支えてあげられる力も、強さなんだと思うんだ
木村拓哉
2014年4月29日火曜日
あそび工房物語 1
あそび工房スタッフで、キッズアリペが発行されるとご自身は車を運転しないのでご主人に車を運転してもらってキッズアリペを配り歩くご婦人がいらっしゃいます。自分の知り合いのお店や病院、薬屋さんだけでなく飛び込みでお店を開拓していってもう、まるで優秀な営業マンです。私も一度ご一緒して、それぞれのお店にご挨拶に伺ったことがあります。
で、どうしてそこまで車代も日当も出ないのにキッズアリペを配布するのか?と聞いたことがあります。すると、キッズアリペのような、市内の子育て情報、イベント情報を一枚の紙にまとめて発行して欲しいと児童家庭課にお願いしたことが過去にあったそうです。でも結局、発行してもらえなかった。だからキッズアリペができたときは自分がやって欲しいことを実現してもらえた、と感動してその感動した気持ちが原動力になり、その方を突き動かしているんです。
私もそういう方は宝だと思うし、すごく大事にしたいと思っています。
私がかかわっているAlios plants!こどもプロジェクトでは毎月、キッズ★アリペを発行しています。これが発行されるとプロジェクトのメンバーのYさんは自主的に町に行き、お店を回ってキッズ★アリぺをお店に置いてもらったり、拡大コピーしたものを貼ってもらえるようにお願いしています。そのおかげで平の町中でキッズ★アリペを見かけることが多くなりました。メンバー内でもそんなYさんに感謝の声があがり、私がメールでその旨を伝えるとなんとYさんからは喜びの言葉がびっしりと詰まった返事が葉書ですぐに届きました。メールでやり取りすることが多い私にとって手書きの葉書がとても新鮮で感動しました。その葉書には次回、キッズ★アリペの配布に行く時に大勢で行った方が先方に感謝の気持ちが伝わるから、よかったら一緒に行かないかと書かれており、私は全く思いつかなかったけれど本当にその通りだと思い同行しました。キッズ★アリペの配布も一度では終らず三度出かけましたが、私に「よかったら持って帰って」と美味しいお土産をわざわざ持たせてくれたこともありました。お土産からYさんの私への感謝の気持ちがじーんと伝わってきました。Yさんは何も言わないけれどYさんの言動から学ぶことが多く、私がYさんにしてもらったことを私もあとに来る人達にできるかな、と思いながらYさんの後ろを歩いています。
2014年4月28日月曜日
2014年4月27日日曜日
2014年4月26日土曜日
幼稚園の思い出 たっちコラムno.44
こども たっち 2014 4月号、発行になりました。私の担当するコラムです。
4月生まれの長女。周りに同年齢の子どもがいなかったこともあり、3年保育で幼稚園に通わました。「幼稚園に行きたくない」とだだをこねるかなと思いましたが、娘は喜んで幼稚園に通い、2時に幼稚園に迎えに行くと「もっと遊んでいたいからまだお迎えに来なくていい」と言われたこともありました。そんな中、私のお腹に長男がやってきました。そして迎えた夏休み明け。娘は朝、幼稚園に行くのを渋るようになりました。それを見た園長先生が愛情を持って娘を叱って下さったおかげで再び幼稚園に行けるようになりました。しかしある日、幼稚園にお迎えに行ったときに先生が教えてくれました。「赤ちゃんが生まれるのはすごく嬉しいけど、でもね、ホントは……。」とぽつりと先生に打ち明けたのです。娘は赤ちゃんの誕生を喜ぶ気持ちと、お母さんが赤ちゃんにとられてしまうんじゃないかという不安と両方の気持ちで揺れ動いていたようでした。でも私は妊娠した喜びで浮かれていて全然気づきませんでした。私だけでは分からなかったこと、違う大人が娘に関わることで娘の気持ちに気づき娘の話を聞いてくれました。幼稚園に通わせていなかったら私はずっと娘のこの時の気持ちに気づかずにいたかもしれません。私と子どもたちは沢山の人に育てていただきました。
4月生まれの長女。周りに同年齢の子どもがいなかったこともあり、3年保育で幼稚園に通わました。「幼稚園に行きたくない」とだだをこねるかなと思いましたが、娘は喜んで幼稚園に通い、2時に幼稚園に迎えに行くと「もっと遊んでいたいからまだお迎えに来なくていい」と言われたこともありました。そんな中、私のお腹に長男がやってきました。そして迎えた夏休み明け。娘は朝、幼稚園に行くのを渋るようになりました。それを見た園長先生が愛情を持って娘を叱って下さったおかげで再び幼稚園に行けるようになりました。しかしある日、幼稚園にお迎えに行ったときに先生が教えてくれました。「赤ちゃんが生まれるのはすごく嬉しいけど、でもね、ホントは……。」とぽつりと先生に打ち明けたのです。娘は赤ちゃんの誕生を喜ぶ気持ちと、お母さんが赤ちゃんにとられてしまうんじゃないかという不安と両方の気持ちで揺れ動いていたようでした。でも私は妊娠した喜びで浮かれていて全然気づきませんでした。私だけでは分からなかったこと、違う大人が娘に関わることで娘の気持ちに気づき娘の話を聞いてくれました。幼稚園に通わせていなかったら私はずっと娘のこの時の気持ちに気づかずにいたかもしれません。私と子どもたちは沢山の人に育てていただきました。
2014年4月25日金曜日
プロポーズ
先月の妹の結婚式。
プロポーズをしてないので挙式の中で新郎が新婦にプロポーズをした。
私もプロポーズされてはいない。
結婚する意思はお互いにはあったけれど、いつ結婚するとかそんな話はしていなくて
主人は男としての色々な準備ができたら結婚しようと言うつもりだったんだと思う。
でも私は早く結婚したかったし、結婚情報紙を見てどんなところで結婚式をしようか考えていた。
そんな中、とっても気に入った場所があったので主人と一緒に見学に行った。
見学に行った後、私が「早く(結婚式の)日付を予約しないと希望の日にちに式を挙げられなくなる」
と主人をせかしたので、私の希望の日にちに式場を予約することに。
でも時々主人は時々言う。
「あの時に結婚していなかったら、遠距離だったし(私とは)自然消滅してずっと独身でいただろうなぁ」と。
私が主人のプロポーズを首を長くして待っていられるような性格ではないけれど
(あの時に結婚していなくても待ちきれなくてやっぱりどこかのタイミングで
私の方が先にプロポーズしていたと思う)、
もしプロポーズされるのを待っていたらそうなっていただろうなぁと思う。
兄が主人に「(妹に)何てプロポーズしたの?」と聞いてきたので主人はそのまま↑を答えたら
「らしいなぁ」と笑っていたそうだ。
女の人は男の人のプロポーズを待つもの、という考えは私には毛頭なかった。
多分、生まれ変わってまた主人と一緒になっても
私はやっぱりプロポーズされる前に「早く式場を予約しよう」と言うだろう。
プロポーズをしてないので挙式の中で新郎が新婦にプロポーズをした。
私もプロポーズされてはいない。
結婚する意思はお互いにはあったけれど、いつ結婚するとかそんな話はしていなくて
主人は男としての色々な準備ができたら結婚しようと言うつもりだったんだと思う。
でも私は早く結婚したかったし、結婚情報紙を見てどんなところで結婚式をしようか考えていた。
そんな中、とっても気に入った場所があったので主人と一緒に見学に行った。
見学に行った後、私が「早く(結婚式の)日付を予約しないと希望の日にちに式を挙げられなくなる」
と主人をせかしたので、私の希望の日にちに式場を予約することに。
でも時々主人は時々言う。
「あの時に結婚していなかったら、遠距離だったし(私とは)自然消滅してずっと独身でいただろうなぁ」と。
私が主人のプロポーズを首を長くして待っていられるような性格ではないけれど
(あの時に結婚していなくても待ちきれなくてやっぱりどこかのタイミングで
私の方が先にプロポーズしていたと思う)、
もしプロポーズされるのを待っていたらそうなっていただろうなぁと思う。
兄が主人に「(妹に)何てプロポーズしたの?」と聞いてきたので主人はそのまま↑を答えたら
「らしいなぁ」と笑っていたそうだ。
女の人は男の人のプロポーズを待つもの、という考えは私には毛頭なかった。
多分、生まれ変わってまた主人と一緒になっても
私はやっぱりプロポーズされる前に「早く式場を予約しよう」と言うだろう。
2014年4月24日木曜日
2014年4月23日水曜日
あそび工房 事例発表
先日、人に頼まれてあるフォーラムで私が関わっている団体「あそび工房」の事例発表をした。
最初は軽い気持ちでOKしたものの、実際は資料を作るなど結構大変なことだった。
生まれて初めてパワーポイントのソフトを使い、
自分が撮った写真の中でどれを参加者に見せるか、どんな話をしたらいいのか、
フォーラムの中での自分に託された役割を何度も考え、
この話を持ってきた人は私にどんな話をして欲しいのだろうと思い
スタッフや主人にアドバイスをしてもらいながら原稿を作った。
最初はなかなか上手くいかなかったものの、アドバイスをもらい
私が作成した資料に主人が手を加えて体裁を整えたり、
私の言いたいことを主人が端的に表現してくれたことで
なんとか提示された15分で発表できる資料ができた。
主人が「いい資料になったね」と何度も何度も喜んでくれたことが
私にとっては何よりの励ましになった。
(でも原稿の読みを全然練習しないで、発表の前日に予行練習したら上手にスラスラ読めないし、
声のトーンも暗いし、早口だから何度も主人にダメだしされたのだけれども)
緊張しながらも迎えた本番。
やっぱり早口で、練習したように明るい口調では発表できなかったけれども
なんとかやり終えてホッとした。
発表を聞いてくれた友人達はみんな褒めてくれたけれど
本当にちゃんと出来たのかすごく心配だった。
内容もとってもよかったとみんなにいわれて
「でもね、あれはスタッフのアドバイスと主人が上手に手直ししてくれたから
あんなにいい資料ができたの。私がすごいわけじゃない」と思っていた。
それを帰ってきてから主人に話したら
「そんなことはないよ。自分は手伝ったけどね、でもあなたがあそび工房や、
スタッフのことをちゃんと見ていなければあの発表はできなかったよ。」
といわれ、ハッとした。
そうかもしれない、と思った。
あそび工房の、私が好きだと思っている点、いいなと思っている点を発表した。
だから私にしか出来ない発表だったと思う。
素敵だと思うスタッフのみんなのことを多くの人に知ってもらいたい、
そう思って発表に臨んだ。
そして、素敵なスタッフに恵まれて私はとても幸せだと思った。
あそび工房の事例発表はこちらでご覧になれます。
あそび工房の発表は35分すぎより始まります。
最初は軽い気持ちでOKしたものの、実際は資料を作るなど結構大変なことだった。
生まれて初めてパワーポイントのソフトを使い、
自分が撮った写真の中でどれを参加者に見せるか、どんな話をしたらいいのか、
フォーラムの中での自分に託された役割を何度も考え、
この話を持ってきた人は私にどんな話をして欲しいのだろうと思い
スタッフや主人にアドバイスをしてもらいながら原稿を作った。
最初はなかなか上手くいかなかったものの、アドバイスをもらい
私が作成した資料に主人が手を加えて体裁を整えたり、
私の言いたいことを主人が端的に表現してくれたことで
なんとか提示された15分で発表できる資料ができた。
主人が「いい資料になったね」と何度も何度も喜んでくれたことが
私にとっては何よりの励ましになった。
(でも原稿の読みを全然練習しないで、発表の前日に予行練習したら上手にスラスラ読めないし、
声のトーンも暗いし、早口だから何度も主人にダメだしされたのだけれども)
緊張しながらも迎えた本番。
やっぱり早口で、練習したように明るい口調では発表できなかったけれども
なんとかやり終えてホッとした。
発表を聞いてくれた友人達はみんな褒めてくれたけれど
本当にちゃんと出来たのかすごく心配だった。
内容もとってもよかったとみんなにいわれて
「でもね、あれはスタッフのアドバイスと主人が上手に手直ししてくれたから
あんなにいい資料ができたの。私がすごいわけじゃない」と思っていた。
それを帰ってきてから主人に話したら
「そんなことはないよ。自分は手伝ったけどね、でもあなたがあそび工房や、
スタッフのことをちゃんと見ていなければあの発表はできなかったよ。」
といわれ、ハッとした。
そうかもしれない、と思った。
あそび工房の、私が好きだと思っている点、いいなと思っている点を発表した。
だから私にしか出来ない発表だったと思う。
素敵だと思うスタッフのみんなのことを多くの人に知ってもらいたい、
そう思って発表に臨んだ。
そして、素敵なスタッフに恵まれて私はとても幸せだと思った。
あそび工房の事例発表はこちらでご覧になれます。
あそび工房の発表は35分すぎより始まります。
2014年4月22日火曜日
おまけの汽車ぽっぽ
幼稚園の前を通ったら、子どもたちは外遊びの時間らしく元気に遊んでいた。
ブランコをこいでいる子どもの前で順番を待つ子どもが歌っていた。
継続児なのだろうか体の大きい子に混じって、入園したばかりなのだろう。
まだ小さい体をした、かわいらしい園児も遊んでいる。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10 おまけの おまけの 汽車ぽっぽ
ぽーっとなったら かわりましょ ぽっぽー♪」
私も子どもが幼稚園に通っていた頃を急に思いだした。
幼稚園に迎えに行くと、お母さんが見守る中、幼稚園で少し遊んでから家に帰るのが日課だった。
ブランコに乗りたい子はこの歌を歌うと、ブランコにこいでいた子はちゃんとブランコから下りて
次の子にバトンタッチをする。
私が小さかった頃にはこんな歌はなかったから、なんていい歌なんだろう、と心の中で密かに感動していた。
その後、ノンタンのカルタで遊んでいたら、読み札の中に汽車ぽっぽの歌が書いてあったので
ああ、この歌はノンタンの歌だったんだ、と思った。
ブランコをこいでいる子どもの前で順番を待つ子どもが歌っていた。
継続児なのだろうか体の大きい子に混じって、入園したばかりなのだろう。
まだ小さい体をした、かわいらしい園児も遊んでいる。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10 おまけの おまけの 汽車ぽっぽ
ぽーっとなったら かわりましょ ぽっぽー♪」
私も子どもが幼稚園に通っていた頃を急に思いだした。
幼稚園に迎えに行くと、お母さんが見守る中、幼稚園で少し遊んでから家に帰るのが日課だった。
ブランコに乗りたい子はこの歌を歌うと、ブランコにこいでいた子はちゃんとブランコから下りて
次の子にバトンタッチをする。
私が小さかった頃にはこんな歌はなかったから、なんていい歌なんだろう、と心の中で密かに感動していた。
その後、ノンタンのカルタで遊んでいたら、読み札の中に汽車ぽっぽの歌が書いてあったので
ああ、この歌はノンタンの歌だったんだ、と思った。
2014年4月21日月曜日
桜
桜の時期ももう終わり。
車を運転しながら遠くの山を見ると、緑色の山の中にぽん、ぽんとピンク色が点在するのが見える。あのピンク色は桜の木だな、とすぐに分かる。
私も頭の中で絵筆を持って、絵の具を使って頭の中に絵を描く。山の緑色の中に薄いピンクや白の絵の具をぼんやり落として、ほら桜の木ができあがり、と。
そして、今が一番美しい時期だなぁと思う。至る所で桜の花が咲き乱れているから。
でも、ふっと思う。山の緑の中に薄いピンクが点在する様子を見て、美しいと感じるのは日本人だからじゃなかろうか、と。
日本人は小さい頃から、桜の木は美しい、桜の花びらの散る様は「あはれ」だと教えられてきた。だから桜の木を見ると美しいと思うのだろうか。もしそう小さい頃から教えられてこなかったなら、あの山の色を見ても何とも思わなかったのかもしれない。
車を運転しながら遠くの山を見ると、緑色の山の中にぽん、ぽんとピンク色が点在するのが見える。あのピンク色は桜の木だな、とすぐに分かる。
私も頭の中で絵筆を持って、絵の具を使って頭の中に絵を描く。山の緑色の中に薄いピンクや白の絵の具をぼんやり落として、ほら桜の木ができあがり、と。
そして、今が一番美しい時期だなぁと思う。至る所で桜の花が咲き乱れているから。
でも、ふっと思う。山の緑の中に薄いピンクが点在する様子を見て、美しいと感じるのは日本人だからじゃなかろうか、と。
日本人は小さい頃から、桜の木は美しい、桜の花びらの散る様は「あはれ」だと教えられてきた。だから桜の木を見ると美しいと思うのだろうか。もしそう小さい頃から教えられてこなかったなら、あの山の色を見ても何とも思わなかったのかもしれない。
2014年4月20日日曜日
2014年4月19日土曜日
2014年4月18日金曜日
ハガキで送る写真
その人のメールアドレスも知っているけれど、あえてハガキでやりとりをしている。
メールで送るような「すぐに知らせたい」ような内容ではなく
ただ「元気にしてるかな、どうしているかな」といったことや
ちょっとした近況を知らせるような内容なので
ハガキでゆっくり相手に届いたらいいな、と思ってあえてハガキにしている。
いつもは文房具店でかわいらしいハガキを見つけて買ってくるのだけれど
先月、妹の結婚式があって写真をいっぱい撮って
挙式の後のフラワーシャワーのときの色がすごく素敵で
床の白とそこに散らばるピンクの花びらの色がとっても気に入ったので
ハガキにプリントアウトして「幸せのお裾分けよ」と友人に送った。
彼女なら私のお裾分けの気持ち、ちゃんと受け取ってくれると思うから。
それから、春休みに食事に行ったレストランにお礼の手紙を書こうと思ったけれど
こちらもせっかくだから、とお店の前で撮った写真をハガキにして
そこにお礼の気持ちを書いてポストに投函した。
いいなと思った写真が撮れたら、メールに添付して送るのもいいけれど
その時の気持ちも写真に閉じ込めてハガキにプリントして送るのもいいかな、と思う。
2014年4月17日木曜日
気の利いたプレゼントができる人
素敵ママにはいろんな条件があると思うけれど
気の利いたプレゼントができる人も素敵ママだと思う。
あそび工房のスタッフで、好きな香りをオーダーするとオリジナルのバスソルトや石けんを作ってくれるママがいる。
あそび工房スタッフが転勤や引っ越しで卒業するときは彼女にお願いしてオリジナルのものを作ってもらい、プレゼントすることにしている。
先日、写真のワークショップで一緒になったママはプリザーブドフラワーやアーティシャルフラワーの先生で
アーティシャルフラワーでコサージュをオーダーすることも出来ると知り
春の異動の時期、お世話になった先生とお別れするときに例えばコサージュをプレゼントするのもいいかも、と思った。
どちらのママも羨ましい技術があって素敵ママだと思う。
aromaま 咲ママ
気の利いたプレゼントができる人も素敵ママだと思う。
あそび工房のスタッフで、好きな香りをオーダーするとオリジナルのバスソルトや石けんを作ってくれるママがいる。
あそび工房スタッフが転勤や引っ越しで卒業するときは彼女にお願いしてオリジナルのものを作ってもらい、プレゼントすることにしている。
先日、写真のワークショップで一緒になったママはプリザーブドフラワーやアーティシャルフラワーの先生で
アーティシャルフラワーでコサージュをオーダーすることも出来ると知り
春の異動の時期、お世話になった先生とお別れするときに例えばコサージュをプレゼントするのもいいかも、と思った。
どちらのママも羨ましい技術があって素敵ママだと思う。
aromaま 咲ママ
2014年4月16日水曜日
2014年4月15日火曜日
2014年4月14日月曜日
2014年4月13日日曜日
高校の恩師のこと
高校の時、進学先を決めるときに「キミはこういった学校の方が合ってるんじゃないか」とすすめられたのが人間関係学部のある学校だった。
人間関係学部?なんじゃそりゃ?と思って結局は言葉と文化を勉強する学科に行ってしまった。
言葉に関する勉強は面白かったけれど、最近になって先生がすすめてくれた人間関係学部のような分野の勉強も
私には興味のあることだったのかもしれない、自分でも自分が分かっていないのに、私が興味を持っているであろうことをずばっと指摘した先生ってすごいな、と思う。
小論文の添削をお願いしたときも、書いたのはいいけれど自分でもこの文章の結論をどう書いていいか分からなくて
にっちもさっちもいかなくなったのでそのまま先生に渡したら
「お前が最後に言いたかったのはこういうことなんだろう?」と言い当てるから
「えええええー。」と思った。
私が大学を卒業して、先生と同じ国語の先生になったときはとっても喜んでくれたっけ。
今でも先生に年賀状を書くときは、誤字脱字、敬語の間違いがないか何度も確認して投函しています。
人間関係学部?なんじゃそりゃ?と思って結局は言葉と文化を勉強する学科に行ってしまった。
言葉に関する勉強は面白かったけれど、最近になって先生がすすめてくれた人間関係学部のような分野の勉強も
私には興味のあることだったのかもしれない、自分でも自分が分かっていないのに、私が興味を持っているであろうことをずばっと指摘した先生ってすごいな、と思う。
小論文の添削をお願いしたときも、書いたのはいいけれど自分でもこの文章の結論をどう書いていいか分からなくて
にっちもさっちもいかなくなったのでそのまま先生に渡したら
「お前が最後に言いたかったのはこういうことなんだろう?」と言い当てるから
「えええええー。」と思った。
私が大学を卒業して、先生と同じ国語の先生になったときはとっても喜んでくれたっけ。
今でも先生に年賀状を書くときは、誤字脱字、敬語の間違いがないか何度も確認して投函しています。
2014年4月12日土曜日
お弁当のこと
子どもが幼稚園に通っていた頃からお弁当を作っているけれど、なかなか弁当作りは上達しない。お弁当に詰めるのが下手というか……。
だから最近は長女は自分で中身を詰めるようになった。
そういえば母も私が小さい頃はお弁当を作るのが下手で
母も弁当を作るのは苦手だったと言っていたっけ。
別に友達のお弁当が羨ましかったわけではないけれど
「みんなみたいなお弁当が食べたい」と言ったら
「じゃあ、どんなおかずが入っていたらいいのか言ってくれ」と母が怒ったように言うから
何を入れて欲しいってちゃんと言えなかったような記憶がある。
そんな母も子ども9人も育てていると、だいぶ弁当を作る腕も上がった。
今は上手な弁当をスイスイ作っている。
私はまだまだムリだなぁ。
だから最近は長女は自分で中身を詰めるようになった。
そういえば母も私が小さい頃はお弁当を作るのが下手で
母も弁当を作るのは苦手だったと言っていたっけ。
別に友達のお弁当が羨ましかったわけではないけれど
「みんなみたいなお弁当が食べたい」と言ったら
「じゃあ、どんなおかずが入っていたらいいのか言ってくれ」と母が怒ったように言うから
何を入れて欲しいってちゃんと言えなかったような記憶がある。
そんな母も子ども9人も育てていると、だいぶ弁当を作る腕も上がった。
今は上手な弁当をスイスイ作っている。
私はまだまだムリだなぁ。
2014年4月11日金曜日
青春18切符の旅
私は高校を親元を離れて遠く島根県にある学校に決めた。
地元の高校を選ばず、寮生活をしながら遠くの学校に行くことにした理由はいくつかあるが
大きな理由のひとつに、全国から生徒が集まる学校だということがあった。
日本全国に友達が出来たら楽しいだろう、と思ったのである。
学校の長期休みで学校のある松江から自宅まで帰省するとき、
最初ははまっすぐ行き来していたのだが
慣れてくると、友達の実家のある京都で途中下車したり
文通相手に会うのに岡山を経由して帰ってきたりした。
その時に活躍したのが青春18切符。
学校からまっすぐ自宅に帰るのと大体同じくらいの金額で購入できたからだ。
分厚い時刻表を買って電車の時刻を見ながら
松江から自宅まで帰るのに広島、岡山、京都、亀岡、埼玉、東京、千葉などにも立ち寄った。
房総半島から神奈川へ渡るフェリーにも乗った。
夏休みには八戸にある同級生の家に遊びに行ったり、その頃好きだった小説家のインタビューに
グループで訪ねていったこともある。
時間だけはたっぷりあったし、高校の同級生の家が日本各地にあったから旅行がてら友達の家を泊まり歩くことができた。
その時に私が思ったこと。
「いろんな人に会い、いろんな風景を見て、いろんなことを考えること」は大事だな、と。
だから子どもたちにもいろんな人に出会い、沢山の風景を見て、いっぱいいろんなことを考えてほしい。
それが自分の内面を豊かにすると思う。
地元の高校を選ばず、寮生活をしながら遠くの学校に行くことにした理由はいくつかあるが
大きな理由のひとつに、全国から生徒が集まる学校だということがあった。
日本全国に友達が出来たら楽しいだろう、と思ったのである。
学校の長期休みで学校のある松江から自宅まで帰省するとき、
最初ははまっすぐ行き来していたのだが
慣れてくると、友達の実家のある京都で途中下車したり
文通相手に会うのに岡山を経由して帰ってきたりした。
その時に活躍したのが青春18切符。
学校からまっすぐ自宅に帰るのと大体同じくらいの金額で購入できたからだ。
分厚い時刻表を買って電車の時刻を見ながら
松江から自宅まで帰るのに広島、岡山、京都、亀岡、埼玉、東京、千葉などにも立ち寄った。
房総半島から神奈川へ渡るフェリーにも乗った。
夏休みには八戸にある同級生の家に遊びに行ったり、その頃好きだった小説家のインタビューに
グループで訪ねていったこともある。
時間だけはたっぷりあったし、高校の同級生の家が日本各地にあったから旅行がてら友達の家を泊まり歩くことができた。
その時に私が思ったこと。
「いろんな人に会い、いろんな風景を見て、いろんなことを考えること」は大事だな、と。
だから子どもたちにもいろんな人に出会い、沢山の風景を見て、いっぱいいろんなことを考えてほしい。
それが自分の内面を豊かにすると思う。
2014年4月10日木曜日
幼稚園デビューの頃
新学期が始まり、進入園児なのか午前の早い時間にスーパーへお母さんと買い物に来ている子がいた。
幼稚園の真新しい制服を着ていた。
幼稚園の制服を見て思いだしたのは、長女が幼稚園に入ったばかりの頃。
自分にとっての初めての子どもが家庭を飛び出して、初めての集団生活に入る。
親にとっても子どもにとってもドキドキの毎日。
幼稚園の制服は私服の上に一枚、スモッグを着せるだけ。
そこに名札のバッチをつける。
でも幼稚園に行ってみると他のお母さん達はスモッグにアップリケをつけたりして
制服を脱いだ時に子どもが自分の制服がどれか分かるように
それから少しでも制服がかわいくなるように一生懸命工夫をしているんだと分かって
私もかわいいアップリケをつけてあげったっけ。
上靴には左右を間違えないようにカラーペンでかわいらしく絵を描いてあげたっけ。
(でも途中からキャラクタープリントの上靴を買うようになったけれど)
小さかった娘もかわいかったけれど、幼稚園生活にドキドキする私も若かったなぁと当時を懐かしく思う。
幼稚園の真新しい制服を着ていた。
幼稚園の制服を見て思いだしたのは、長女が幼稚園に入ったばかりの頃。
自分にとっての初めての子どもが家庭を飛び出して、初めての集団生活に入る。
親にとっても子どもにとってもドキドキの毎日。
幼稚園の制服は私服の上に一枚、スモッグを着せるだけ。
そこに名札のバッチをつける。
でも幼稚園に行ってみると他のお母さん達はスモッグにアップリケをつけたりして
制服を脱いだ時に子どもが自分の制服がどれか分かるように
それから少しでも制服がかわいくなるように一生懸命工夫をしているんだと分かって
私もかわいいアップリケをつけてあげったっけ。
上靴には左右を間違えないようにカラーペンでかわいらしく絵を描いてあげたっけ。
(でも途中からキャラクタープリントの上靴を買うようになったけれど)
小さかった娘もかわいかったけれど、幼稚園生活にドキドキする私も若かったなぁと当時を懐かしく思う。
2014年4月9日水曜日
担任の先生のこと
新学期がスタートした。
二番目の子と三番目の子はクラス替えで先生も新しい先生になった。
三番目の子は始業式の前日、男の先生のクラスになった夢を見たので
正夢だといいね、と言って学校へ送り出した。
でも、夢の中で見た先生は実際は隣のクラスで息子は独身の女の先生のクラスになった。
去年、掃除当番でお世話になった先生で、息子とは顔見知りなので私はホッとした。
二番目の子も女の先生が担当になった。
初めての中学校生活だし女の先生でよかった、と安心した。
毎年、誰が担任になるかドキドキする。
時には子ども自身ががっかりするような人選もあるし
私自身も、うーん、と思うことも正直あるけれど
「今のうちの子に必要な先生だからこのクラスになったんだ」
と自分にも子どもにも言い聞かせる。
以前、お母さん方からの評判があまりよくない先生にあたったことがあって
この先生でこれからうちの子はやっていけるのかしら、とさすがにその時は思ったけれど
実際に担任になってみたら話に聞いていたほどではなかったし、
トラブルがあってもすぐに対処してくれて子どもも納得するような対応をしてくれたので
私も信頼して先生に子どもを預けることが出来たし、いろいろ相談することも出来た。
だからお母さん達からの情報も必要だけれど、その先入観にとらわれすぎたら逆効果だと感じた。
子どもたちも新しいクラスや先生に馴染むのに少し時間はかかるだろうけれど
縁あって一緒になった友達や先生と一年間、楽しく過ごして欲しいと思う。
二番目の子と三番目の子はクラス替えで先生も新しい先生になった。
三番目の子は始業式の前日、男の先生のクラスになった夢を見たので
正夢だといいね、と言って学校へ送り出した。
でも、夢の中で見た先生は実際は隣のクラスで息子は独身の女の先生のクラスになった。
去年、掃除当番でお世話になった先生で、息子とは顔見知りなので私はホッとした。
二番目の子も女の先生が担当になった。
初めての中学校生活だし女の先生でよかった、と安心した。
毎年、誰が担任になるかドキドキする。
時には子ども自身ががっかりするような人選もあるし
私自身も、うーん、と思うことも正直あるけれど
「今のうちの子に必要な先生だからこのクラスになったんだ」
と自分にも子どもにも言い聞かせる。
以前、お母さん方からの評判があまりよくない先生にあたったことがあって
この先生でこれからうちの子はやっていけるのかしら、とさすがにその時は思ったけれど
実際に担任になってみたら話に聞いていたほどではなかったし、
トラブルがあってもすぐに対処してくれて子どもも納得するような対応をしてくれたので
私も信頼して先生に子どもを預けることが出来たし、いろいろ相談することも出来た。
だからお母さん達からの情報も必要だけれど、その先入観にとらわれすぎたら逆効果だと感じた。
子どもたちも新しいクラスや先生に馴染むのに少し時間はかかるだろうけれど
縁あって一緒になった友達や先生と一年間、楽しく過ごして欲しいと思う。
2014年4月8日火曜日
2014年4月7日月曜日
子どもたちと行った電車の旅
春休みのことだったか、長女が小3だったか小4のころのこと。
学校の社会で、自分の住む市町村の勉強をしたときのことだった。
市内にあるJRの駅の話になったので「じゃあ、電車に乗って自分の住む街のはじっこまで行ってみよう」
と子どもたちに提案したことがある。
太平洋にそって南北に走るポピュラーな路線と、市の中心部から列島を横断するように西に走るローカル線。
両方の路線、私達の住む市の一番最南端の駅と最北端の駅、再西端の駅はどこになるのか地図で調べて
その後は時刻表を見ながらどの時間帯に出発するのがいいか考えた。
私の住む街は田舎なのでそんなに頻繁に電車が走っているわけではない。
目的地まで行ったらホームを渡って反対側の電車に乗るわけだけれど
どの電車に乗れば折り返し地点での待ち時間が少ないのか。
子どもたちにも時刻表の見方を説明する。
どの電車に乗るか決めたら出発。
電車が駅に到着する度に長女が学校で勉強した市内の駅の名前を確認していく。
やがて電車は私達が折り返しするための駅に到着。
時刻表の上では2~3分、時間の余裕があって反対側のホームの電車が出発するはずだったのに
その駅に着くとなんと反対側の電車が到着している?!
電車の扉が開いて階段へダッシュしていると私達が乗ろうと思っていた電車は出発し、仕方なく次の電車が来るまでの30分以上、ホームで子どもたちと待っていたっけ。
市内を西に横断するローカル線に乗ったときは電車も一風変わっていて、電車に乗る人がボタンを押してドアを開けるタイプの車両で
電車の先頭部分には運賃表が掲示される電光掲示板と料金箱があってまるでバスのようでびっくりした。
そしてもっとびっくりしたのは折り返し地点で電車を降りたらそこは無人の駅で、切符売り場も何もなく駅員さんもいない。線路も単線なのでひとつしかない。
ホームにはただ待合場所のような、屋根とベンチがひとつあるだけ。
駅をおりると近くに川が流れていて川の音がするだけで見渡す限り、山とそこに生い茂る木。
無人駅におりたことは全く初めての子どもたち。無人駅というもの自体、存在することにも驚きながらも大喜びで周りを探検。
駅を出て近くを歩き回ると小さな商店があったのでおやつを買ってホームに戻り、電車を待った。
市内の駅を制覇する、という目標を達成することが出来た電車の旅。楽しかったな。
学校の社会で、自分の住む市町村の勉強をしたときのことだった。
市内にあるJRの駅の話になったので「じゃあ、電車に乗って自分の住む街のはじっこまで行ってみよう」
と子どもたちに提案したことがある。
太平洋にそって南北に走るポピュラーな路線と、市の中心部から列島を横断するように西に走るローカル線。
両方の路線、私達の住む市の一番最南端の駅と最北端の駅、再西端の駅はどこになるのか地図で調べて
その後は時刻表を見ながらどの時間帯に出発するのがいいか考えた。
私の住む街は田舎なのでそんなに頻繁に電車が走っているわけではない。
目的地まで行ったらホームを渡って反対側の電車に乗るわけだけれど
どの電車に乗れば折り返し地点での待ち時間が少ないのか。
子どもたちにも時刻表の見方を説明する。
どの電車に乗るか決めたら出発。
電車が駅に到着する度に長女が学校で勉強した市内の駅の名前を確認していく。
やがて電車は私達が折り返しするための駅に到着。
時刻表の上では2~3分、時間の余裕があって反対側のホームの電車が出発するはずだったのに
その駅に着くとなんと反対側の電車が到着している?!
電車の扉が開いて階段へダッシュしていると私達が乗ろうと思っていた電車は出発し、仕方なく次の電車が来るまでの30分以上、ホームで子どもたちと待っていたっけ。
市内を西に横断するローカル線に乗ったときは電車も一風変わっていて、電車に乗る人がボタンを押してドアを開けるタイプの車両で
電車の先頭部分には運賃表が掲示される電光掲示板と料金箱があってまるでバスのようでびっくりした。
そしてもっとびっくりしたのは折り返し地点で電車を降りたらそこは無人の駅で、切符売り場も何もなく駅員さんもいない。線路も単線なのでひとつしかない。
ホームにはただ待合場所のような、屋根とベンチがひとつあるだけ。
駅をおりると近くに川が流れていて川の音がするだけで見渡す限り、山とそこに生い茂る木。
無人駅におりたことは全く初めての子どもたち。無人駅というもの自体、存在することにも驚きながらも大喜びで周りを探検。
駅を出て近くを歩き回ると小さな商店があったのでおやつを買ってホームに戻り、電車を待った。
市内の駅を制覇する、という目標を達成することが出来た電車の旅。楽しかったな。
2014年4月6日日曜日
2014年4月5日土曜日
2014年4月4日金曜日
息子と行った電車の旅
息子がまだ幼稚園に通っていた頃。幼稚園は小学校よりも2~3日早く春休みに入る。お姉ちゃん達を小学校に送り出し、一足早く春休みを迎えた息子に「今日は何しよう?」と尋ねると「電車に乗りたい」と答えた。「それじゃあ、電車に乗ろうか」と行き先を決めずに電車に乗ることに。息子が「もう帰ろう」と言ったら引き返せばいいか、と思い一時間半は電車に揺られただろうか。息子が「帰ろう」と言ったので電車をおり、ホームを渡って反対側の電車に乗って帰ってきた。途中、洋食が美味しいと有名なお店に寄る為に途中下車をして、お姉ちゃん達に内緒でステーキランチを食べた。息子は今でもそれを覚えていて「また食べに行こうよ」と私に言うのだが。あの頃は電車に乗るだけで大喜びしていた息子。私ものんびり電車に揺られていたなぁと懐かしく思う。