昨日、職場の人と話していて「うちもダブルケアだったなぁ」と思い出した。
父方の祖母は父が大学生だった時に病に倒れて半身不随になった。
母と結婚したころは病院に入院していたけれど
兄が生まれて、孫と一緒に暮らしたいと祖母は自宅に戻ってきた。
子育てと親の介護を同時にこなさなければいけないのがダブルケア。
その頃はヘルパーさんも介護保険もなかった時代。
父は祖母のために住み込みの家政婦さんをお願いした。
何人か祖母の担当の人がいて交代でやってくるのだけれど、どの家政婦さんも優しい人だった。
その中でもだいぶ長い期間、メインになって祖母のお世話をしてくれた方がいた。
祖母の身の回りのお世話や介護をするために来てくれていた家政婦さんだったけれど
小学1年の冬に祖母が亡くなるまで
私たち兄妹の遊び相手になってくれたり、身の回りのお世話もしてくれた。
緑茶の葉っぱをいれるといいよ、ってあったかいお湯に削った石鹸と緑茶の葉を入れて
シャボン液をつくって一緒にシャボン玉を飛ばしたり。
私にとってはもう一人のおばあちゃんのような、そんな人だった。
大人になった今なら、父の決断ってすごいなと思う。
家政婦さんを雇うにはどれだけの費用が掛かったことか。めちゃめちゃ大変だったと思う。
母にとっては姑の他にもう一人、年上の他人の女の人が家にいるというのも
なかなか大変な状況だったと思う。家でも気が抜けないのだから。
でも母と家政婦さんと、女同士、お料理のことや身の上話とか
なんだか楽しそうにやりとりしていたような記憶はある。
家政婦さんにとっても我が家での生活はどうだったんだろう。楽しいものであったなら嬉しいな。
(当時、住み込みの家政婦という仕事は女性にできる
家計を支えるためのとても大事な仕事だったのだと思う)
なんだかずっと忘れていたけれど、急に思い出した。
きっとまた忘れてしまうだろうから
私をつくった大事な人たちのことを残しておきたいなと思って。
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