まれた帆花ちゃんとご両親の生活を追ったドキュメンタリー映画。

子どもの人権や「生きる」ことについて考えたり、意思表示のことを思ったり、後見人のことや

この映画を観た後だったら先日提出したレポートは内容がもうちょっと違っていただろうか

お父さんやお母さんにとってのソーシャルって何だろう、「生活」において大事なものはなんだろう

とレポートの課題を思い出したり。

社会福祉士はこういった人たちとともに歩んでいく、そういう仕事なんだよなぁと思ったり。


脳死状態で生まれて、当初は脳波さえないだろうといわれていたけれど

お父さんやお母さんが日々話しかけ、愛情たっぷりに接することで

声が出るようになったり、問いかけに声で反応したり、人ってホントにすごいなぁって。

試しに脳波に反応して動く猫耳のおもちゃをつけてみたら、動く動く猫耳。

脳波がちゃんと出ている。愛情が人を成長させたんだなぁって。

どんどん成長していく帆花ちゃん、髪も伸びてかわいらしい女の子になりました。


そして、脳死ってどうなんだろう?と思いました。

帆花ちゃんはほぼ脳死状態で生まれた(出産のときにへその緒が切れて酸欠になった)けれど

意思表示ができるようにまでなったのだから。

脳死は人の死なのだろうか?(臓器提供のこともあるけれど)

帆花ちゃんを見ていたら、そう思えないと思いました。


そういえば以前、帆花ちゃんと同じようなお子さんの話を読んだことがありました。

だいぶ昔のことで、県内にある病院の院内学校に赴任してきたある男の先生と男の子の話。

男の子は重度の障害を持っていていつもほとんど眠っていて、寝たきりで

発語もほとんどないので意思疎通もできない。

彼はずっとあのままだろう、と今までの先生たちは思って接していた。

ある男の先生が赴任してきて、その先生は男の子の病室に毎日通っては話しかける。

他の子に話しかけるのと同じように「○○くん、先生だよ」と言って。

時間はかかったけれど、やがて先生の言葉に反応するようになって

最終的にはずっと寝たきりだった男の子は

病院の中庭にあったブランコに乗れるほどにまで回復したような

確かそんな話だったんじゃないかな。

今までの先生はみんな「どうせダメだよ」とずっと諦めていたけれど

その先生だけは諦めずに根気よく、他の子どもに接するように同じように話しかけ

愛情をかけて接した、その思いが彼の成長を促した、そんな実話だったと思います。


映画の中でもお母さんが話していた、帆花ちゃんはホントは思っていることはあるけれど

それをアウトプットすることができないだけなんじゃないか

もしそうだったらどんなにつらいだろうか、と話していて

私も映画を観ながら私もちょうど同じことを思ってせつなくなっていて

もしかしたら彼女は表現できないだけで意思や感情は内側に溢れているんじゃないか

それが伝えられないだけなんじゃないかって。

もしそうならそれがどんなにつらいだろうか、と涙がこみ上げてきそうになっていたけれど

それは本人だけじゃなくお父さんやお母さんにとってもホントにつらいこと……。

そしてそれはこの前読んだ、意思決定支援の話にもつながるかな。

「この人はどうせ自分で決められないのだから」と思って接するのと

「どうかこの人の意思決定のお手伝いができるように」と思って接するのでは全然違いますよ

という話。


自分と帆花と二人だけの世界にいるような感覚に襲われる、とお母さんが映画の中で話していて

それは子育て中のママがよく感じる孤独感だと思っていたけれど

映画を観た後、ネットで検索して見つけた記事を読んで

それは帆花ちゃんの病気のことを知っても

多くの人は自分とは違う世界の話だと線を引かれてしまう

(相手はいろいろ遠慮したり気をつかっての反応なのはわかるけれど)それがつらいのだと。

私が想像していた、子どもと二人ぼっちはちょっと意味の違うものでした。

社会福祉士だったら

どんな思いでお母さんや帆花ちゃんと接するのがいいのかな、そんなことも考えました。


映画を観ながら、いつも関わっている子たちの姿が目に浮かんで

みんないろいろあるけれど、でも毎日関わっていくうちにそれぞれのいいところが分かって

みんな味があってすごくいいなぁって思う。

帆花ちゃんとも過ごす時間が増えたら、きっともっといろいろいいところが見えてくるんだろうなぁ

なんて思いました。


福祉の勉強をしている今、この映画を観ることができてよかった。

2025年7月26日土曜日

大人のダンボール工作

カプセルがでてくるガチャガチャの機械をつくっている下の子ちゃん。

どうして作り始めたのかはわからないけど

そういえば小さい頃、銀行のATMをつくって遊んでいたなぁと思い出す。

もともと工作好きだったよね。

2025年7月25日金曜日

今月の上映作品はどちらも気になる

ネットで流れてきた広告を見て「あ、観たい!!」と思った映画が今月の上映作品になってた♪

なんてタイムリーな!!

もう一つの上映作品も興味あるし、スケジュールをみたらどちらも感想会が企画されているので

感想会の日に観て来ようかな。