2015年7月14日火曜日

「みずすまし」 吉野 弘

一滴の水銀のような みずすまし。
やや重く 水の面を凹ませて
浮いている 泳いでいる        
そして時折 水にもぐる。



あれは 暗示的なこと
浮くだけでなく もぐること。


わたしたちは
日常という名の水の面に生きている
浮いている。だが もぐらない
もぐれない。――日常は分厚い


水にもぐった みずすまし。
その深さは わずかでも
水の阻みに出会う筈。
身体を締めつけ 押し返す
水の力に出会う筈。


生きる力を さりげなく
水の中から持ち帰る
つぶらな可憐な みずすまし
水の面にしたためる
不思議な文字は 何と読むのか?


みずすまし――
あなたが死ぬと
水はその力をゆるめ
骸を黙って抱きとってくれる。
静かな 静かな 水底へ。
それは 水のやさしさ
みずすましには知らせない
水の やさしさ。

0 件のコメント:

コメントを投稿