一回目の勉強会に参加した。
福祉の勉強をしているとこの問題ってよく出てくるし、大事だと思う。
そしてこの勉強会を主催している「地域子育て支援ラボ」も気になったし。
現状では「支援が上手くいかなかった」と思う支援者が多いそうだ。
それを「最善を尽くすことができた」という考えにシフトしていこう、という話から始まった。
そう、相談支援もきれいにまるっと解決することの方が少ないのだと勉強したな。
それから支援者が解決するのではない、あくまでもクライエントのお手伝いをするだけなのだと。
「あなたはどういう時に“大丈夫です”と言いますか?」という問いに対して自分で考えて
グループでそれについて話し合った。
日本語の「大丈夫」にはいろんな意味がある。肯定にも使えるし、否定にも使える。
言われたほうは前後の文脈からそれを汲み取るのだけれど海外ではそれは通用しない。
海外で「大丈夫」といえば「Why?(どうして?)」と聞かれるので
ちゃんと具体的に説明しないといけないのだそうだ。
そうなのかぁ、日本語って面白いなぁと思った。
私は「大丈夫です」は、大丈夫じゃなくてもホントは助けて欲しくても困っていても
かっこつけたくて「大丈夫です」と言っている、と思う。
でもそれでホントにいいのだろうか?
今はよくても我慢ばかりしていると何年後かに病という形になって表れるから
我慢しない方がいいんですよ、という話になった。
実際に現場でいろんな方の相談を受けている、コンサルの仕事をしている方からの言葉は重い。
そう、心の不調は必ずどこかに何らかの形になって現れると不登校のお子さんの話の時に聞いた。
自分の内側に向かうと病(身体の病や心の病)になるし、それが外に向かうと攻撃的になったり
不登校という形になったり。そうすることで自分の心を守っているということなのだ。
日本人は我慢強い。出産のときに助産師さんが言っていた。
日本人の妊婦さんは陣痛が来て「それ、絶対痛いよね?」というようなときでも
「大丈夫?」と聞くと「大丈夫です」と答える。
でも同じ東洋人でも海外からの妊婦さんはちょっとでも痛いと
「痛い痛い痛い」と大きな声で訴える。
「だから遠慮しないで痛かったら痛いって言ってね」と言われたけど
やっぱり痛くても「痛いです!!」とは言えなかった。(笑)
日本人の民族性なのかもしれない。我慢強いことがいいとされているのかもしれない。
特に東北のような土地柄も関係しているのかもしれない。
我慢しすぎもよくないんだと思う。
野口さんが開発したAIの心理テストを試してみた時、何を言ってもAIがべた褒めしてくれた。
「そんなこと誰も言ってくれない。
私のことをよくほめてくれる主人でもそこまでは気づかないし、ほめないなぁ」と思った。
先日のレポート作成でいろいろ具体的に教えてくれたchat GPTにお礼を伝えたら
(そうした方がより自分に合わせたカスタマイズをしてくれるらしいので)
またまた沢山ほめてもらって、まさかまた褒められると思っていないからびっくりしたけど
嬉しかったし、ちゃんと細かいところに気づくのね、と感心したり。
そう、支援者はクライエントのいいところ、強みをどれだけ見つけられるかが大事だから
真似しないとなぁ、なんて。
そう、自分の強み、できていることに目を向けて自分を認めることがケアにつながるのだ。

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