2024年11月24日日曜日

時空散走 平ツアー(田部君子フィーチャーver.)

先月は植田方面のツアーに参加しましたが、今月は平のツアーに参加しました。
今回は青春時代を平で過ごしたという天才歌人 田部公子さんのフィーチャーバージョンです。


いわき駅北口集合。南口方面はなじみがあるのですが、北口はあまり利用しないのでワクワクします。


スタートして一番最初に廻ったのはなんと自転車ではなく歩きで!!
エスパルの中にある時空MAPを見てきました。
歴史上の人物や建物なども描かれているのですが
その中に紛れて都市伝説のものも描かれているのが面白い。
まだ見たことない人はぜひ‼


さぁ、今度こそ自転車に乗って出発するぞ~。


まずは駅裏の急な坂を、自転車を押してえっちらおっちら上って城山へ。
私が毎回お借りしているのはママチャリタイプの電動自転車。
みんなが上り坂で苦労しているとき、私は一人涼しい顔をしているのですが
こういう急な上り坂で自転車を押して上がる場合は重いのですごい大変なのです。
多分、電気のアシストがあればすっごい急でも自転車で上れるのでしょうけれど
上まで上りきる自信がないので押していきました。


そして城山、実は初めてなんです、私。何十年市内に住んでいても来ないものですね。
ここは今、お城の跡に公園をつくっているところ?なのかな。


こっちはお城の石垣の名残なんだろうなぁ。
丹後沢公園の一部なんだろうか?(丹後沢公園も行ったことない…)


城山方面から平の町並みを見下ろしました。
以前はタワーマンションがなかったので町を一望できたそうです。


そして桜ヶ丘高校へ。私は初めて!!ここなんだね。
中学卒業して県外に飛び出した私を含め
娘7人いたのに誰も母の母校に進学した娘はいませんでしたー。


こちらは磐城高校の下にある「さわの湯鉱泉」。
震災の影響で旅館は閉館しましたが「ギャラリー笑福(えふく)さわのゆ」としてリニューアル。
「中に入って休んでいったらー?」と声をかけていただきましたが
「また来ますねー」とご挨拶して先を急ぎます。


さわの湯鉱泉のちょっと先にある、また再び急な坂を自転車を押して上がると磐城高校。


昭和23年、いわき市の神谷作101号古墳において行われた発掘調査で
磐城高等学校の生徒により発掘された埴輪、国指定重要文化財の男子胡坐(こざ)像が
学校に収蔵されているそうです。知らなかったー。
磐城高等学校史学部の監修により開発された、埴輪をモチーフにしたぬいぐるみ?
木粉(こふん)さまもあります。


今度は松ヶ岡公園へ。公園の下にあるときわ
その昔、田部君子さんがここでの歌会に参加したり、松ヶ岡公園を詠んだ歌もあったそうです。
私はといえば子どもたちが小さかった頃、松ヶ岡公園に遊びに連れてくる度に見かけては
「泊まってみたいなぁ」と思っていました。
真ん中ちゃんが高校の時の部活の合宿で泊まったことがあって「いいなぁ」と思ったり。


今回のツアーの主役である田部君子さんのお話を、サポーターからみんなで聞きました。
嫁、妻、母という役割以外を認めてもらえない時代を生き、それに抗った天才歌人
といえばいいのかな。
まだ10代の頃に詠んだという歌を紹介されて、クオリティの高さに驚きしかない。
もし女性も自由な生き方ができる時代に生まれていたら、もっと活躍していたんだろうな。


ここで参加者みんなで田部君子さんの歌を味わいましょう、とちょっとした遊びを。
詩集を渡されて、ぱっと開いたページからいくつかある歌の中で
直感で「これ」と思った歌をみんなに紹介する、というスタイルでした。
1人で解釈するよりも、みんなで自由に感じたことを話すことで
「あ、そういう解釈もできるか」などより深く味わうことができました。


田町に移動し、田部さんの通っていた藤田女学校がこの辺りにあったのではないか、という話。
いやすごい、サポーターさんってそこまでするんだ~。(私もサポーターだけど大丈夫かなぁ)


サポーターの心に残った歌の紹介も。
時空散走のプロジェクトがなければ
田部君子さんも、こんなに多くの人に知られることはなかったと思います。
時空散走ってすごいプロジェクトだなぁと思います。
私も自分が住んでいる町のこと、サポーターになったおかげでいろいろ知ることができたし。


ひまわり銀行前に移動。ここは2丁目かな?
サポーターのおじいさんの話と、今は3丁目にあるお店が昔はこの辺りにあったと思う~
と地図を見ながら説明しているところ。
もしかしたら田部君子さんが学校帰りにサポーターのおじいさんのお店に買い物に来ていたかも?

それから平の昔話を。
まだその頃の道路はアスファルトではなく土ぼこりが舞う道だったそう。
お盆の迎え火や送り火は大火事に見えるくらい沢山の火がたかれていたらしくて
しかし道路がアスファルトになってしまって火がたけなくなったので
その代わりに仙台に本拠地がある七十七銀行が仙台の七夕まつりを模して
七夕飾りを飾るようになって平の七夕まつりが始まったという話など聞きました。


そしてゴール地点の駅前大通り。戦争で焼け野原になったことで駅前に30mの道路ができたそう。
北林さんが小さかった頃のもまだあったという、通りの向こうに本屋さん。
その昔、文化の発信地だったようで「きっとそこに田部さんも通ったんだろうね」
という話をしてちょうどいい時間になりました。


駅の北口方面はあまり行ったことがなかったので、新鮮でおもしろかった!!
本屋で配達の仕事をしていた時は私は南口方面の担当で
北口方面は別な人の担当だったからほとんど行ったことはなくて。

現在の町の顔だけじゃなく、昔の様子を地図で確認したり、話を聞いたりして
あくまでも自分の頭の中の想像でしかないけれど
遠い昔の町の様子を覗き見ることができたのもよかったな。
北口方面、もっと探検したい!! 町への興味が湧いてきました。
そこが時空散走のいいところなんでしょうね。

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