実家の裏庭に昔、柿の木といちじくの木がありました。
どちらも沢山実をつけましたが、木もどんどん大きくなって高いところの実は手が届かなくなってしまい
道路に沢山葉が落ちて大変だったので
家をプチリフォームをしたときにどちらの木も切ってしまいました。
私はいちじくは好きではなかったけれど
母はよくいちじくの実をとってはジャムにして食べていました。
母がいちじくを好きだからいちじくの木を植えたのかと思ったら
父が「おばあちゃんはいちじくをジャムにしたのが好きだったんだよ」とぼそっと教えてくれました。
同居していた父方の祖母は私が小学1年生の時に亡くなりました。
病気でほぼ寝たきりだった祖母のことは
お年玉をたくさんくれたことといつもテレビで相撲の観戦をしていたことしか覚えていません。
元々口数が少ない父。祖父母の話も伯母から聞くことが多かったので
父が祖母の話をしてくれたことが私はちょっと嬉しかったです。
2014年10月30日木曜日
2014年10月29日水曜日
2014年10月28日火曜日
スマイリング ホスピタル ジャパン
あそび工房がまだ始まって間もない頃にあそび工房に来て下さったモンスターズさん。
子ども達と一緒に新聞紙からいろんなものを作り出してそれはそれは
楽しいワークショップでした。
またぜひあそび工房に来て欲しいなと思っています。
そのモンスターズのリーダー ささゆうさん(佐々木優子さん)は
スマイリング ホスピタル ジャパン でも活動しています。
スマイリングホスピタルジャパンhttp://www.smilinghpj.org/
は小児科に入院している子ども達をアーティストが訪問し、子ども達にアートを届けています。
スマイリング ホスピタル ジャパン で最初に見たのは
アーティストの方が病棟でジャズピアノのコンサートを開き
コンサートを聴いたこども達が子ども達が笑顔になっている場面でした。
ピアノを習っているうちの子ども達も大人になって
こんな活動に参加して、自分が一生懸命練習して身に付けたもので
誰かに喜んでもらったり、笑顔になってもらったり
そんなふうになったらどんなにいいだろう、
とスマイリング ホスピタル ジャパン の活動を見て思いました。
2014年10月27日月曜日
ミュージックフェスティバル
昨日は中学校のミュージックフェスティバルがありました。
ミュージックフェスティバルとは簡単に言えばクラス対抗の合唱コンクールが行われる学校行事。
学年共通の課題曲と、クラス毎に異なる自由曲を歌います。
上の子ちゃんと真ん中ちゃんはともに自由曲の伴奏を担当しました。
真ん中ちゃんにとっては初めてのミュージックフェスティバル。
毎日学校に早く登校して、音楽室のピアノを借りて練習しました。
本番も緊張したのか、いつもはミスをしないところでミスをしていましたが
去年前とはあきらかにタッチが違っていて、音を聞いて「よくぞここまで成長した」と正直驚きました。
https://www.youtube.com/watch?v=GWEmUQfdTLo&app=desktop
上の子ちゃんの学年は最上級生だけあって子ども達の歌声もピアノの伴奏も
他の学年とはまったく違っていて「さすが」と思いました。
上の子ちゃんは夏休み前の、自由曲が決定してからずっと練習していて
「海」をテーマにした曲らしくダイナミックな演奏と、寄せては返す波の様が目に浮かぶような演奏で
私も心の中で何度も「ヴラボー」と叫びました。
そして上の子ちゃんの演奏を聴いた母も感動していました。
https://www.youtube.com/watch?v=HpvGKYkYWRs&autoplay=1&app=desktop
帰り道、「子ども達にピアノを習わせて良かった」と何度も隣でつぶやく主人。
真ん中ちゃんや上の子ちゃんのピアノの前奏が始まったとき
会場の空気がふっと変わってみんながピアノの演奏に惹きつけられたように私は感じました。
それだけで私は嬉しかったし
母や主人が子ども達の演奏を聴いて感動したことも
子ども達の演奏が聞いている人の心に響いた、もうそれだけで音楽の大事な目的が達成されたようで
本当に良かったと思いました。
ミュージックフェスティバルとは簡単に言えばクラス対抗の合唱コンクールが行われる学校行事。
学年共通の課題曲と、クラス毎に異なる自由曲を歌います。
上の子ちゃんと真ん中ちゃんはともに自由曲の伴奏を担当しました。
真ん中ちゃんにとっては初めてのミュージックフェスティバル。
毎日学校に早く登校して、音楽室のピアノを借りて練習しました。
本番も緊張したのか、いつもはミスをしないところでミスをしていましたが
去年前とはあきらかにタッチが違っていて、音を聞いて「よくぞここまで成長した」と正直驚きました。
https://www.youtube.com/watch?v=GWEmUQfdTLo&app=desktop
上の子ちゃんの学年は最上級生だけあって子ども達の歌声もピアノの伴奏も
他の学年とはまったく違っていて「さすが」と思いました。
上の子ちゃんは夏休み前の、自由曲が決定してからずっと練習していて
「海」をテーマにした曲らしくダイナミックな演奏と、寄せては返す波の様が目に浮かぶような演奏で
私も心の中で何度も「ヴラボー」と叫びました。
そして上の子ちゃんの演奏を聴いた母も感動していました。
https://www.youtube.com/watch?v=HpvGKYkYWRs&autoplay=1&app=desktop
帰り道、「子ども達にピアノを習わせて良かった」と何度も隣でつぶやく主人。
真ん中ちゃんや上の子ちゃんのピアノの前奏が始まったとき
会場の空気がふっと変わってみんながピアノの演奏に惹きつけられたように私は感じました。
それだけで私は嬉しかったし
母や主人が子ども達の演奏を聴いて感動したことも
子ども達の演奏が聞いている人の心に響いた、もうそれだけで音楽の大事な目的が達成されたようで
本当に良かったと思いました。
2014年10月26日日曜日
2014年10月25日土曜日
スチューデントシティ たっちコラムno.50
2014年10月号のこどもたっちのコラムです。
スチューデントシティは小学5年生向けの体験型経済教育施設です。市役所や会社のブースが設置され、子ども達は社会人としてそれぞれの会社で仕事をし、消費者としての体験をします。先日、息子が参加するにあたり、私も保護者ボランティアとして一緒に活動してきました。私が担当したのは市役所。企画係と一緒に活動しました。子ども達は事前に学校で勉強してくるのですが、具体的な仕事内容は子ども達も保護者も当日に知らされます。お互い手探りの中でスチューデントシティの一日が始まるのですが、次第に仕事の内容も分かってくると子ども達の中から「仕事の見通しをつけておきたい」と積極的に仕事の手順を確認したり、書類の書き方も一度教えると次は自分たちで書いて提出してきたりと頼もしく感じました。また企画係なので自分たちで考えて事業を計画したり、他の会社と協力して商品を作り上げたり、大人顔負けの活動をしていました。活動の最後にはそれぞれの会社の収支報告の発表があり、赤字になった会社、黒字の会社、残念ながら市役所は赤字決算でしたが、おうちの人はこんなに大変な仕事をして収入を得てくるんだな、ということを子ども達が分かってくれたらいいなと思いました。
今年5月堂根町にオープンした体験型経済教育施設エリム。
2階にはスチューデントシティ(小学5年生向け)、
3階にはファイナンスパーク(中学2年生向け)があります。
|
2014年10月23日木曜日
2014年10月22日水曜日
2014年10月21日火曜日
主人の親孝行
義母は子どもが好きで、孫が生まれてそれはそれは喜んで
嫁である私も大事にしてくれたし、孫はなおのことかわいがってくれた。
義母の一番上の姉に「お嫁さんが来て、かわいい孫が生まれてあなたは今が一番幸せね」
と言われたと義母が言っていたことがある。
小さい頃も、結婚してからも苦労が絶えなかった義母。
実家から自宅に戻る帰り道、主人はいつも言う。
「君のおかげで親孝行できたよ、ありがとう」と。
苦労してきた義母をずっと見てきた主人。
だからこそ孫が生き甲斐の義母に孫との時間を作ろうと
会社が休みになると実家に子ども達を連れて実家に里帰りする。
私も義母の一番上の姉の「あなたは今が一番幸せね」と言う言葉を何度もかみしめて
私も主人の親孝行の手伝いが少しはできたのかな、と思う。
嫁である私も大事にしてくれたし、孫はなおのことかわいがってくれた。
義母の一番上の姉に「お嫁さんが来て、かわいい孫が生まれてあなたは今が一番幸せね」
と言われたと義母が言っていたことがある。
小さい頃も、結婚してからも苦労が絶えなかった義母。
実家から自宅に戻る帰り道、主人はいつも言う。
「君のおかげで親孝行できたよ、ありがとう」と。
苦労してきた義母をずっと見てきた主人。
だからこそ孫が生き甲斐の義母に孫との時間を作ろうと
会社が休みになると実家に子ども達を連れて実家に里帰りする。
私も義母の一番上の姉の「あなたは今が一番幸せね」と言う言葉を何度もかみしめて
私も主人の親孝行の手伝いが少しはできたのかな、と思う。
2014年10月20日月曜日
お嫁さんは自分によく似た人
義母が友人に「お嫁さんはご飯をいっぱい食べる人でしょ?」
と聞かれたことがあると言っていました。
義母は「そうよ、どうして分かるの?」と聞くと
「お嫁さんってだいたい自分に似ている人なのよ」と。
義母は身体が小さいのによくご飯を食べる人で
私は身体のとおり、ご飯をいっぱい食べる人。
実家に泊まりに行くと義母は大きいお茶碗いっぱいにご飯を盛ってくれました。
男の人は知らず知らずのうちに母親に似ている人を選ぶのかなぁ。
ということは、息子も将来、私のようにご飯をいっぱい食べる人を連れてくるのかも。
と聞かれたことがあると言っていました。
義母は「そうよ、どうして分かるの?」と聞くと
「お嫁さんってだいたい自分に似ている人なのよ」と。
義母は身体が小さいのによくご飯を食べる人で
私は身体のとおり、ご飯をいっぱい食べる人。
実家に泊まりに行くと義母は大きいお茶碗いっぱいにご飯を盛ってくれました。
男の人は知らず知らずのうちに母親に似ている人を選ぶのかなぁ。
ということは、息子も将来、私のようにご飯をいっぱい食べる人を連れてくるのかも。
2014年10月19日日曜日
2014年10月18日土曜日
2014年10月17日金曜日
2014年10月16日木曜日
2014年10月15日水曜日
「世界はうつくしいと」 長田 弘
うつくしいものの話しをしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そしてわたしたちはの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇りの日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何一つ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そしてわたしたちはの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇りの日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何一つ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。
2014年10月14日火曜日
月を見たときのこと
以前、息子が立派な望遠鏡をもらってきたことがありました。
説明書が入っていなかったので、なんとか試行錯誤して組み立てて、
駐車場に望遠鏡を抱えて持って行って月を見たことがあります。
初めて見た月の表面。
よく分からないのですが、なんだかうにょうにょしたものが見えて
息子が「バイ菌みたい」と言ってそれがおかしかったのと
でも本当にテレビなどでバイ菌だと説明されるときに表示される映像と
なんだか似ているものが確かにそこにはあったので、すごく納得しました。
あれはなんだったんでしょう。
遠く離れた月を望遠鏡で間近に見ることができた感動を
家族みんなで共有できたのはいい思い出です。
説明書が入っていなかったので、なんとか試行錯誤して組み立てて、
駐車場に望遠鏡を抱えて持って行って月を見たことがあります。
初めて見た月の表面。
よく分からないのですが、なんだかうにょうにょしたものが見えて
息子が「バイ菌みたい」と言ってそれがおかしかったのと
でも本当にテレビなどでバイ菌だと説明されるときに表示される映像と
なんだか似ているものが確かにそこにはあったので、すごく納得しました。
あれはなんだったんでしょう。
遠く離れた月を望遠鏡で間近に見ることができた感動を
家族みんなで共有できたのはいい思い出です。
2014年10月13日月曜日
たっちコラム no.14 用に書いたけれどコラムには載らなかった話
2011年9月のこどもたっち no.14 には「ミサコのピアノ」の話を掲載したので、こちらの話はお蔵入りになっていました。
谷川俊太郎 質問箱
ラジオで紹介されていた「谷川俊太郎 質問箱」を読みました。私の大好きな詩人、谷川さんがいろんな質問に答えるのです。中には「ええ、!こんな質問?!」と思うようなものもあってお腹を抱えて笑ったりしました。その中にこんな質問もありました。「どうしてにんげんは死ぬの?死ぬのはいやだよ」という小さな女の子の質問です。谷川さんのお答えをここで詳しくご紹介することは割愛させていただきます。どう答えたのかは本を読んでみてくださいね。ちょっとだけ言うと、谷川さんは質問した子のお母さんに語りかけるのです。言葉での質問に言葉だけで答える必要ないんだよ、体や心もつかってね、って。私、すごいなぁって思いました。悲しい気持ちや不安な気持ちはお母さんも我慢しないで子どもと一緒に泣いていいんだ。お母さんだってこわいよって自分をさらけ出すことで、弱い部分が大人にだってあるって子どもに見せちゃっていいんだって私は思いました。ちょうど萩原光さんの「こころを抱きしめると子育てが変わる」という本を読んだ頃で、まさにその内容と同じことが書かれていて、私の胸にストンとその話が落ち着きました。我が家ではまだそういう質問をこども達にされたことはないですが、もし聞かれたときは俊太郎さんがアドバイスしてくださったように私もしてみたいと思います。
という問いに対する谷川さんの答えはこちらでも読むことができます。
2014年10月12日日曜日
ミサコのピアノ たっちコラムno.14
2011年9月号のたっちコラムです。
ちょうど一年前の今頃「海を渡る被爆ピアノ」矢川光則・著を読みました。爆心地より1.8キロの地点で被爆したアップライトピアノ。修理したことにより62年たった今でも素晴らしい音色を響かせています。このピアノは松谷みよ子さんによって「ミサコの被爆ピアノ」という絵本にもなりました。このピアノの持ち主のミサコさんはピアノが大好きな少女でしたが、あのピカのあとはピアノを弾く気持ちにはなれず、親戚にせがまれてやっとピアノを弾いたとき、「かわいた砂漠に水がしみこむように一瞬で心がうるおうようだった」とありました。震災のあと、かさかさになった私の心に水があふれ出したのはやはり子ども達の弾くピアノの音であり、学生時代に好んで聴いていたピアノの曲でした。そして2010年9月11日、そのピアノは海を渡り同時多発テロで多くの市民が亡くなったニューヨークでもコンサートを開いたのです。自分のやりたいことがあるならぜひ行動を起こすべき。たとえダメだと分かっていても行動しようと訴える著者。そしてそのピアノがなんといわきにやってくるのです。一年前、いわきでもこのピアノのコンサートができたら!!と思ったのですが、まさか現実のものになるとは……。私もぜひ、このミサコのピアノの音色を会場で感じてきたいと思います。
ちょうど一年前の今頃「海を渡る被爆ピアノ」矢川光則・著を読みました。爆心地より1.8キロの地点で被爆したアップライトピアノ。修理したことにより62年たった今でも素晴らしい音色を響かせています。このピアノは松谷みよ子さんによって「ミサコの被爆ピアノ」という絵本にもなりました。このピアノの持ち主のミサコさんはピアノが大好きな少女でしたが、あのピカのあとはピアノを弾く気持ちにはなれず、親戚にせがまれてやっとピアノを弾いたとき、「かわいた砂漠に水がしみこむように一瞬で心がうるおうようだった」とありました。震災のあと、かさかさになった私の心に水があふれ出したのはやはり子ども達の弾くピアノの音であり、学生時代に好んで聴いていたピアノの曲でした。そして2010年9月11日、そのピアノは海を渡り同時多発テロで多くの市民が亡くなったニューヨークでもコンサートを開いたのです。自分のやりたいことがあるならぜひ行動を起こすべき。たとえダメだと分かっていても行動しようと訴える著者。そしてそのピアノがなんといわきにやってくるのです。一年前、いわきでもこのピアノのコンサートができたら!!と思ったのですが、まさか現実のものになるとは……。私もぜひ、このミサコのピアノの音色を会場で感じてきたいと思います。
2014年10月11日土曜日
「世界は一冊の本」 長田 弘
本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。
書かれた文字だけが本ではない。
日の光、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。
本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。
ウルムチ、メッシナ、トンプクトゥ、
地図のうえの一点でしかない
遙かな国々の遙かな街々も、本だ。
そこに住む人びとの本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。
シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。
人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。
2000億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
考えることができると言うことだ。
本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。
2014年10月10日金曜日
酒屋さんの前にあったのは
朝の連ドラを見ていて「あっ」と思ったこと。
私が以前撮った写真を思い出しました。
多分、お酒に関係するものだろうっていうのは何となく分かったけれど
一体何なのかその時は全然分からなくて
でも面白そうだから一枚パチリと写真に撮りました。
で、連ドラを見ていてこの写真と同じような形をしたものが登場して
酒屋さんの前にあったこれは、ウィスキーを蒸溜する窯?だったことが判明。
この写真を思い出しました。
あー、謎が解けてよかった~。
2014年10月9日木曜日
2014年10月8日水曜日
冠水した道路のこと
以前、上の子がまだ一歳の頃、主人と三人である街に引っ越して
そこで1年間生活していたことがある。
まだ初秋の頃だっただろうか、ひどい大雨が降った日があった。
主人は職場に通うのに駅まで原付バイクで行って3駅分電車に乗るか
私が車で送っていくか、のどちらかだった。
ある大雨の夜、迎えに来て欲しいと主人から電話があり
すぐに帰ってくるから、とぐっすり眠っている子どもを置いて
私は車に乗り込んだ。
バケツをひっくり返したような大雨で、必死でワイパーが動いているのだけれども
雨をぬぐってもぬぐっても運転席の窓には雨がたたきつけられて運転するのも大変だった。
いつも職場まで行くのに使う山と山の間の近道を通っているときのこと
車が途中で動かなくなった。
私は道が冠水しているのに気づかず、突っ込んでしまったのだ。
土地勘があるならきっと、雨ならこの地区は冠水する可能性があるから
ここの道は通ってはいけないと分かっただろうけれど
知らない土地だったので全く考えもしなかったのだ。
私は真っ青になりながらJAFに携帯電話から電話するのだがなかなかつながらない。
近くにあった民家に助けを求めようと走るが、もちろんこんな雨の夜、
家人が外に出てくるわけもない。
どうしようかと途方に暮れていると一台の軽トラックが停まり
「どうしたの?車が動かなくなったんだね。
車はオートマ?ミッション?ギアをニュートラに入れて
後ろから押してあげるから」
とそのおじさんが車を後ろから押してくれてなんとか冠水した道から抜け出せた。
おじさんには何度もお礼を言って頭を下げて
主人を迎えに職場に向かった。
主人は私がなかなか迎えに来ないので心配していたが
冠水した道で車が動かなくなった話をしたら
「それならタクシーで帰ればよかったね」と。
そして家について玄関を開けると、母を探して泣きながら玄関までやってきた上の子ちゃん。
「ちょっとの時間でも一緒に連れて行かなきゃダメじゃないか」と
主人に叱られたのは言うまでもない。
翌日、軽トラのおじさんにお礼を言いたくて
軽トラに書かれていた会社の名前を思い出して電話帳をめくったけれど
私が覚えていた会社名は間違っていたらしく
電話帳に該当する名前の会社はなかった。
その後しばらく、雨が降ると冠水した道路で立ち往生したことが思い出されて怖くなった。
もう15年以上も前の話だから雨の夜の運転が怖いとは思わないけれど
でも冠水した道路は絶対に入ってはいけない、それだけはしっかり覚えている。
そこで1年間生活していたことがある。
まだ初秋の頃だっただろうか、ひどい大雨が降った日があった。
主人は職場に通うのに駅まで原付バイクで行って3駅分電車に乗るか
私が車で送っていくか、のどちらかだった。
ある大雨の夜、迎えに来て欲しいと主人から電話があり
すぐに帰ってくるから、とぐっすり眠っている子どもを置いて
私は車に乗り込んだ。
バケツをひっくり返したような大雨で、必死でワイパーが動いているのだけれども
雨をぬぐってもぬぐっても運転席の窓には雨がたたきつけられて運転するのも大変だった。
いつも職場まで行くのに使う山と山の間の近道を通っているときのこと
車が途中で動かなくなった。
私は道が冠水しているのに気づかず、突っ込んでしまったのだ。
土地勘があるならきっと、雨ならこの地区は冠水する可能性があるから
ここの道は通ってはいけないと分かっただろうけれど
知らない土地だったので全く考えもしなかったのだ。
私は真っ青になりながらJAFに携帯電話から電話するのだがなかなかつながらない。
近くにあった民家に助けを求めようと走るが、もちろんこんな雨の夜、
家人が外に出てくるわけもない。
どうしようかと途方に暮れていると一台の軽トラックが停まり
「どうしたの?車が動かなくなったんだね。
車はオートマ?ミッション?ギアをニュートラに入れて
後ろから押してあげるから」
とそのおじさんが車を後ろから押してくれてなんとか冠水した道から抜け出せた。
おじさんには何度もお礼を言って頭を下げて
主人を迎えに職場に向かった。
主人は私がなかなか迎えに来ないので心配していたが
冠水した道で車が動かなくなった話をしたら
「それならタクシーで帰ればよかったね」と。
そして家について玄関を開けると、母を探して泣きながら玄関までやってきた上の子ちゃん。
「ちょっとの時間でも一緒に連れて行かなきゃダメじゃないか」と
主人に叱られたのは言うまでもない。
翌日、軽トラのおじさんにお礼を言いたくて
軽トラに書かれていた会社の名前を思い出して電話帳をめくったけれど
私が覚えていた会社名は間違っていたらしく
電話帳に該当する名前の会社はなかった。
その後しばらく、雨が降ると冠水した道路で立ち往生したことが思い出されて怖くなった。
もう15年以上も前の話だから雨の夜の運転が怖いとは思わないけれど
でも冠水した道路は絶対に入ってはいけない、それだけはしっかり覚えている。
2014年10月7日火曜日
2014年10月6日月曜日
2014年10月5日日曜日
末っ子は甘えん坊でもいいのだ
9人兄妹の私。
一番上の兄と一番下の弟は17歳の差がある。
末っ子の次男がいつまでも母親に甘えている姿を見ると姉たちが冷やかしたものだ。
そうすると母は言う。
「お兄ちゃんとは17歳も違うのよ。
お母さんと一緒にいる時間はお兄ちゃんと比べたらこの子は17年も短いんだから
その分いっぱい甘えるでしょ。」って。
ああ、そうかと思った。
我が家も一番上と一番下では4年も違いがある。
17年に比べれば4年は短いけれどされども4年。
我が家の末っ子も甘えん坊だ。
でも甘えん坊でもいいんじゃないか、そう思う。
一番上の兄と一番下の弟は17歳の差がある。
末っ子の次男がいつまでも母親に甘えている姿を見ると姉たちが冷やかしたものだ。
そうすると母は言う。
「お兄ちゃんとは17歳も違うのよ。
お母さんと一緒にいる時間はお兄ちゃんと比べたらこの子は17年も短いんだから
その分いっぱい甘えるでしょ。」って。
ああ、そうかと思った。
我が家も一番上と一番下では4年も違いがある。
17年に比べれば4年は短いけれどされども4年。
我が家の末っ子も甘えん坊だ。
でも甘えん坊でもいいんじゃないか、そう思う。
2014年10月4日土曜日
ヘルスメーターのこと
愛用していたアナログのヘルスメーターが壊れたので
デジタルタイプのヘルスメーターを購入した。
体重だけでなくBMIや体脂肪、筋肉量や体内年齢なども計測してくれる。
個人のデータも蓄積して、前回のデータと比較してくれる。
しかし……。
家族に体重を公表していない私。
個人データを登録すると前回のデータを誰でも見ることができるので
結局私だけデータを登録していない。
登録しないとBMIや体脂肪、筋肉量や体内年齢などは計測してくれないから
結局、デジタルのヘルスメーターを買っても
私は体重を計測するだけにとどまっている。
ああ、もったいない。
デジタルタイプのヘルスメーターを購入した。
体重だけでなくBMIや体脂肪、筋肉量や体内年齢なども計測してくれる。
個人のデータも蓄積して、前回のデータと比較してくれる。
しかし……。
家族に体重を公表していない私。
個人データを登録すると前回のデータを誰でも見ることができるので
結局私だけデータを登録していない。
登録しないとBMIや体脂肪、筋肉量や体内年齢などは計測してくれないから
結局、デジタルのヘルスメーターを買っても
私は体重を計測するだけにとどまっている。
ああ、もったいない。
2014年10月3日金曜日
「最初の質問」 長田弘
今日あなたは空を見上げましたか。
空は遠かったですか、近かったですか。
雲はどんな形をしていましたか。
風はどんなにおいがしましたか。
空は遠かったですか、近かったですか。
雲はどんな形をしていましたか。
風はどんなにおいがしましたか。
あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。
「ありがとう」という言葉を今日口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。
「ありがとう」という言葉を今日口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。
雨の滴をいっぱいためたクモの巣を見たことがありますか。
樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、立ち止まったことがありますか。
街路樹の木の名前を知っていますか。
樹木を友人だと考えたことがありますか。
この前、川を見つめたのはいつでしたか。
砂の上に座ったのは、草の上に座ったのはいつでしたか。
樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、立ち止まったことがありますか。
街路樹の木の名前を知っていますか。
樹木を友人だと考えたことがありますか。
この前、川を見つめたのはいつでしたか。
砂の上に座ったのは、草の上に座ったのはいつでしたか。
「美しい」と、あなたがためらわず言えるものは何ですか。
好きな花を七つ、挙げられますか。
あなたにとって、「わたしたち」というのは、だれですか。
夜明け前に鳴き交わす鳥の声を聴いたことがありますか。
ゆっくりと暮れていく西の空に祈ったことがありますか。
好きな花を七つ、挙げられますか。
あなたにとって、「わたしたち」というのは、だれですか。
夜明け前に鳴き交わす鳥の声を聴いたことがありますか。
ゆっくりと暮れていく西の空に祈ったことがありますか。
何歳のときの自分が好きですか。
上手に年を取ることができると思いますか。
上手に年を取ることができると思いますか。
世界という言葉で、まず思い描く風景はどんな風景ですか。
今あなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聞こえますか。
沈黙はどんな音がしますか。
今あなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聞こえますか。
沈黙はどんな音がしますか。
じっと目をつぶる。すると何が見えてきますか。
問いと答えと、今あなたに必要なのはどっちですか。
問いと答えと、今あなたに必要なのはどっちですか。
これだけはしないと、心に決めていることがありますか。
いちばんしたいことは何ですか。
人生の材料は何だと思いますか。
いちばんしたいことは何ですか。
人生の材料は何だと思いますか。
あなたにとって、あるいはあなたの知らない人々にとって、
幸福って何だと思いますか。
幸福って何だと思いますか。
時代は言葉をないがしろにしている
あなたは言葉を信じていますか。
あなたは言葉を信じていますか。
2014年10月2日木曜日
主人と息子の名前のこと
主人と息子の名前は一文字違い。
子ども達の名前は易学の先生に考えていただいた。
娘の名前のときは「こんなのがいいかな」「あんなのがいいかな」といろいろ考えて
「こんな名前がいいんです」と先生にお伝えしたところ
私のつけたい名前のイメージを理解してくださり
ぴったりの名前を考えて下さった。
息子の時は、男の子の名前というと全然思い浮かばず
「男らしい名前がいいです」と先生にひと言お伝えしただけ。
そしたら「お父さまの名前から一文字いただいて、こんな名前はどうでしょう」
と考えて下さった名前がすごくかっこよくて
二人で「これにしよう!!」と即決しました。
私の父は「名前負けするんじゃないか?」と心配していたけれど。
で、主人と一文字違いの名前なので
時々息子の名前を書かなければいけないところに
ついつい主人の名前を書いてしまう私。
途中で「あ」と気づけばいいのだけれど。
一昨日は息子が忘れた水筒を学校に届けたのだけれど
思わず主人の名前を書いていたらしく
「これ、名前違ってたよ」と水筒に貼り付けられた
私が書いた忘れ物票の名前を見せてくれた。
大きく主人の名前が書いてある……。
ああ、おっちょこちょいな母親です。
子ども達の名前は易学の先生に考えていただいた。
娘の名前のときは「こんなのがいいかな」「あんなのがいいかな」といろいろ考えて
「こんな名前がいいんです」と先生にお伝えしたところ
私のつけたい名前のイメージを理解してくださり
ぴったりの名前を考えて下さった。
息子の時は、男の子の名前というと全然思い浮かばず
「男らしい名前がいいです」と先生にひと言お伝えしただけ。
そしたら「お父さまの名前から一文字いただいて、こんな名前はどうでしょう」
と考えて下さった名前がすごくかっこよくて
二人で「これにしよう!!」と即決しました。
私の父は「名前負けするんじゃないか?」と心配していたけれど。
で、主人と一文字違いの名前なので
時々息子の名前を書かなければいけないところに
ついつい主人の名前を書いてしまう私。
途中で「あ」と気づけばいいのだけれど。
一昨日は息子が忘れた水筒を学校に届けたのだけれど
思わず主人の名前を書いていたらしく
「これ、名前違ってたよ」と水筒に貼り付けられた
私が書いた忘れ物票の名前を見せてくれた。
大きく主人の名前が書いてある……。
ああ、おっちょこちょいな母親です。