2014年8月31日日曜日

家庭菜園 たっちコラムno.48

2014年8月号のこどもたっちのコラムです。

 我が家は数年前からベランダで小さな家庭菜園をしています。大豆をプランターで育てていましたが、昨年は稲にも挑戦しました。バケツに小さな水田をつくったのです。稲は秋には立派に実をつけたので収穫し、今年はその収穫した種もみを使って再び稲を育てています。大豆も昨年収穫した実(種)を植えました。我が家のベランダの様子を見た母がホームセンターからキュウリの苗を買ってきてくれました。ちょうど息子も小学校の理科の授業でインゲンやトウモロコシの種を植え、余った種を持ち帰ってきたのでそれも植えました。残念ながらトウモロコシは芽を出すことはなかったのですが、インゲンは芽を出し実をつけました。我が家の家庭菜園、土を用意したり、プランターを買ってきたり、ほとんどの作業を主人がし、毎日の水やりも主人や息子が担当しています。でも日に日にキュウリのつるが伸びたり、インゲンが葉や花をつける姿を見ると、私も自然に言葉が出てきて「大きくなったね」と声をかけるようになりました。とはいえ、私はもちろん収穫担当。キュウリやインゲンなどはすぐに実をつけるので、最近やっと私も家庭菜園はおもしろいと思うようになりました。

家庭菜園の水やりを主人に頼まれるのですが
忘れることもしばしば。
でもみんな元気に育っています。

2014年8月30日土曜日

母は

母は「百万人の教師に勝る」

吉田松陰

2014年8月29日金曜日

あそび工房物語 15

「いわきアリオスを子どもの遊び場にしよう!!」と月に一度活動しているあそび工房。
あそび工房での様子などは
“いわきこどもプロジェクト http://iwakikodomo-pj.blogspot.com/
のブログで紹介していますが
2014/3/8に福島藝術計画のフォーラムで事例発表した内容を元に
こちらではあそび工房のスタッフのことなどについて紹介したいと思っています。

キッズルームでは様々なスタッフが読み聞かせをしてくれます。

総合図書館でもお話し会をしている
磐城高校 青空おはなし便 のお姉さん達。
こんな紙芝居の台も持っているんだよ

2014年8月28日木曜日

我が家の原発事故対策委員会 たっちコラムno.11

2011年7月号のこどもたっちのコラムです。

 原子力発電所の事故が起こり、我が家には原発事故対策委員会が発足しました。委員は私と主人の二人だけ。毎日、ネットを最大限に活用し、今起こっていることやこれからどうすべきかを考えました。どんなことが原子力発電所内で起こっているのかは分かってはきたのですが、じゃあこれから私たちはどうしたらいいのか。マスコミは東京に住んでいる人を基準にして話をするのであてにはなりませんでした。そんな時に友人から紹介されたのが中部大学 武田邦彦先生のブログ。先生は自分が一家のお父さんだったとして、自分だったら子供を守るためにどう考えて行動するかをブログで紹介してくださいました。しかも福島に住んでいる人に向けてのメッセージもありました。私が欲しかったのはこういう情報だ、と武田先生のブログを読むようになりました。先日、武田先生の講演会がいわきで行われると知り行ってきました。講演の後半では保護者からの質問に先生が一つずつ答えてくださり、疑問に思っていたことが解消されました。ですが、先生に教えていただいたことを参考にしながら放射性物質対策については最終的には我が家の対策委員会で諮った上で決定しています。子ども達の保護者はあくまでも私たち。後々になって後悔しないように、子ども達の健康を第一に考えた決定をしています。

2014年8月27日水曜日

子育ての結果

義母が昨日、我が家に泊まりに来てくれました。
夕飯は子ども達の大好きなお寿司を食べに行き
子ども達の食べっぷりのよさに大笑い。

今朝は小さな食卓を義母と一緒に囲んで
最近体調がすぐれない義母でしたが子ども達と一緒に
美味しそうにご飯を完食しました。

「今日も家に帰ったらおばあちゃんがいる!!」
と喜んで学校へ行く姿に、私も嬉しくなりました。

おばあちゃん、おばあちゃん、と子ども達に慕われる義母。
これは今まで嫁である私や孫である子ども達を大事に大事にしてきた結果だな、と思いました。


2014年8月26日火曜日

親孝行

お盆休みには岡山に行って来ました。
震災前に子ども達と主人の父方の祖母に会いに行きましたが
4年ぶりにその祖母の元にも行きました。

主人の祖母は自宅の近くにある老人ホームに入所しているということで
義父は埼玉にある自宅と岡山にある実家と行ったり来たりしています。
義父に案内してもらいながら老人ホームに行きました。
祖母はとっても元気で、4年経ってもちゃんと私たちの名前を覚えていました。

「みんな大きくなったなぁ。べっぴんさんになったなぁ。」
と子ども達の顔をしげしげと見ながら満面の笑みでそういいました。
そして私を見て
「ありゃ、誰だか分からなかったわぁ。」
そして子ども達に向かって「お母さん、痩せたねぇ。4年前はもっと肥えてたなぁ。」
と私の体が丸々としていたといいたげに手振りまで添えて言うから
主人も子ども達も大爆笑。

私たちと祖母の会話を横で聞いている義父も終始にこにこ顔。
少し遅れて老人ホームにやってきた義父の妹も
義父の顔を見て「いつもよりも嬉しい顔してるなぁ。」と。
ひ孫がやってきて喜ぶ母親の喜ぶ顔を見て、息子である義父もとっても嬉しいんだなぁと。
叔母のその言葉を聞いて「ああ、親孝行できたなぁ」としみじみ思いました。

祖母も「今日は遠いところを来てくれてありがとう。」と何度も言っていました。
私も頭の中で日本地図を広げて、ホントに遠い距離を移動してきたな、と思いました。
でもまた再び祖母に会いにみんなで岡山に来よう。
そう思いながら老人ホームを後にしました。





2014年8月25日月曜日

かまぼこ

お義母さんに「岡山で買ってきて欲しいものはありますか?」と聞いたら
「かまぼこが食べたいな。かまぼこ板がすごく薄いのがあってそれが美味しかったの。」
というので早速調べてみると はせい というお店のかまぼこだと分かり
お土産に買い求めました。


義母がはせいのかまぼこが好きだと聞いて
主人の従兄弟がかまぼこの詰め合わせを我が家と義母のところへ
別々に送ってくれました。

美味しかった♪

2014年8月24日日曜日

藤戸まんじゅう

倉敷に住む、義母のすぐ上の兄の家に行ったとき
ご馳走になった藤戸まんじゅう。

酒まんじゅう風の薄い皮の中にこしあんがぎっしり詰まっていて
こんなおまんじゅう、初めて食べた!!美味しい!!

お土産に、と一箱持たせてくれました。

きびだんごも美味しいけれど
このおまんじゅうも好き~


2014年8月23日土曜日

ももジャム

岡山のお土産。
もも大好きな末っ子が自分用に、とこっそり購入していたももジャム。

もちろん、みんなで食べる用に、と大きいサイズのももジャムも購入しましたが
あっという間にびんは空っぽになりました。

岡山産のももジャム、とっても美味しかった。(*^_^*)



2014年8月22日金曜日

あそび工房物語 14

「いわきアリオスを子どもの遊び場にしよう!!」と月に一度活動しているあそび工房。
あそび工房での様子などは
“いわきこどもプロジェクト http://iwakikodomo-pj.blogspot.com/
のブログで紹介していますが
2014/3/8に福島藝術計画のフォーラムで事例発表した内容を元に
こちらではあそび工房のスタッフのことなどについて紹介したいと思っています。


アメリカ在住で日本に一時帰国したときにお手伝いに来てくれるベテランママさんもいます。


アメリカに帰ると、季節の話題やアメリカならではのことを写真を
添えてメールでお知らせしてくれます。

こちらに「ミシガンからの便り」というタイトルでアップしていますので
どうぞご覧下さいね。

http://iwakikodomo-pj.blogspot.jp/search/label/%E3%81%82%E3%81%9D%E3%81%B3%E5%B7%A5%E6%88%BF%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95

2014年8月21日木曜日

海で遭難し漂流する者は

海で遭難し漂流する者は、大量の水に囲まれながら、たった一杯の真水がないために渇きで苦しむ。同様に、現代人の多くは、さまざまな人間に囲まれて生きていながら、心からのつながりを感じる相手がいないために孤独なのじゃ。

野口嘉則 3つの真実 人生を変える“愛と幸せと豊かさの秘密”より

2014年8月20日水曜日

ユリ

この時期になると咲いているユリ。
小さい頃は花というとテッポウユリが大好きでした。
最近はユリならカサブランカかなぁと思いますが。

ユリというと思い出すのが夏目漱石の作品。
ユリが純潔を表しているのだそうです。
大学の講義の時にそんな話を聞きました。
言われてみれば、よく登場するなぁと思います。
確かに清楚な女性をイメージさせますね。

この時期になると山の斜面や法面で咲いているユリ。
うちの庭にも咲かないかなぁ。

2014年8月19日火曜日

主人の従姉妹のこと

今回の岡山への旅の大事な目的のもう一つは
震災後、主人の母方のいとこが我が家に岡山の新鮮な野菜を送ってくれるので
そのお礼の気持ちを家族みんなで伝えるため。
私も電話で話したことはあるのですが会うのは初めて。
震災からもう3年が経つのに今でも美味しい野菜を送ってくれます。
義母も「いとことはいえ、なかなか出来ることじゃないわ」と言います。
主人のいとこになるのですが義母とは10歳くらいしか違わないので
主人よりは義母と仲がよく、義母のことは名前にちゃんをつけて呼ぶ間柄。

今回の旅行が決まってから
義母の住んでいた街は公共交通機関で移動するよりは車で移動した方がいいから
レンタカーを借りた方がいいよ、とアドバイスしてくれたり
私が会いたいと思っていた義母の兄や妹、姪や甥に連絡して
当日のスケジュールがスムーズにいくように段取りをつけておいてくれたり
最終日にはステキな古民家で和食の美味しいランチをご馳走してくれました。

義母が言うのには彼女はお舅さんとお姑さんを自宅で介護していて
本当はとても忙しいのだそう。
その忙しい合間を縫って私に連絡したり
私達を迎え入れる準備をしてくれました。

別れ際、岡山特産の葡萄を朝市で沢山買ってきて
「帰りのバスの中でみんなで食べて」と持たせてくれました。
そして「また岡山に遊びにおいで」と見送ってくれました。
私もまたお金を貯めて、ぜひ岡山に遊びに行きたいと思います。

2014年8月18日月曜日

義母の生まれた街

お盆休みに、義母が生まれ育った街に行って来ました。
前回、岡山と広島に行ったときには義父の実家に行っただけだったので
義母が小さい頃過ごした街を見てみたいと思いました。

よく義母は自分の小さかった頃の話をしてくれます。
主人の祖母にあたる人の話もしてくれました。
主人の母方の祖母は義母が結婚する前に他界したため
主人も祖母の顔は知りません。
でも義母がよく話をしてくれるので
多分主人よりも私の方が主人の母方の祖母のことを知っているかも。

前回は震災が起こる前に岡山と広島に行きましたが、
震災が起こる前に行ってよかったと思っていました。
あの震災の後は度重なる余震に
もう長距離の移動を伴う旅行に行く勇気はなくなりました。
いつ、どこでどうなるか分からない、そう思ったからです。
だからもう岡山に行くことはないだろう、と思っていました。
でも最近、急に義母の育った家を見てみたくなりました。
前回の岡山・広島ツアーでは時間の制約があって
義母の実家によることはできずお墓参りだけで帰ってしまいましたが
やっぱり義母の実家にも行きたかったなぁ、と。

でも家族みんなで大移動するとなると経済的な負担もあり
なかなか気持ちを決めきれずにいましたが
偶然の後押しもあり「行こう」という気持ちになりました。

現在は義母の育った家は他の人が住んでいるため
義母が育った家を見ることはできませんでしたが
同じ街に住む義母のすぐ上のお兄さんが
義母の通った小中学校や高校
義母が両親に連れられて通ったという教会などを案内してくれました。
本当は義母と一緒に行きたかったのですが
残念ながらそれは叶わなかったので
自分の生まれた街にもう50年は帰っていないという義母のために
教会や学校や伯父さん、伯母さん、甥や姪やその子ども達の写真を沢山撮りました。
今回初めて知ったのは、義母の生まれた街は
平家物語にも源平の戦いで登場する歴史のある街でした。

車のすれ違いが出来ないような細い道が印象的で
また古い家屋が建ち並んだ通りも多く
義母のすぐ上のお兄さんの家も昔ながらの古い民家で
家の前に立った瞬間、思わず「かわいい!!」と声に出してしまいました。
義母の住んでいた家も多分、こんな昔ながらの家なんだろうと想像しながら
次の目的地に向かいました。

義母の生まれた家を見ることはできませんでしたが
義母の育った街を子ども達と一緒に見ることができたので
遠かったけれどここに来て本当によかったと思いました。

2014年8月17日日曜日

家系図

震災の起こる前の年、自分たちのご先祖様に会いに行こうツアーを企画しました。
たっちのコラムでも書いています。

もう4年前のことですが、ゴールデンウィークに主人の両親の家のお墓参りをしてきました。

まずは岡山へ。
義父の母親(主人の父方の祖母)は健在で、私は結婚したときに一度挨拶に行きましたが
その後は遠くてなかなか遊びに行くことも出来ず、子ども達は曾祖母に会うのは初めて。
「あ、ひいおばあちゃんとおじいちゃんは顔がそっくりだっ」
祖母はひ孫に初めて会うのがとても嬉しくて終始にこにこ。
「べっぴんさんだねぇ~」と何度も子ども達の顔を見ては言っていました。
その晩は義父の実家に泊めてもらい、翌朝、近所にあるお墓へ行ってお掃除をして
ご先祖様に挨拶をしてきました。

そしてその足で今度は広島へ。
義母の両親は他界し、原爆ドームの近くにあるお寺の境内に眠っています。
こちらでも花を手向け、ご先祖様にご挨拶してきました。

主人は言います。
主人の家のご先祖様と私の家のご先祖様、誰か一人でもいなかったならば
お父さんもお母さんも君たちもこの世に生まれることは出来なかったんだよ、と。
だから「ご先祖様、命をありがとうございます」とお墓の前で手を合わせてきました。
自分たちの命はいろんな人達からリレーされて、そして今ここに自分たちがいるんだよ、
と子ども達に分かって欲しかったからです。

月末には私の父方の祖父の実家がある山形へ。
祖父の実家のお墓参りと、信心深かった祖父がお参りしていたというお寺へも行って来ました。
祖父は両親が結婚する前にすでに他界しており
母も祖父の詳しいことは知らないので、仲人さんから聞いたという祖父の話をしてくれたり
伯母から気っぷのよかったという豪快な祖父の話を聞くだけです。
口数の少ない父もこのときは祖父の話をいろいろとしてくれました。

私の母方の祖父母はまだ健在で、私達の住む街の隣町に住んでいるので
母方のお墓へは行きませんでした。



岡山、広島ツアーから帰ってきて、主人が母方の祖父のことを思い出しました。
主人の母方の祖父は生前、自分の家の家系図を調べて書いていた、という話です。
家系図を書き終わった後、祖父は全てのことをやりきったかのように
その後、祖母の元に旅立ったということでした。

義母に電話して「おじいさんが書いていたという家系図を欲しい」とお願いすると
義母が兄妹に連絡をとり、最後におじいさんと同居していた義母の妹の家に家系図があったので
我が家にも送ってくれました。

家系図の最後には義母の兄妹やその配偶者、子ども達の名前が記されていました。
私と結婚する前に書かれているので
もちろん主人は義母と義父と兄妹の名前と一緒に書かれていただけでしたが
今ならそこに私や子ども達の名前も書き足すことが出来ます。
この家系図に自分の名前を書き加えてもらえることを嬉しく思います。

主人のいとこ達も同じように配偶者や子どもができました。
いとこによっては孫まで生まれた人もいます。
これからもどんどん家系図には名前が書き足されていくでしょうし
そうやって命はずっとずっと続いていくんだろうなぁって思います。


ご先祖様はどんな人だったのかが詳しく書いてありました。
おじいさんは原爆でいろんな資料が灰になってしまったので
記憶がはっきりしているうちに記録しておこうと思ったようです。

2014年8月16日土曜日

自分のルーツをさがす旅 たっちコラムno.10

2011年6月号のこどもたっちのコラムです。

 去年のGWに岡山と広島に行ってきました。主人の両親の実家のお墓参りに行くのが目的でした。主人の父方の祖母とは子ども達は初対面。おばあちゃんもとっても喜んでくれました。沖縄のお話で「いのちのまつり」という絵本があります。主人公に「ぼうやに命をくれた人は誰?」と問いかけて、自分には沢山のおじいちゃんとおばあちゃんがいてその人達からずっと命が続いている、ということに気づくお話です。その絵本を思い出して「みんなの命はたくさんのおじいちゃん、おばあちゃんからつながってきているんだよ。命をありがとう。みんなのおかげで生まれてこれました。」とそれぞれのお墓の前で手を合わせました。5月の末には私の実家の父方の祖父母と縁の深い山形へ、親戚一同で出かけて行き、同じように手を合わせました。今回の旅を通して、自分たちにはどんなおじいさん、おばあさんがいたのかを知って欲しかったのと、自分はいろんな人たちから命のリレーをして生きていること、自分は自分一人で大きくなったのではない、いろんな人のおかげさまでこうして生きている、ということを感じて欲しいと思って企画した旅でした。これからもずっとこの命のリレーが続いてきますように。

2014年8月15日金曜日

あそび工房物語 13

「いわきアリオスを子どもの遊び場にしよう!!」と月に一度活動しているあそび工房。
あそび工房での様子などは
“いわきこどもプロジェクト http://iwakikodomo-pj.blogspot.com/
のブログで紹介していますが
2014/3/8に福島藝術計画のフォーラムで事例発表した内容を元に
こちらではあそび工房のスタッフのことなどについて紹介したいと思っています。

こちらは福島高専のお兄さん、お姉さん達。


あそび工房に参加した子ども達に参加証をつけてもらおう、と考えたリストバンド。


子ども達に自由に色を塗ってもらいます。


2014年8月14日木曜日

日暮れにお父さんが帰ってくる まっしろ

日暮れに
なりましたよ
家に帰ろう

お父さんが
帰ってくる

おまえ
きょうは いちにち
いい子に していたかい と

お父さんが
帰ってくる

電気をつけて
三人で
夕御飯を食べよう


まあるいほっぺの
あなたをあやしながら

きのうや
きょうや
あしたの話をして

それから
枕を三つ並べて
眠ります

さあ
日暮れに
なりましたよ
家に帰ろう

おまえ
きょうは いちにち
いい子に していたかい と

お父さんが
帰ってくる


まっしろ 詩


2014年8月13日水曜日

キッザニアで英語体験 たっちコラムno.9

2011年5月号のこどもたっちのコラムです。 
 
 キッザニアに行ってきました。今回は小学校高学年と中学生向けに英語でお仕事を体験するプログラムができたというお知らせがきたので、このところだいぶ子どもたちにも我慢を強いてきたし、たまにはいいこともないとなぁ、とお母さんはだいぶ財布が寒くなっていたのですが「もう、どうにでもなれ!!」と行ってきました。小6の長女が参加した英語向けプログラムは5つのお仕事を待ち時間なく連続してできるようになっていました。お仕事中、指示もすべて英語で出され、途中、自分で焼いたピザとボトルに詰めたコーラで休憩したのですが、会話も英語。(時々日本語も使ったようですが)次女と長男もあらかじめ行きたいお店を選んでおき、私がそれを頭に入れつつ、子ども達がお仕事中に比較的待ち時間が少ないお店を探しておいたため、行きたいところは全部回ることができました。で、帰りの車の中で・・・・・・。「ほとんど英語分からなかったよ」と長女。(事前にどんな英単語を使うか保護者向けの案内書に書いてあったので少しは説明しておいたものの、あまり効果はなかったようです)母は泣く・・・・・。次回からは一般のプログラムにしようっと。(英語のプログラムは参加費が高いのです)

2014年8月12日火曜日

手ぬぐいのこと

このところ夏になると愛用しているのが日本手ぬぐい。
以前はタオルを首に巻いていたのだけれど
最近はタオルよりも手ぬぐいを巻く事が多い。

手ぬぐいだと薄いしすぐに濡れてしまいそうなイメージがあるのだけれど
以外に吸水性もいいし、薄いから折りたたんでもかさばらない。
昔の人の知恵ってすごいな、と思う。

アリオスの手ぬぐい。
かえっこの手ぬぐいはもったいなくて袋から出してない~。

2014年8月11日月曜日

あそび工房物語 12

「いわきアリオスを子どもの遊び場にしよう!!」と月に一度活動しているあそび工房。
あそび工房での様子などは
“いわきこどもプロジェクト http://iwakikodomo-pj.blogspot.com/
のブログで紹介していますが
2014/3/8に福島藝術計画のフォーラムで事例発表した内容を元に
こちらではあそび工房のスタッフのことなどについて紹介したいと思っています。

こちらは「まーみん」さんのタッチコミュニケーションのワークショップの一コマ。
まーみんさんもお子さんがいらっしゃる現役ママさん。

赤ちゃんとママとの肌のふれあいはとっても大事なんだって。

うちにも小さい赤ちゃんがいればなぁ……。

他にも女の子が喜ぶワークショップを考えて来てくれました。
さすがは女の子を持つママさんならではの視点ですね。

こちらは100円ショップで購入した部品でつくることが出来ますよ。

2014年8月10日日曜日

勉強は

勉強は将来の自分のためにやるんじゃない。将来自分と出会う人の幸せのためにやるんだ。

喜多川 泰

2014年8月9日土曜日

地震と原発事故が教えてくれたこと  たっちコラムno.8 

2011年4月号のこどもたっちのコラムです。 
震災直後のこの号はページ数も少なかったのですが、コラムはいつも通り掲載していただきました。
 
  3月11日は私の誕生日でした。まさかあんなことになるとは。地震の日から数日は自宅にいましたが、食べるものもなくなり、断水も続いていたので埼玉の主人の実家にお世話になることにしました。自宅では食材が尽きて非常食を少しずつ家族で分け合いながら食べていたので、主人の実家で毎回出される炊き立ての白いご飯をおなかいっぱい食べられることだけでもう幸せでした。そうして、今まで息を吸っていられたこと、水を飲んでいられたこと、電気を使っていたこと、タダみたいに思っていたことが実は本当にすごいことで、お風呂に入れたり、洗濯ができたり、ゆっくりぐっすり眠ったり、そんな当たり前のことがいかにありがたかったを身をもって知ることができました。そして連日の原発の事故の報道を見ては、大地や空や植物や動物、海、魚、沢山の自然を人間が作り出した自然界には存在しない化学物質で汚してしまっている現状に自然に対してただただ申し訳なく、ごめんなさい、と心の中で手を合わせています。そして40年も文句も言わず人間のために働いてくれた原子炉にも今はゆっくり休んでください、と願うばかりです。でも放射能は怖いけど。この地震と原発の事故が教えてくれたのは、自分たちの生活を見直し、節約や節電、節水を心がけ、自然の恵みに感謝することだと、家族で小さなことからはじめています。

2014年8月8日金曜日

条幅

毎年夏はお習字の課題に取り組むのがここ数年の我が家の過ごし方です。

中でも条幅と呼ばれる、書き初めよりも大きな和紙に太い筆で文字を書いていきます。
縦が130センチある紙なので、末っ子が小学1年生だった頃は
条幅の和紙の方が子どもの背丈よりも大きく
ヨイショ、ヨイショと紙を畳の上に広げ
小さな体を自分よりも大きな紙の上に乗せて太い筆で文字を書く
その姿を見るだけでも親バカな私は「なんてすごいんだろう」と感動していました。

毎年遊びたいのを我慢してお習字の練習をするのですが
なかなか思うような結果は得られず
子どもよりも私の方ががっかりしていますが
自分より背丈の大きな紙に太い筆で文字を書く
なかなかできない経験が出来ただけでも幸せなことかな、と思っています。

私がアリオスペーパー編集部員をしていることがきっかけで
アリオスペーパーの表紙に当時小4の子どもの作品が採用されたことがありました

2014年8月7日木曜日

あそび工房物語 11

「いわきアリオスを子どもの遊び場にしよう!!」と月に一度活動しているあそび工房。
あそび工房での様子などは
“いわきこどもプロジェクト http://iwakikodomo-pj.blogspot.com/
のブログで紹介していますが
2014/3/8に福島藝術計画のフォーラムで事例発表した内容を元に
こちらではあそび工房のスタッフのことなどについて紹介したいと思っています。


あそび工房がまだ始まったばかりの頃、毎回のように参加してくれていた翠猫ピスタくん。
こんな若いお兄ちゃんが子育て支援のイベントに積極的に参加してくれるなんて
と驚きましたが、私はとっても嬉しかったです。

最近はお仕事が変わったことでお休みの日とあそび工房の日があわなくて
なかなか参加できないのは残念だけれど
自分の夢に向かって頑張って欲しいな、と思います。


似顔絵コーナーを担当していました

子どもだけでなくママさんの似顔絵も描いてくれました

2014年8月6日水曜日

人は出会うべき人には

人は出会うべき人には
会うべくして会っている。
会えない運命の人には
どうやっても会えない。
だからこそ
人との出会いを
大切に。
大切に。

2014年8月5日火曜日

有精卵と無精卵

実家の母はなるべく有精卵の卵を買うようにしています。
その母から有精卵の卵を1パックもらってきました。
息子は、卵には有精卵と無精卵の種類があることを初めて知りました。
しかも有精卵はやがて雛になってニワトリに成長すると分かり大興奮。

有精卵を食べるときもニワトリの雛を想像してしまったようで
「えぇー、これ食べちゃうの?」
と言っていましたが私達の食べるものは
お肉も魚も野菜もそれぞれのみんな命をいただいているんだから
卵だけ特別に命を食べてるわけじゃないよと話しました。

「これ、あたためたら雛が生まれるんでしょ?
あ、でもこれはもう冷蔵庫に入れてあるからあたためてもダメか。
有精卵、あっためてみたいなぁ」
というので、確かどこかの動物園で卵を人工的に育てる機械を見たことがあったなぁと言ったら
「え?それどこどこ?!見てみたい。」
人工的に育てる機械は「孵卵器」というそうですが
この分だと夏休み中に孵卵器のある動物園に行くことになりそうです。

言われてみれば、自分も有精卵は雛がかえる卵で
無精卵はどんなにあたためても雛はかえらない、ということくらいしか知らなくて
どうやったら有精卵になるのか、とかそういうことには全然興味がなかったな、と思いました。
なので図書館に行って司書の方に卵の有精卵と無精卵のことについて調べたい、と相談し
一緒にたまごの本を探しました。

いくつか参考になる本を借りて自宅に戻ると
息子は夢中になって借りてきた本を読み始めました。
借りてきた本の中で私が面白いと思って真っ先に息子にすすめたのはこれ。

ふしぎなカプセル 鳥のたまご

子どもの好奇心ってスポンジが水を一気に吸い込むように
いろんなことに興味を持っては吸収していく。
反対に大人の私は「それはそういうことなんでしょ」と頭から決めてかかって
どうしてそうなるのか、なんてまったく関心を持つこともなくて。
ああ、子どもってすごいな、と思います。
子どもと一緒に学ぶ夏です。

2014年8月4日月曜日

慈悲とは慈愛とは

慈悲とは慈愛とは、人に優しくあるにはどうすればいいのかという問いに対するマザーテレサの答え「そこに心を痛めるあなたがいる。それだけでいいのです。」

2014年8月3日日曜日

お金の使い方 たっちコラムno.7

2011年3月号のこどもたっちのコラムです。 
 
  昨日、次女は念願のケーキ作りに挑戦しました。というのは、昨年末に参加した親子金融教室で、講師であるファイナンシャルプランナーの先生の話があったからです。金融教室ではお買い物ゲームをし、経済の仕組みを体験した後で、子どもたちに今好きなことorできること、10年後、どんな職業についていたか、そしてそのために今自分は何をしたらいいのかを考えさせ、こんな話をしてくれました。お正月にお年玉をもらったら、3つに分けましょう。①将来の夢実現ツアー(7割)②そのための貯金(2割)③プレゼント(1割) 夢実現ツアーというのは、例えばケーキやさんになりたい人は自分で買い物をして家でケーキを作ってみる、実際に経験してみるといいですよ。お金は自分の夢に1歩でも近づくために使いましょう。そして、お家の人の理解と応援がなかったらできません。子どもの夢を応援してください、というのが先生の締めくくりの言葉でした。その言葉に後押しされて、パティシエを夢見る次女は昨日、スポンジケーキに弟とデコレーションをして、とても満足していました。親が先を見越して「こうした方がいい」と言うことは簡単ですが、子どものやりたい、という気持ちを大事にしたり、夢を応援するお金の使い方も考えなくては、と思いました。


2014年8月2日土曜日

タイムスリップ写真の会のこと

2014/7/30 第一回タイムスリップ写真の会がありました。

私はアリオスペーパー編集部員として活動しています。
タイムスリップ写真の会はその活動から生まれた企画です。

http://iwaki-alios.jp/cd/app/?C=freemagazine

 震災が起こる前の2009年、私は平のある本屋で働いていました。私の仕事は自転車に乗ってお客様のところへ本を配達すること。常磐に住む私は平の街へは用事のあるところに車で行き、用事が済んだら帰っていました。ところが自転車を走らせるゆっくりのスピードで平の街中を行き来すると新しい発見の連続で、私は街を探検するような気持ちで仕事をしていました。
そんな時、アリオスでコロピクツアーが開催されることになりました。コロコロとは車輪がついた人力の乗り物。そして、コロコロに乗って出かけた先で、気づいた風景を撮影するのがコロピク(=コロコロピクチャー)ツアー。それに参加することを決めた私はツアーにさきがけ、仕事中に出会い心を動かされた風景を携帯電話のカメラで撮りためました。

 そして2011年。誰も予想しなかった東日本大震災。市内でも地震によって被害を受けた建物は取り壊され、街の中の風景は一変しました。平も例外ではありません。最近、私はコロピクで撮った写真を使って何かできないだろうかと思うようになりました。たとえばもう写真の中でしか存在しない風景についていろんな人と一緒に思いを馳せたり、自分が見つけたお気に入りの場所をもっと多くの人に知ってもらったり。むかしの七夕やおまつりの写真、おもしろいなと思ったお店や看板が写っている写真などをみんなで見るのも楽しいかなと思います。人って隣にいて同じ風景を見ていても心に浮かぶことは全く違うんですよね。いろんな写真を持ち寄ってもっと自分たちの住む街の話をしませんか?写真の持ち込み方法は、事前に画像データをメールでアリオスにお送りいただくか、当日写真やアルバムをご持参いただいても構いません。(みんなで見ても差し支えない写真。)メールでお送りいただく際には、その風景についての思いをぜひ一言添えて下さいね。写真はないけれどいろんな風景を見てみたい、話を聞いてみたい、そんな方も大歓迎です。


事前申し込み制ではなかったので
当日になってみないとどれくらいの参加者がいらっしゃるのか見当がつかず
結局スタッフしかいなかったらどうしよう……と思いながら会場に向かいました。
するとすでに参加者の方が何人かいらしていて
また写真を持参している方もいらっしゃいました。
ゲストであるいわき地域学會の小宅幸一さんから写真とともにいわきの詳しいお話を伺ったり
また参加者が持参した写真をみんなで見ていきました。


いわき駅前の移り変わりを年代を追って同じアングルから撮った写真。
(同じアングル、同じ場所で撮るのはなかなか難しいのだそう)
平駅の駅前にまだアーケードがあった頃の写真。
平駅から駅名がいわき駅になった写真。
いわき駅前周辺の再開発に伴い、古い駅ビルを取り壊している様子を撮った写真。
平安橋。
松ヶ岡公園の遊具。
平駅前の藤越。
平駅前の本屋さんの上に掲げられた映画の看板。
それを見ながら「ここにサーティーワンがあったよね、懐かしい」という参加者の声。

いわき駅に駅名が変更する前の、まだ平駅だった頃。
その頃の駅前の写真を見て思い出したのは中学生だった頃の自分。
駅をでたすぐのところにあった公衆電話で
思いを寄せていた先輩に電話をしたことがあったっけ。

現在のいわき駅前にあるペデストリアンデッキを支える脚をつくっている様子をおさめた写真。
ラトブがオープンするまさにその日、テープカットを見守る人達と
ラトブのオープンを今か今かと待ち構えている人の波。
(テープカットの様子を撮るために人の波をかき分けて
やっと正面にたどり着いて写真を撮影したのだそう)
平のレンガ通りがまだ一方通行になる前の写真。
平市民会館があった頃の写真とアリオスが建築中であるころの写真。

割烹谷口楼が木造の三階建てだった頃の写真。
(明治に建てられ、その頃は2階建てでさえ珍しかった時代に建てられた三階建ての建物。
気っぷのいい大工さんで「自分はお金は残さないけれど建物は遺す」という人だった。
建築を任せた谷口楼のご主人も太っ腹な方で、元々は二階だての筈だったのに
結果、三階建ての建物になっても文句を言わなかったそう。
三階部分には八角形の間があり、ステンドグラスがはめ込んであったのだとか。
遊女がいて花街の中心的存在だったようだ、という話でした)

湯本の三函座の写真もありました。

その他に平の商店街の方からお借りしたという
さくらまつり の時のパレードの様子を動画に収めた物をみんなで見ました。
もう20年くらい前のものでしょうか。
商店街にもお金があって、映像の中に映し出される商店街のお店の数も今よりも多く
そして観客の数も沢山で
いわきの街はこんなに元気だったんだなぁと思いました。
シネマ会議 https://www.facebook.com/cinema.kaigi.iwaki?fref=ts のスタッフで
ご自身も動画を撮るという参加者の方が
「動画はその時の色や匂い、雰囲気などが伝わる」と表現していましたがまさにそうでした。

歴史は記憶と記録でできている、と小宅さん。
昔は写真もフィルムだったので、一枚一枚をとっても大切に撮っていた。
撮影した後はシャッタースピードや露出まで丁寧に記録していた、とのこと。
最近はデジカメが普及して枚数を沢山撮ることが出来る。
でもその分、記録が疎かになっているよね(例えば撮影日なども記録していなかったり)。
ああ、本当にそうだなぁと私も思いました。


今までは写真といっても自分の子どもを中心に撮ってばかりで
風景などの写真はほとんど撮影することはありませんでした。
でも今回の タイムスリップ写真の会 で他の方の写真を見せていただいて
我が子だけでなく自分の住む周りの景色を写真におさめておくというのは
実はとっても大事なことかもしれないな、と思いました。


参加者の方も私が撮った街中の何気ない風景の写真を見て
「いつもは車で通っているから、見えている風景なのかもしれないけれど
見ていないんだなと思った」という感想や
「もっと自分の身の回りの写真を撮ってみようと思いましたた」
「たった2時間の写真展なんてどんな写真展なのかな?と思ったけれどとっても楽しめました」
「懐かしい風景が沢山ありました」などなどの感想をいただきました。
参加者の感想を聞きながら、みなさんの心の中それぞれに風が吹いて
変化が起きたのが分かりました。
「タイムスリップ写真の会、やってよかったな」と思いました。

今回の タイムスリップ写真の会 は
コロピクで撮った写真 marutama-mama.blogspot.com/2014/05/blog-post_4.html
の風景が震災後なくなってしまって
どんどん人々の記憶からも失われていこうとすることに何とかできないか、という私のつぶやきを
「それ、アリオスちゃんこ(アリオスペーパーにあるボランティア編集部員のページ)に載せよう」
とアリオスペーパー編集部員の仲間達から背中を押してもらい
アリオススタッフの協力によって形になりました。
単なる私のちょっとした思いつきで始まったことを
沢山の方々と想いを共有することができて私自身も驚きました。
そして市民の思いを形にしてしまうのはアリオスのすごいところだと思います。

それから今回の タイムスリップ写真の会 はアリオスペーパーにお知らせを載せただけで
その他には積極的には告知していませんでした。
ということは、今回来て下さった参加者の方はアリオスペーパーを読んでいる方だということ。
年代も30代くらいの方からおじいちゃんとお呼びしてもいい世代の方まで
男女問わず来て下さいました。
いわき出身の方だけでなく、震災後にいわきに引っ越して来られた方も
いわきの街の変遷を興味深く見てくださいました。
これだけいろんな方にアリオスペーパーを読んでもらっているんだ、ということが
実感できて嬉しかったです。

今月末に第2回目を企画しています。
今度はどんな内容にしようか、とスタッフで近々話し合う予定です。
興味のある方はぜひ足をお運び下さい。
きっと心の中に新しい風が吹きますよ。

http://iwaki-alios.jp/cd/app/?C=event&H=default&D=01435



~お知らせ~

今回ゲストでお越しいただいた小宅幸一さんは
いわき市の公式Facebookページ https://www.facebook.com/city.iwaki.jp で
いわきの古い街の写真を定期的に更新されています。
小宅さんならではの解説も読み応えがあります。


タイムスリップ写真の会 の参加者であるTさんは
市内の様々な風景を丁寧に記録しています。
こちらもあわせてご覧下さい。

Tの撮った写真 http://blog.goo.ne.jp/taka9869
Tの撮った動画 http://ameblo.jp/taka9869/theme-10020510507.html



シネマ会議さんでは平の七夕でいわきの映像作家をいっぺんに味わうことができる
七夕限定のプチ映画祭を開催するそうですよ
詳しくはこちらをチェックしてくださいね。

シネマ会議 https://www.facebook.com/cinema.kaigi.iwaki?fref=ts

2014年8月1日金曜日

白いご飯のこと

義母の炊く白いご飯はいつもつやつやしていて美味しい。
私が同じお米を炊いても義母のようなつやつやしたご飯にならなくて
お米の研ぎ方にコツがあるのかと思って聞いてみたものの
そんなに特別なコツがあるわけではなかった。

一番最初のお水はサッと流さないとぬか臭くなるから
1回目と2回目のお水はお米に浸すことなくサッと流して
あとはジャッジャッジャッとリズミカルにお米をといでいくだけ。

義母と同じにやっているつもりなのに
何故かピカピカご飯にはならなかったのだけれど
今夜炊いたご飯はお義母さんと同じつやつやご飯に炊きあがって
「あ、お義母さんと同じ♪」と嬉しくなってしまった。
今日のご飯も昨日のご飯と同じように研いだのだけれど
何が違っていたんだろう・・・・・?